ファイン・ワインへの道vol.36
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寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
飲む巨大アンコール・ワット。 クリスティアン・チダの謎と深遠。
一国、一地域のワインのイメージと重要性を瞬時に決定的に急上昇させるには、たった1本、いや1杯の真に傑出したワインがあれば十分。例えば、ジェラール・シュレールの上級ピノ・ノワールに出合って、アルザスの赤のほうがボルドーより重要になったという人、エドアルド・ヴァレンティーニの赤に出合って、アブルッツォこそイタリア最重要ワイン産地と確信する人・・・・・・などの例の多さが、“1本で十分”説を援護していると思われます。音楽なら、この7月、惜しくも他界したジョアン・ジルベルトが生み出したボサノヴァという音楽にふれることによって、ブラジルという国の偉大さと栄光度が、決定的かつ不可逆的に頭に刻み込まれる、という感じでしょうか。
そんな中、オーストリア・ワイン。今も、多くのソムリエさんさえ「いや~、フランスとイタリアを勉強するのに忙しくて・・・・・・オーストリアまで手が回らない(まわす気もない)」との、よく聞く声、ごもっともです。
そんなお忙しい方々に、グラス1杯で「オーストリアを掘り下げるぞ!」と転向させる、巨大(かつ最も効率的?)な力があるワインでしょう。このクリスティアン・チダのワイン。
念願かない先日訪問できた畑は、やはりその異形度も異次元。ウィーンからクルマで南へ約1時間。ブルゲンラント、ノイジードラー湖西岸、標高200m付近のなだらかな丘陵に広がる畑には・・・・・、ブドウの樹の高さとほぼ同じ、ライ麦がほぼ全ての畝間にびっしり。
「麦とブドウを競合させ、ブドウの根をより地中深くに伸ばすだけでなく、畝間にも豊富に植物があることによって、さらに良質の野生酵母が畑で育つ。ブドウを育てるのと同じぐらい、優れた野生酵母を畑で育むことが重要だ。僕は“スーパー酵母”を育てるつもりでいる。僕は酵母を守るために防カビ用のボルドー液さえ、この5年間で2回しか撒いてない。ヴァン・ナチュールは野生酵母で醸造するもの、と皆言うが、その酵母のために誰か何かしてるのか?」 と、クリスティアン本人は情熱の絶対量も半端ないテンションです。
加えて強調したのは、グリーン・ハーヴェストの弊害でした。
「グリーン・ハーヴェストはブドウの樹のバランスを壊し、果実のバランスも壊す。特に、ブドウの糖分だけが上がってアロマ成分が弱まる。そんな、変なバランスのブドウからワインを造ろうとして、変な添加酵母が必要になって、変なワインが生まれる。うちの畑は畝間の麦との競合や、冬の剪定だけで自然に収量は25~35hl/haぐらいに落ち着くのだ」と語る。
奇しくもこのグリーン・ハーヴェスト弊害論は、ブルーノ・シュレール(ジェラール・シュレール)、パトリック・メイエ(ジュリアン・メイエ)など、フランス最高峰自然派生産者とも共通するもの、でした。
さらにブルーノと共通するものといえばもう一つ、畑の石英(クオーツ)の豊富さについて。花崗岩の中に、石英が豊富な区画から卓越したワインが生まれるとクリスティアンは「20年間の観察の結果で」言うのですが、全く同じ見解を、かつてブルーノ・シュレールからも筆者は直接聞きました。しかもそれは、シュレールの4つのピノ・ノワールのキュヴェの中で、なぜシャン・デ・ロワゾーがあれほどまでに華麗・深遠・スピリチュアルなのか? と尋ねた時の答えだったのです。ブルーノ曰く「なぜだか分からないけど、畑の石に石英(クオーツ)が多く含まれる区画から、いいワインができる。それが特に、シャン・デ・ロワゾーの区画なんだ」と淡々と語りました。
土壌中の石英がワインにもたらす好影響・・・・・・、あまり聞かないトピックスですが実は。とあるビオディナミ生産者とその話をしたところ、興味深い答えがありました。それは「クオーツってことは・・・・・・プレパラート501=石英が、撒かなくても自然に畑の中にあるってことなんじゃないの? もちろんビオディナミゼはされてないけど。石英=太陽エネルギーを吸収・反射して、より効率的にブドウに伝えるってことだから、元々の畑の石の中にそれがあるってことは悪いことじゃないかもね」との見解です。なんと・・・・・、即断は禁物ですがしかし、今後の検証に値する興味深い説であります。皆さんも、次にどこかの畑に訪問されたら、聞いてみてはどうですか? 「クオーツの豊富な区画、ありますか?」と。
