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ファイン・ワインへの道vol.32

マルゴーに迫る、シノンの話。

 きっと、誰にも信じてもらえそうにない話です。シノンは「魅力という点ならば驚くほどマルゴーと近似している」なんて。
 しかし、この文言は、M.W.ジャンシス・ロビンソンの記述なのです。
 正確に引用すると「100年ほど前、シノンのワインはマルゴーと同じように高い評価を受けていた。現在は、力強さや構成力はともかく、魅力という点ならば驚くほどマルゴーと近似している」。
 う~ん、今日私たちが持っているイメージと、あまりに距離がありすぎて、ニュアンスが掴みきれませんか・・・・・・? これがジャンシスの言葉じゃなかったらネットで暴言扱いされて、このコラム大炎上ですかね・・・・・。しかし、冒頭のフレーズは、100年前の状況の話ではなく、あくまで今日のシノンについてのM.W.の見解なのです。もちろん、彼女の試飲感受性については賛否様々な世評があり、この稿は虎(猫?)の威を借る狐、的に「シノンはマルゴーに近似する」と断ずるものでも、その優劣を論ずるものでもありません。また当然、シノンとマルゴーの比較は、例えばボサノヴァでジョアン・ジルベルトとトム・ジョビンを比較するようなもので、前提は「それぞれに良さがある」ということ。ただジョビン/ジョアン比較との違いは、それにしても、シノンはあまりに日陰の存在にすぎる、ということでしょう。

 そんな中、今回シノンの話を持ち出すのは、ここ最近、立て続けにシノンの潜在力と偉大さ、そして卓越したフィネスをしみじみ実感させてくれるワインに出合ったからです。
 ロワール河とヴィエンヌ川の合流点に広がるAOCシノン。トゥーレ-ヌ地区に内包され、ロワールの地図全体から見るとそう大きくない地域に見えますが、のべ2,360haの栽培面積は、マルゴーとサンジュリアンを合わせたほどの規模。土壌の一部にはシレックスや粘土石灰岩も含まれます。
 そのシノン東部、ティゼ村で、まるで時代劇(ヨーロッパ版)に出てきそうな、原始的な石灰岩の穴蔵セラーからワインを生む怪人が、ジェラール・マリュラ。ロワール自然派の先駆、ジョー・ピトンでの修業後、2005年に0.45haからドメーヌをスタート。畑のカベルネ・フランは樹齢70年近い古木も多く、醸造所ではステンレスタンクなど、金属物質がほぼ皆無ゆえ、除梗さえも全て手作業で、選果しながら行うという、鬼気迫る職人肌の持ち主です。
 しかし、そんなバック・グラウンドを全く知らずとも、ワインを飲めば、その傑出度、その偉大さは即・瞭然。
 自分の視力が急に10.0になったかのような、目覚ましい透明感と純美さある果実味、しっとりと歌い踊るようなスミレ、ブラックチェリー、黒鉛、ミネラルのアロマ、ほどよくミディアム、かつ多層的で甘みある酸とタンニンの格調高さ。その全ての卓越度と、純潔さは、まるで伊勢神宮のすぐ前を流れる五十鈴川の清流で身を清めたような気持ちにさえなる、素晴らしさなのです。
 ゆえ、マルゴーでマリュラのシノンに匹敵するフィネス(単調なパワーではなく)を持つワインを探せとなると……、それはきっと激しく骨の折れる仕事。さらに、同じ価格(わずか3,800円ほど)となると・・・・・、ほぼ不可能、という思いもちらつきます。
 そしてもう1本、シノンあっぱれ! と最近思わせてくれたのが、クロ・デ・ロッシュ(アラン・エ・ジェローム・ルノワール)の1988年。30年の時を経て、妖艶至極に増した繊細な陰翳と、細かくセクシーな甘みあるタンニンの多層性、バラのドライフラワー、紅茶、マッシュルームのアロマが勢いよくグラスから飛び出す活力、長い余韻は、まさに歓喜のワイン、そのものでした。しかもお値段、パリの某ビストロで、たったの45ユーロ・・・・・。もう1本オーダーすべきだったと、今、後悔しています。なぜなら、ボトル1/3ほど残してホテルに持ち帰ったワインは、翌日もほとんど、崩れてなかったので。
 ちなみにこの造り手は1900年前後に遡る歴史を持つ、ロワール・ビオロジックの先駆の一人です。ただし、筆者不勉強ながら、この生産者の最近のヴィンテージは未確認で、申し訳ありません。1988年ものは、30年の熟成で、若い時点の欠点が和らいだ可能性もなきにしもあらず。ゆえ、このワインの話は、優良年シノンの愛すべき長熟力をご報告するにとどめます。

