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ドイツワイン通信Vol.90

温暖化と歴史的品種

 先日3月21日の春分の日は満月だった。昼と夜の長さが等しくなり、長かった冬は終わりを告げ、季節は次第に夏へと近づいていく。天文学的にみると春分は、太陽が星々の間を移動する通り道である黄道と、地球の赤道を天に投影した「天の赤道」が交差する二点のうちの一点であるという。その春分と満月が同時に訪れたというのは、何やら盆と正月が一緒に来たような、世界に生命が満ち溢れはじめるような気分になる。東京では丁度春分を過ぎた頃から、気温は少し下がったにもかかわらず、ちらほらと桜の花が開き始めた。

 一方モーゼルのブドウ畑では、剪定した枝の先から水が滴り出したそうだ(https://www.steffens-kess.de/cms/2019/03/24/rebenblut/)。ドイツ語ではレーベンブルートRebenblutとも呼び、直訳すると「ブドウの血」となる。枝先に溜まってはポトリ、ポトリと落ちてゆく様はトレーネンTränen、つまり涙にも例えられるが、いずれにしてもブドウ樹が冬の眠りから覚めた証に他ならない。彼らに感情があるならば、それは喜びの涙なのだと思いたい。

2018年産の仕上がり

 さて、3月も末に近づいて、新酒の出来具合の情報もちらほらと聞こえてくるようになった。2018年の経過についてはこのコラムのVol. 83(2018年9月)~Vol. 85(2018年11月)で随時お伝えして来たので繰り返しは避ける。一応簡単にまとめると、1月から5月にかけての雨が、6月から11月までの日照りと乾燥からブドウ樹を救った年だった。とりわけ2月までに降った多量の雪と雨が地下水を満たしたので、夏の間も若木を除いてブドウ樹はそれほどダメージを受けなかった。また、日照時間も平年ならば約1400~1800時間のところ約2020時間に達し、地中海沿岸のラングドック地方並みの長時間にわたり、これが光合成とブドウの成熟を促した(参照:ドイツ気象局による2018年の天候総括https://www.dwd.de/DE/presse/pressemitteilungen/DE/2018/20181228_deutschlandwetter_jahr2018.pdf?__blob=publicationFile&v=3)。さらにその上、2017年4月下旬の遅霜で約2~3割減った収穫量を取り戻そうとするかのように、ブドウ樹は沢山の房を実らせた。ドイツで気象観測が始まった1881年以来の晴天続きで病気もカビも発生せず、至極健全な状態で完熟してほとんど選別の必要のないブドウが多量に収穫された。その量は前年比で+46%、リースリングでは+55%にも達したそうだ。これは1999年以来、20年ぶりに記録を更新するほどの豊作だったという(参照:連邦統計局プレスリリースNr. 45, 6. November 2018: https://www.destatis.de/DE/Presse/Pressemitteilungen/Zahl-der-Woche/2018/PD18_45_p002.html)。

 生産量が増えれば品質は下がるのが通例だが、2018年産に関してはあてはまらないと、モーゼルのとある生産者はブログに書いている(https://www.weingut-meierer.de/wtf-omg-es-gibt-hops/)。春分の頃に来日したザールの若手醸造家ヨハネス・ウェーバー(ファルケンシュタイナー醸造所)は、「リースリングで95°エクスレ(約23°Brix弱)は80年代ならば大喜びしたものだが、今ではごく当たり前になっている。アルコール濃度も上がりやすくなっており、昨年はとりわけ酵母が活発だったこともあって例年よりも約0.5%高くなった。一方で酸度は7~8g/ℓでやや低かった。破砕したり圧力をかけすぎたりすると酸が減るので、房を丸ごと圧搾機に入れて1~1.5barほどの低圧で搾汁した」そうだ。そして果皮が若干厚くなったので、タンニンに由来する軽い渋みが出ていることもあるという。ヨハネスが醸造所から持参した、モーゼルの伝統的な大樽(フーダー)で醸造中のリースリングのサンプルは、ハンドキャリーの影響かややおとなしかったが、スッキリとしてアロマティックで、香りはフレッシュなハーブと熟したかんきつ類を思わせ、やや抑え気味の酸味で口当たりも良かった。2017年産のモーゼルは個人的にはシリアスな印象を受けることが多かったが、2018年産は(その日試飲した2種類のサンプルに限って言えば)、おおらかで素直な味わいだった。

温暖化とリースリング

 現在30歳のヨハネスの父親は1980年代半ばに醸造所とブドウ畑を購入し、伝統的なやり方に徹頭徹尾こだわって醸造する醸造家で、ザール産らしい繊細で軽やかなリースリングを造ってきた。近年は樹齢が上がってきたことと温暖化の影響だろう、繊細さと軽さを保ちつつも複雑さと凝縮感が増している。ザールのリースリングを表現する際にしばしば使われるドイツ語に「フィリグラン」(filigran)という言葉がある。精緻な細工の宝飾品を表現する際に用いられる形容詞で、イスラムのモスクを装飾する幾何学文様や、極限までに細やかな作業で制作された金細工などに使われるが、ヨハネスのリースリングはザール産らしい、酸味とミネラル感が銀の糸のように編み込まれた、フィリグランな美しさがある。「突然の豪雨や雹は増えているものの、温暖化は今のところザールのリースリング栽培に恩恵をもたらしている」と彼は言う。「ただ、この状況がいつまでも続くとは限らない。いつかリースリングの栽培に適さない環境になったらどうするのか、という不安はある」。