そんな中、クリスティアンと話していて、もう一つ気付いたのは、話の節々に感じる、傑出した味覚の鋭さと繊細さ(大きくがっちりした身体に反して)でした。絶対に幼少時、いい料理を食べて育っていたはず、と確信して尋ねてみるとやはり。「父親が当時としては珍しく野菜、玉子、肉などほぼ全ての食材をできるだけオーガニックを意識していてね。家の料理は自然で繊細な料理だったかも知れない。さらに、小学校のころから父のブドウ畑の収穫を手伝って、収穫時にブドウを食べて糖度を当てる“糖度あてクイズ”で遊んでた。10~11歳ごろには、ほとんど糖度が当たるようになってたよ」とふり返る。
しかし、次の質問でクリスチャンの表情は、一気に硬くこわばりました。「糖度当てクイズで、周囲の畑の子供たちより優秀だったんだ」と尋ねると・・・・・、(バカ! と言わんばかりの表情で)、「いやいやそれがね。普通の畑じゃ、親は絶対に子供にブドウを食べさせることなんてしないのよ。何故なら。ブドウがたっぷり農薬まみれなのを、その農薬を撒いた親は知ってるから。子供がそれを食べるなんてとんでもない! って訳よ。うちの家が、例外中の例外だったんだよ。最近は、昔よりはましになってるみたいだけど」と肩をすくめました。
しかし今現在も。
子供に絶対に食べさせられないブドウで作ったワインは・・・・・・、きっと世界に少なくないと推測されます。世界に、というか、貴方がよく前を通るワイン・ショップや、ガイドブックで見る高級レストランのワイン・リストにも・・・・・・、という推測が過大な邪推であることを祈るばかりだ。
と、話が暗くなったところで、もちろん明るいニュースも準備してます。それは2018年、クリスティアンは新たに4haを取得し、所有地が計12haとなったこと。新たな区画にはシャルドネ、シラー、樹齢50年のブラウフレンキッシュなどのほか、新たに植樹されたピノ・ノワールの区画など多岐に渡ります。試飲で、まさに「血が沸いた」のが、今までのチダの一連のワインだけでなく、シャルドネとシラーの、まるで一口ごとに宇宙遊泳でもするような、壮大なスケール感と深遠さでした。スパイス、花、フルーツの巨大博覧会であり、フルーティーなミネラル、スパイシーな花と酸といった、全く矛盾したニュアンスが矛盾せず舌と五感に現れ響く液体たち。それはまるで、巨大なアンコール・ワット寺院の全ての部屋と全彫刻を完全復刻したものを、瞬時に舌で見るといった超越的体験、とさえ思えました。
さらに最後に決定的に打ちのめされたのが、樽試飲した、凜々しく美しいフレッシュさと清涼な深遠さあるワインが全て、ヨーロッパの多くの地域が猛暑に苦しんだ2018年、しかも収穫は早めずいつもどおりだったという点、でした。猛暑の片鱗もない、高貴な酸とミネラル、アルコールも全て11.5~12.5%までというワインが、猛暑で慌てて早く収穫せず、いつも通りの収穫で生まれる畑・・・・・・。「畑の土と生命の生態系が完全に調和がとれた活力の中で生きていれば、それは可能だ。可能にするまで20年。ひたすら観察と実験の繰り返しだったが」とクリスチャン。
そんな、まさに“飲む巨大アンコール・ワット”のような深遠さと超越的な精神性は、一口でオーストリアが完全に、世界最重要グランヴァンの産地の一つに食い込んだという公理を、全く後戻りできない次元で焼き付けてくれることでしょう。
※本稿は、ヴィノテークでの取材時の、いわば取材・裏話です。より詳しいクリスティアン・チダ、およびオーストリア訪問記は、ヴィノテーク7月号に掲載されています。こちらも是非、ご高覧いただければ嬉しく思います。
今月の、ワインが美味しくなる音楽:
チダも愛する、セネガル沖・島国のメロウ歌謡。
セザリア・エヴォラ『エッセンシアル(ESSENTIAL)』
チダのクルマに乗せてもらった際、助手席で発見したCDです。ワールド・ミュージック・ファンの中では堂々の大物。アフリカ、セネガル沖の島国、カーボベルデを代表する女性ヴォーカリストです。旧宗主国のポルトガルのほか、ブラジルや西アフリカ音楽の要素が、なんともエレガントにメロウに溶け合ったこの人の曲。チダも「一日の仕事が終わってリラックスする時に、最高だよね」と愛聴しているそう。
ちなみに不思議にも、ワイン・マニアには音楽マニアが多いようで、チダは自身が通うウィーン最高峰のヴァン・ナチュール・ビストロ『O Boufes』のために、自分のワインに合うBGMも選曲。ハービー・ハンコックの「ロック・イット」から、デトロイト・テクノの大御所ジェフ・ミルズのミッド・トラックまで。キレキレのセンスは、やはりさすが。『O Boufes』でリクエストすると、i-padからそのチダ選曲のミックス・コンピレーションを聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=ERYY8GJ-i0I
今月の、ワインの言葉:
「自然は、それを愛するものの心を、決して裏切ることはない」
-ウイリアム・ワーズワース-
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載中。