30 年熟成のシノン/クロ・デ・ロッシュ(右)。 セクシー至極なフラワリーなアロマと、多層性ある タンニンが悩殺的。

 

 

 そしてやはり、この地の話をするなら、フランス・ルネサンスを代表する偉大な作家であり医師、反権威という意味ではパンクスでもあったフランソワ・ラブレーの出身地ということは、ふれておきたいところ。
 代表作「ガルガンチュワとパンタグリュエル」は、教会など当時の既成権威を嘲弄したため、一時は禁書にもなりました。そのラブレーが幼少期をすごしたスイリー村の家は、現在フランソワ・ラブレー博物館として見学も可。実際に彼が使用していた書斎や直筆原稿などの他、16世紀の家庭用ワイン醸造器具も展示され、作品によく登場するドリンク「ヒポクラス」も販売されているそう。この飲み物、中世では一般的だったそうで、ワインに蜂蜜、シナモン、ショウガなどを加えたものだそうです。
 何といっても代表作の主人公である巨人・ガルガンチュアは、世に生まれ落ちた時の泣き声が「おぎゃー」、ではなく「のみたいよー、のみたいよー」だったという男。17,913頭の乳牛の乳で育ち、アンドゥーユ(腸詰め)族が支配する獰猛島と戦った勇士でもある訳ですが・・・・・作品に度々出る大宴会場面で登場する料理とワインが何だったのか・・・・・、また機会を改め、探求したいものです。ちなみにこのラブレーの家は、先述した豪腕生産者、ジェラール・マリュラのカーヴのすぐ隣村というのも、不思議な縁ですね。

 ともあれ、シノン。先述のマリュラだけが例外的に卓越した生産者ではない、と思いたいもの。もちろん数は多くはないけれど、真摯な自然派生産者を探せば、もし「シノンがマルゴーと近似するなんて、無礼千万だよジャンシスは!」とお怒りの方も、少なくとも彼女のこの言葉には共感していただけるはず。
 「その品質は、ばかばかしいほど過小評価されている」。
 そこに加え、もうワン・フレーズたたみかけて。下記の「今月のワインの言葉」を持って、今回の締めとさせていただければと思います。

 

今月の、ワインが美味しくなる音楽:
モーツアルト『弦楽四重奏第14番:春』

曲名、「春」。そのままに。

まさに、春、そのもの。春の、心うき立つ、何もなくてもうきうきと嬉しくなる雰囲気、ほっこり温かな風と、舞う桜の花びらまでが音で描かれたような、映像的で絵画的な弦楽四重奏曲です。クラシック? 堅苦しいなぁ、なんてお思いの方も一転、クラシックに一気に親しみを感じてもらえそうな、キャッチーな幸福感に満ちたメロディーは、やはりモーツアルトならではの神業。お花見のスパークリング・ワインやロゼとの相性はもちろん、普段ご自宅のベランダで、ただ温かくゆるんだ空気を愛でつつヴァン・ナチュール、なんて場面にも、この曲。幸せ度を高めてくれると思いますよ。ほ~のぼのと。

https://www.youtube.com/watch?v=JzKWbffbmiI

 

今月のワインの言葉:
「我々は、本当に称賛に値する人よりも、世間で称賛されている人のほうを褒める」 ジャン・ド・ラ・ブリュイエール(啓蒙主義の先駆と言われる、17世紀フランスの作家)

 

寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載中。


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