 温暖化への対策として、ヨハネスはブドウの房の付近の葉を多めに取り除いて光合成を抑制し、果汁糖度とアルコール濃度の上昇を抑えているそうだ。ドイツワインと温暖化の全体的な傾向としては、ジャンシス・ロビンソン氏が2017年9月8日付のフィナンシャルタイムズの記事(日本語訳:http://vinicuest.com/wine_articles/2017/09/9-sep-2017.html)で指摘しているように、ドイツは高品質なピノ・ノワールの生産国として台頭しつつあり、赤ワイン用品種とソーヴィニヨン・ブランやシャルドネなどフランス系品種の栽培比率が増えてきている。さらに、従来はブドウの完熟が難しかった山奥や標高の高い冷涼な立地条件の場所にあるブドウ畑が再評価されている。例えばモーゼル中流のヴェーレン村にあるVDP加盟醸造所S. A. プリュムが、モーゼルの支流ルーヴァー川の上流の奥地ゾンメラウ村Sommerauのブドウ畑を2016年に購入して、それまで協同組合に納められていたブドウから、高品質な村名ワインをリリースしている。また、以前もお伝えしたようにザールのファン・フォルクセン醸造所は、友人のマルクス・モリトール醸造所と共同で、忘れられた銘醸畑の復興に取り組んでいる。1900年頃はシャルツホーフベルクに並ぶワインを産する畑として知られていたが、1980年代から放置されていたオックフェナー・ガイスベルクの14haを購入して、マサルセレクションした優れた遺伝的素質を持つリースリングの苗木を植えているのだ(ドイツワイン通信Vol. 42, 2015/4/22、参照:https://www.larscarlberg.com/the-rebirth-of-a-riesling-legend/)。

歴史的品種の再発見

 このほか温暖化との関連で注目すべき話題としては、ドイツ語のゲミシュター・ザッツGemischter Satz(英語はフィールド・ブレンド)と、絶滅したと思われていた古い品種の収集と再評価の動きを挙げておきたい。ゲミシュター・ザッツは周知の通り19世紀までは一般的な栽培手法だった。複数の品種を混植することにより、いずれかの品種が病気や害虫の被害を受けた場合でも、耐性のある品種が感染拡大を防ぎ、一定の収穫を確保することが出来ると言われている。しかし19世紀後半のフィロキセラの蔓延と二度の戦禍、そして戦後の耕地整理の際の植え替えにより、ほとんどのブドウ畑はリースリングやジルヴァーナー、シュペートブルグンダーといった伝統品種の他に、ミュラー・トゥルガウやオプティマ、ジーガーレーベといった早熟で収穫量を確保できる交配品種を、単一品種で栽培するようになった。一方で長い歳月をかけてその土地の土壌や気候条件に適応しつつ栽培されてきたいくつもの品種が、ワイン造りの表舞台から消えていった。

 温暖化という急速な環境の変化に危機感を持つ人々が着目したのは、それぞれの産地に適応してきた歴史的品種の遺伝的多様性である。1999年にバイエルン州立ブドウ栽培園芸研究所で立ち上げられたプロジェクトでは、フランケン地方の樹齢50年以上のブドウ樹や混植されたブドウ畑を調査した結果、すでにドイツのブドウ畑から消えたと思われていた77品種が発見された(参照;LWG Bayerische Landesanstalt für Weinbau und Gartenbau, „Alte Weinberge und historische Rebsorten“: https://www.lwg.bayern.de/weinbau/rebe_weinberg/077502/)。その多くは比較的熟すのが遅いが、温暖化の進行する現在にあってはむしろ長所として評価されている。

 バイエルン州のプロジェクトの後、ドイツ連邦食料・農業省(以下BMELV)のイニシアティヴで2007年から2010年まで、ドイツ全国を対象にした調査が行われ、約350種類の歴史的品種やこれまで存在が知られていなかった品種が発見された。BMELVの調査を主導してきたブドウ品種研究家のアンドレアス・ユング氏は、2013年にプロジェクト「歴史的ブドウ品種Historische Rebsorten」を立ち上げ、自らが再発見した地場品種をドイツ各地の20の醸造所に委託して栽培し、ワインに醸造している(https://historische-rebsorten.de/)。グリュンフレンキッシュ、シュヴァルツウルバン、グリューナー・アーデルフレンキッシュといった聞きなれない品種のワインがすでに瓶詰販売されているが、ヴァイサー・ロイシュリング、ゲルバー・クラインベルガー、アルブストといった約25品種も試験醸造の段階に入っているという。

 温暖化への対応策としては歴史的品種の再発見だけではなく、もちろん人為的な交配による品種開発もすすんでいて、たとえばカビ耐性品種(略称ピーヴィーPiwi)を挙げることが出来る。その多くはヨーロッパ原産のヴィティス・ヴィニフェラとアメリカ原産品種のハイブリッドで、レゲントやヨハニターといった品種が知られている。農薬を使わない栽培に有利で、近年は高温多湿になることの多い収穫期にブドウが傷みにくいといったメリットがある。だが、10年以上前から注目はされているものの、味わいは伝統品種に及ばないこともあってか、今もあまり普及していない。

 

 現在ドイツのブドウ畑の約4分の1の栽培面積を占めているリースリングだが、2018年のような暑く乾燥した天候の年が続いたなら、ヨハネスが危惧しているようにいずれは栽培が難しくなり、別の品種と植え替えなければならなくなるかもしれない。フランスや地中海沿岸で栽培されている品種が北上するというこれまでの温暖化のシナリオに対して、ドイツで長い年月をかけて環境に適応してきた多数の歴史的品種の中から、未来のドイツワインを担う古くて新しい品種が登場したらと考えることは興味深い。あるいはゲミシュター・ザッツが普及したり、現在よりも多種多様な品種が栽培されるようになったりするかもしれない。それは何年後になるかわからないが、寂しくもあり、楽しみでもある。

(以上)

 

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

 
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