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エッセイ:Vol.142 ダーウィン、イチロー & エラスムス ―食べ物はこわい?―

ダーウィンの健康問題
 若きチャールズ・ダーウィンは、測量用の軍艦ビーグル号での長い船旅と船酔いに耐えながら、博物係として綿密な観察記録をとり、多数の標本をつくって本国に送るなど、張り切って仕事にいそしんでいた。帰国後は、以前からやや体調不良をかかえていたにもかかわらず、調査結果の整理と見直しをし、独創的な進化論の発案・基礎づけと証明に取組んだ。好奇心豊かなダーウィンは、進化論(ナチュラル・セレクション説)の構築だけでなく、ミミズによる土壌改善を調査分析する新プロジェクトを立ち上げるなど、現役として長く旺盛な活動をおこなってきた。
 とすれば、彼は頑健とは程遠いにしても、どちらかといえば健康体であったのではなかろうか。ビーグル号船内では、気難しい艦長と差し向かいで食事をとる栄誉を与えられたが、美食家どころか、さほど料理にうるさかったとは思えないし、その自伝には食事についての関心をうかがわせるくだりはなかったように記憶する。
 5年に及ぶ調査旅行からイギリス本土に戻ったダーウィン本人は、ふたたび胃腸や神経症など、極度の体調不良に悩まされつづけた。そこで、夫の健康を気づかうダーウィン夫人エマは、健康のためにせっせと肉料理をつくって食べさせたとか。ところが、さる研究家の説によると、ダーウィン本人は肉料理が体質に合わなかったから、夫人の手料理のために胃腸障害を起こしたのではないかとのこと。ちなみに、夫人を伴わずにイギリス国内に旅行した時には、胃腸は問題を起こさなかったよし。
 それが事実だとすれば、肉料理はチャールズには逆効果だったわけで、エマ夫人の思いやりがかえって病気を生んだことになる。

イチローの苦手克服法
 さて、このほど野球生活を終えたイチロー選手は、精密なバッティングと奇跡的なフィールディングの美技など、超人的な活動ぶりで球場を沸かしたことは、記憶に新しい。彼は野球を活性化しただけでなく、野球ファン以外からも圧倒的な人気と称賛を招いたが、引退直後にも国民栄誉賞を辞退するなど、硬骨漢ぶりを発揮して、彼の人気に便乗しようとする政治家の手に乗らなかったことも、見事である。
 そこで、超人ぶりを支えたたゆまぬ練習と、意識的な体調コントロールからして、イチローの健康状態はさぞかし良かったのだろうと、だれしも期待するだろう。カレー好きのイチローは、毎日のように奥様のカレー料理を好んでたべたと喧伝されている。ところが、Oリングテストの大家だった豊岡憲治さんの分析によると、イチロー氏はコメ・アレルギーだったらしい。となると、カレーライスは身体に毒だったことになるはず。だが、ふたたび豊岡先生によると、カレーのもととなるスパイス・ミックスには、コメ・アレルギーを発症させない、いわば抗アレルギー作用があるとか。それゆえイチロー氏は、深刻なコメ・アレルギーに犯されることなく、無事に選手生活を終えることができたことになる。この場合は、ダーウィンの場合とは違って、細君の労が功を奏したというべきだろう。メデタシ、メデタシ!
 ところで、スポーツ音痴な私が、なぜそのような話題に興じるのか? じつは、身の程知らずにイチローと比べるつもりは毛頭ないが、かくいう私は米飯には食指が動かないタイプの弱性コメ・アレルギーをかかえ、かつ、カレー料理が好物であるという共通性があるという、他愛のない話なのである。

魚嫌いのエラスムス
 三題噺のトリにエラスムスを持ち出すのは、ダーウィンの父の祖父エラズマスErasumusが高名な医師であり、チャールズの兄もおなじくエラズマスと名付けられていたからではない。沓掛良彦氏の『エラスムス 人文科学の王者』(岩波全書)によると、16世紀に全ヨーロッパから人文主義者の王と謳われたエラスムスは、繊弱な体質の持ち主であり蒲柳の質であったのに、おそろしく精力的な著作家であった。繊弱と著作量の2点にかけて、エラスムスはダーウィンを上まわるとさえいえるだろう。ラテン語と古典ギリシャ語を軽々と使いこなした学徒にして福音主義者エラスムスは、苦いユーモアにあふれる『痴愚神礼讃』の著者であることは、ご承知のとおり。病弱気味なのに(だから?)上質なブルゴーニュワインが大好きであったので、不寛容が風靡するご時世にエラスムスはやっとのこと耐えられた、というわけではない。刺身のつまという格好で、エラスムスが顔を出したのは、まあ、かならずしも私の好みのせいだけではない。 
 ところで、『クリオの顔』(E.H.ノーマン著、岩波新書)の読者ならばご存じだろうが、17世紀イギリスには、好奇心旺盛で博物学に造詣が深い尚古家ジョン・オーブリという御仁、というより変人がいた。今の世に伝わるオーブリの『短い伝記集』(“Brief Lives”;『名士小伝』冨山房百科文庫)は、彼の残したメモ状の断片を丹念に復元したものだが、ホッブズ伝を除けば、短いゴシップの雑多な集成に過ぎない―と、はた目には見えてしまう。ともかく、イギリスの読書界でのオーブリ評価(ひいき?)は高くて強かった。
 が、へそ曲がりの伝記作家リットン・ストレイチーは、伝記はオーブリくらい短いか、ボズウェルの『ジョンソン伝』くらい長いものでなくてはならないと断じたことがある。ちなみに、20世紀の前半、ケンブリッジ出身の大インテリや芸術家が形成したブルームズベリー・グループのなかで、ストレイチーの存在は、ただ背が高くて聞き苦しいキーキー声のせいで目立ったのではなかった。世に背を向けた個性と皮肉極まる文体で描かれた、フランス風の優雅な評伝が、しからしめたものである。そのストレイチーを詳細に描いたマイケル・ホルロイドによる評伝が、なんと『ジョンソン伝』並みの分厚さがあるのは、歴史の皮肉というものだろうか。
 そこで本題(があるとしてのことだが)に戻ると、オーブリの『名士小伝』のなかに、エラスムスはほんの1,2行しか登場しない。ただ一言、「ロッテルダムの生まれながら、エラスムスは魚が嫌いだった」とだけ―エラスムスの『対話篇』には「魚食い」という名篇があるのに。ロッテルダムどころか内陸の飯田生まれにすぎない私とエラスムスの間には、魚を好まず、ブルゴーニュワインが大好き、という共通点があるだけなのだ。


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