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Sac a vinのひとり言 其の二十七「能わず」

 頻度や費やす額面は各々違えど、我々はワインを飲み、楽しんでいる。時には笑う。時には哀しむ。特別な瞬間で、極々ありふれた日常の一コマで。
 どんなシーンであろうと共通しているのは、ワインを味わい、(基本的には)美味しいと感じてその瞬間を享受している。端的に言えばなんらかの魅力を感じている筈だ。私もその一人だ。

 ある機会があり、1つの事を考えるようになった。
「もしワインをなんらかの理由で飲めなくなったとしたら どうすれば良いのか?」
「他のもので代替は可能なのだろうか?」
「可能であるならば、それは何であり、何がワインと共通しているのだろうか?」

 考えられるワインを摂取できなくなる原因は、病気による制限、体質の変化による摂取の困難化など、主にフィジカルな要因が挙げられるだろう。もしそうなった時に、その絶望や悲しみは想像に難くないが、容易に起こりうる事象でもある。どうしようもないことは、いとたやすく発生するのである。
 悲観的なことを話したいわけではない。ただ自身を取り巻く幸福な環境をつぶさに観察、検証することにより、私を生かしてくれている、ワインというものがもたらすその幸福のエッセンシャルな部分を見出し、いつの日か、その幸福の享受が叶わなくなるその日には、その悲しみをせめて慰撫出来るように心構えくらいはしておきたい。そう思い立ち今回筆を取らせてもらった。

 

ワインの幸福とはその味わいである。 

 ワインの持つその多種多様に渡る味わいの違いに対して、この場で改めて触れる必要はないだろう。味蕾で、口蓋で、喉で、食道で、胃袋で。我々の身体が理解し記憶している。
 もしアルコールの摂取が叶わなくなるとしたら、ワインの持つ属性の1つである酒という側面を味わうことは叶わない。更にもう1つの属性である、熟成し変化し得る保存飲料という側面にも触れることは叶わない。ただ、ワインの備えている他の側面、単純な甘みや酸味渋味などは、ジュースであるとか茶類で近似値のものを用意することは可能である。
 よってこの幸福に関しては
 「完全なる再現は不可能であるが、慰めになるものは存在する」
 と言っても良いだろう。
 近づけるからこそ、その分そのズレが気になるとも言うことができるが。

 

ワインの幸福とはその馥郁たる香りにある。

 上の項目と同じ理由で、細かい説明は省かせていただく。香りが、何かを経口摂取する際に及ぼす影響に関して書かれた書物を探すのに、大した労は要さないであろう。 
 想像してほしい。 鼻が詰まった状態で熟成した素晴らしいMesnil Sur OgerのBlanc de Blancを飲む悲しみを。想像して欲しい。花粉症の時にRichebourgを試飲しなければならない切なさを。 もし嗅覚が効かなくなったとしたら、それはワインだけではなく、飲食に関わるありとあらゆる魅力が色褪せてしまうだろう。代替は効かないと考えなければならない。
 よって
 「香りを楽しめない時にワインの幸福を探すのは、ブドウの粒を運ぶようなものである」
 とでも言おうか?
 それだけワインの香りというものは、我々に幸福をもたらせてくれるのである。

 

ワインの幸福とは引き起こされるその酩酊感である。 

 程度にもよるが、佳酒によって引き起こされるその酩酊は、なかなかに心地よいものである。もしワインが、飲めば飲むほど精神が研ぎ澄まされ、体の調子が良くなるものであったとしたら、果たしてこれほど酒を聞こし召すという行為に人々は歓びを見出していたであろうか? 私は否だと考える。 身体には決してプラスだけではないという背徳感もその魅力であると述べることに対して、私は些かの迷いも持たない。 エデンの園の二人も禁忌で無ければ果たして林檎を欲したであろうか?
 話を戻そう。身体的な事情で酒を飲めなくなるということは、酩酊は以ての外となる。酒以外で何らかの酩酊を楽しむことのできるもの、となるとどうしても法に引っかかるものを想定してしまう。なので、なんらかの物体の摂取での再現は難しいと考えられる。
 しかしである。人間というのは必ずしも外部からの影響のみで恍惚たり得る生物ではない。音楽でトリップする人間もいれば、文章からのイマジネーションで脳髄に刺激を得る人物も多数存在する。“愉しむ“ということに関しては、人間は無限の可能性を持っている。何も外部的要因の摂取だけが、酩酊や恍惚をもたらすとは限らないのである。
 よってこの項は
 「アルコール由来の酩酊は失われるが、自身のもつポテンシャル次第ではそれを上回る肉体的、精神的快楽を享受することも可能である」
 とでもまとめようか。

 

ワインの幸福とはそれによって繋がれた人の“ワ“である。

 私に最初にワインを教えてくれた人の言葉で、大切にしているものがある。
 「ワインの“ワ“は3つの“ワ“をあらわしている。人の“輪“を作り、人の“話“を盛り上げて人の“和“を為すものだよ」
 忘れられない言葉だ。
 人の繋がりこそがワインの幸福である、などと言う月並みな締めを語りたいわけではない。ただ、どんなに素晴らしくても、どんなに印象深くてもどんなものでも。幸福というものは単一では成り立たない。他者との関係性の中で、人は初めてその幸福を自覚できるのである。 他者との比較でネガティブな感情や哀しみもあり得るだろう。楽しみばかりではない。ただ、歓びも哀しみもどちらも一人では感じることはできないし、自覚することも叶わないのだ。

 「人と人との関係性は、たとえワインが失われても失われる性格のものではない」

 今回はかなり情緒的な文章となってしまい、正直文章の整合性はあまり取れているとは言えないかもしれない。 ただ、このタイミングを逃すと恐らく2度と書くことがないであろう内容であったので敢えて筆を滑らせていただいた。
 乱文でお目汚しをしてしまったことを、どうかお許し頂きたい。

 

~プロフィール~

建部 洋平(たてべ ようへい) 
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー

 
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