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『ラシーヌ便り』no. 164 「サルヴォ・フォーティ悲願のセラー、ついに完成」

サルヴォ・フォーティ悲願のセラー、ついに完成

 7月初めにサルヴォ・フォ-ティのセラーが完成したというので、ひとっ飛びに訪ねました。カターニャ空港から車で30分ほどのところ。エトナ中腹のミロ村にある200年前のパルメントの修復は2017年には済んでいて、新たに地下に増築された醸造熟成パートは、新鋭の機能をもたせながらも、現在のエトナ山でできうる限りの、自然素材を使ったセラーです。自前のセラーこそ、サルヴォに存分の腕を発揮させるためになによりも必要でしたので、心からのお祝いと期待を申しあげました。

 そこで、今年リリースされる2018年のテイスティング。2014年の柔らかなテクスチュアに通じる、繊細な味わいです。

 「2018年は、8月に17日間も雨が降りつづいた。エトナの火山性土壌は、水はけがいいので、畑に雨水がたまることはないが、日照が極端に少ない年だった。仕上がりは、2015、16、17 と比べて、細身で、心地よい。ネレッロ・マスカレーゼ種は、収穫のI週間前、雨が降らない、日照のしっかりある陽が欲しいけれど、なかなかそのポイントの見極めが難しい。最近の気候変動は深刻で、エトナでも湿気が多い。昔は除葉した葉はたちまち乾燥したものだったが、今では半日経ってももとの姿を保ったまま。ベト病も多いわけだ」 と、サルヴォ。

 2014年はなぜSO2が少なかったのかと聞くと、

 「ビン詰め前、ビンにワインを入れて、栓をせず、1週間放置するんだ。それで全く問題のない年もあれば、産膜酵母が張る場合もある。その様子で、その年のSO2の添加量を決める。2014年は、確かに15,16,17年と比べると少なく仕上げられたね。でも、みんなSO2 を入れないで、とか、少なくしてと言っても、管理が悪いために、結局は問題が出たと言ってくるんだ。日本くらいだよ、一度も問題が起きないのは。」 

 サルヴォ「合田さんたちと、いつから取引始めたんだっけ?」

 「2003年の秋からですよ。ヴィニタリーのあと、ヴェネツィアでVinupetra 2001 を飲んで、驚いてあなたに手紙を書いたの。でもその前にあなたがベナンティのセラーで作った、ハンス・ゼネールのネロダッボラを輸入していたけれどね」

 Vinupetra 2001は、サルヴォがたった一樽作った彼自身のワインの、ファースト・ヴィンテッジでした。標高800mにある2haばかりの畑(カルデラーラ村)で、500Lの古樽で醸造。品種は、ネレッロ・マスカレーゼ、ネレッロ・カプッチョ、アリカンテ。初めて味わったときの印象は、自然な果実味がすーっと立ちのぼり、洗練された上品な味わいがあり、かつて大樽で醗酵・熟成されていた時代の名作《ロッソ・デル・コンテ》を思い出しました。作りこまれた味わいのシチリア・ワインに辟易していた私たちは、驚きとともに、すぐにラベルをたよりに、誰がこのようなワインを造ったのか、探索にかかりました。出会ってみれば、何年も前から、ハンス・ゼネールのコンサルタントをしていた、面識もあるあのサルヴォ・フォーティとわかり、たがいに大笑いしました。

 初ヴィンテッジの2001年は生産量350本、2002年は1050本だけ、イタリア国内でも、サルヴォが自身のワインを造っていることは知られておらず、輸出先は日本のみでした。ほどなくベナンティの素晴らしい1990年代のワインも仕入れるようになりました。

 サルヴォは1988年にベナンティ社のエトナプロジェクトの責任者となり、エトナでの本格的なワイン造りをスタートしました。1991年のファースト・ヴィンテッジ以来、今日のエトナの名声を築いてきましたが、2013年5月にベナンティとの契約を終えました。その間、ベナンティの醸造設備を借りて、コンサルタントをしていた他のワイナリーを含むI Vigneriのワインを造ってきました。しかし、どのような事情があったのかわかりませんが、ベナンティの醸造施設を使用できなくなり、おそらく2008年頃からは、コンサルタントを務めているパキーノのグルフイにブドウを運び、醸造をしてきました。エトナで醸造してこそ、エトナ本来の味わいが実現できることは、本人が一番わかっていたはずですが、10年もの間、エトナから200㎞も離れたパキーノで醸造せざるをえなかったのです。

 取引を始めて16年、サルヴォとの間にいろんな出来事や事件がありました。私たちも品質不良問題に悩まされ、何度サルヴォとの取引をやめようと思ったことか。でも思い留まることができたのは、エトナが惹きつける特異な空間と、Vinupetra 2001 と数々の素晴らしいベナンティの1990年代のワインの記憶でした。 

 

 さて、セラーですが、2011年に手に入れたパルメントを、エトナ山の石や土を使って修復しました。訪問するたびに一向に工事が進まず、完成の見通しが一向に見えないので、「いったいいつになったら、エトナで醸造できるようになるのだろう?」と、ほぼ諦めに近い思いを何年もいだいてきました。

 それだけに、セラーの完成は、ついに、という思いを超えて、ほぼ安堵と同時に、何故こんなに時間がかかったのかと思わずにおれません。

 どうやらシチリアでは、政治と繋がる大企業を優先させるのが、州政府やコンソルツィオの方針らしい。そのせいで、トスカーナやラツィオからやってくる大投資家たちのカンティーナ建設は容易に許可されるが、年間20,000本に満たない造り手には許可がおりない、とか。エトナ生まれのエトナで生きてきた作り手がなぜ疎んじられるのかと、長い間信じられませんでした。

 そのような事情で、一つ一つのステップがとんでもなく時間がかかってしまったようです。衛生基準が厳密にもうけられ、床は白いタイル貼、壁の表面はプラスティックまたは樹脂コーティング、天井も同様の基準、発酵槽はステンレスタンクのように洗浄可能なものの使用が義務付けられている。

 サルヴォは、なんとしても古いパルメントをエトナの材料と材質で修復したい。そこで、床材として、エトナの石を1200度で焼いて用いることで、ようやく許可がおりました。が、エトナの土を塗った壁は、どのように規定から免れることやら? 火山岩製の発酵槽での醸造も、本来は10年以上前から禁止されています。シチリアのワイン産業政策は、零細の職人作業による伝統的なワイン造り ―「パルメント」内で古来の醸造方法で高質ワインを造ること― を、不可能にしてしまったのです。これは、パルマの生ハムづくりの規定と同様、発酵文化の歴史・伝統を根底から否定するもので、ばかげているとしかいいようがないのですが、どうすることもできません。

 そんなサルヴォも、今年57歳。1982年から働き始めて、悲願の自前のセラーが完成目前です。まもなくビン詰め機械がくれば、もうキアラモンティまでタンクで運ばずにすみます。ジョージアのアラヴェルディ修道院から贈られたクヴェヴリで醸造されるパルメント破砕のワインは、温かで優しさに満ちている。見守りつづけてきた私たちにとっても、じつに長い道のりでした。2019年、どんなワインが生まれるか、ほんとうに待ち遠しい。

サルヴォは、長年日本のマーケットが彼のワインを愛しみ、大切に育ててくれたことに喜びと誇りをもち、心から感謝をしています。サルヴォの新たな出発に際し、もう一度「エトナ人サルヴォ・フォーティ」を理解していただきたく、過去のラシーヌ便りをあわせてご紹介申し上げます。

http://www.racines.co.jp/producer/italie/sicilia/salvo_foti_interview.html

サルヴォ・フォーティ語る(日本でのインタヴューより、2009年6月 宮嶋 勲)是非、お読みください。

http://www.racines.co.jp/library/goda/41.html

http://www.racines.co.jp/library/goda/46.html

http://racines.co.jp/library/goda/96.html

 
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