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ドイツワイン通信Vol.89

公開日: : 最終更新日:2019/03/01 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

死と再生とワイン

 月の満ち欠けと暦

 2月19日は満月だった。横浜は小雨で目にすることはできなかったが、今年一番の大きな満月だったそうだ。中国や台湾では、旧暦で新年を迎えた後に訪れる最初の満月の日を「元宵節」と呼ぶ。台湾ではその夜、願い事を書いた紙風船の下部に炎を灯し、一斉に天に向かって放つお祭りが開かれる。オレンジ色に輝く紙風船がゆるやかに上昇していく様子は、人々の願いだけでなく魂も、天に昇っていくかのように見える。

 周知の通り旧暦は、月の満ち欠けに従っている。一年で一番夜の長い冬至の日の後、最初に新月が訪れる日が旧正月で、中国、台湾、シンガポールなど中華文化圏ではこの日を「春節」と称して、新暦の1月1日よりもずっと盛大に祝う。旧暦の大晦日(「除夕」)から春節の三が日にかけては祝日で、その前後をつなげて約一週間の連休となる。この間に故郷の実家へ家族が集まるのが伝統だが、近年は家族で海外旅行に出かけたりすることもあるようだ。

 一方、キリスト教文化圏でも、イエス・キリストの復活を祝う復活祭は、月の満ち欠けによって日程が決まる。こちらは冬至ではなく、昼と夜の長さがほぼ同じになる春分の日を起点とする。春分の日を過ぎ、やがて満月が訪れると、その次の日曜日が復活祭(イースター)である。今年は4月21日だ。ドイツでは復活祭直前の聖金曜日と、その翌日の月曜日も祝日となるので、春節と同様に家族が集まることが多い。復活祭の日曜日、小さな子供がいる家庭では、大人たちが庭のあちこちに、殻をカラフルに着色したゆで卵を隠し、子供たちがそれを探す行事が風物詩となっている。

 

イエス・キリストの死と復活

 

 復活祭の前には「四旬節」と呼ばれる断食期間がある。「四旬」とは40日を意味し、キリストが40日の間荒野で修行したことを想起する期間で、復活祭の7週間前の水曜日(「灰の水曜日」)から始まる。その直前の月曜の「薔薇の月曜日」と火曜の謝肉祭(今年は3月5日)には、ドイツ各地で町を挙げた仮装行列が練り歩き、居酒屋ではドンチャン騒ぎが繰り広げられ、酔っ払いたちで大いににぎわう。だが、その翌日の「灰の水曜日」の朝の静けさは、まるで喪に服すかのような趣がある。

 四旬節の断食期間は「灰の水曜日」から、復活祭の前日の「聖土曜日」まで46日間続く。それは仏教において、死者の命日から喪に服す四十九日とほぼ同じ長さなのは興味深い。四旬節がなぜ40日を基準としているのか。旧約聖書でモーセが民を率いて荒野をさまよったのが40年間であり、ヨナがニネヴェの人々に改心しなければ町が滅びると触れ回ったのが40日間であった。イエスが磔刑から蘇ったのち昇天するまでの期間も40日間である。キリスト教において40は特別な意味を持っており、四旬節の長さはこれにちなんでいる。

 一方、仏教の四十九日は死者が冥途へ向けて旅をする期間である。今生と後生の中間にいるため、この期間を「中有」あるいは「中陰」と称する。インド仏教では輪廻転生の思想に基づき、没後四十九日目に、次の生では六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の中のどの世界に生まれ変わるかが決まると考えられていた。中有もしくは中陰の期間は、七日ごとに閻魔王によって審判が行われ、生前の罪が裁かれるため、遺族は七日ごとに法要を営む。やがて仏教が中国に伝わると、閻魔王の他に9人の審判官加わって十王となり(不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来)、七回目の審判で地獄道、餓鬼道、畜生道に落ちても、追加の三回(百ケ日忌、一周忌、三回忌)で救済されることになった。

 ちなみにキリスト教のカトリック教会にも、仏教の中有あるいは中陰に相当する「煉獄」というステージがある。天国にも地獄にも行けなかった死者の魂は、煉獄の炎によって罪を清められたのち、天国に入ることが出来る。煉獄の期間を短縮するために、遺族や友人たちは故人が亡くなった日から3日目、7日目、30日目、そして毎年の命日に、教会で追悼のミサを挙げて魂の救済を祈り、その後茶話会や会食をして故人をしのぶ。

 

中世の追悼ミサと宴会

 

 現代のキリスト教における追悼は、仏教に比べると一般に簡素になっているようだが、ドイツの中世において追悼は、より重要な意味を持っていた。勤労者はギルドやツンフトといった同職団体に所属し、その同職団体は特定の教会に祭壇を持ち、そこに守護聖人を祭っていた。彼らは信仰する守護聖人の祭日に集まり、亡くなったメンバーの追悼ミサを挙げ、魂の救済を祈った。その後、特定の居酒屋に場所を移して宴会を行った。宴会というと語弊があるかもしれないが、仲間内で集まって飲食をともにすることは、時代や世の東西を問わず、集団結成の根本的な要素である。「中世のギルドが全員で一緒に食べたり飲んだりすることは、今日我々が想像できないほど切実な一大事であった」と、ドイツの社会学者ゲオルグ・ジンメルは論文『食事の社会学』の中で書いている。「中世に生きる人々の、危険と隣り合わせで不安定な生活において、それはいわば目に見える確かな拠り所であり、常に新たな事態に適応する仲間と共にいることの、安心感の象徴でもあった」と。

 中世の追悼宴会では、もちろんワインやビールが供されたが、死者が遺言状の中で追悼ミサの参列者に、ワインやビールをふるまうことを指定していることがあった。14世紀から17世紀にかけて北ドイツの有力な商業都市が構成したハンザ同盟の盟主であり、港湾商業都市として栄えたリューベックの一市民は、1377年に作成した遺言状の中で以下のように指定している。「良質なライン産ワイン一樽を(追悼ミサ参列者に)等しく分け与え、わが愛とともに心楽しく飲まれんことを」。そしてこう続けている。「(遺言状で指名した69名の町の名士たちのうち)10名もしくはそれ以上が、町を離れたりしてミサに出席できなかった場合、ワインの配布を行う必要はない」と。この遺言状をしたためた動機はおそらく、追悼ミサに大勢の名士を集め、北ドイツではぜいたく品であったワインを大盤振る舞いして、ミサが盛大なものとなることを意図していたのだろう。(詳細は中世北ドイツの兄弟団と宴会についてまとめた拙稿参照:http://docs.wixstatic.com/ugd/e62cf4_f528297fb6c343f99e9d7b6aa4c4dccf.pdf

 

 このリューベックの市民の他にも、ワインやビールを追悼のミサの際に皆で飲むように、という遺言はいくつもある。また、修道院に追悼のミサを永年にわたり挙げてもらう代償として、ブドウ畑を寄進したり、ワインを納めるようにと指定したりしている王侯貴族たちの遺言も伝承している。そうして修道院の手にわたったブドウ畑が、今日も銘醸畑として知られている。

 

死者の記憶

 

 ヨーロッパ中世の遺言を見ていると、「忘れないでほしい」「覚えていてほしい」という、故人の願いの強さが伝わってくるような気がする。この世に生きる人々が、故人を想起して追悼のミサを挙げることによって、あの世の故人が苦しむ煉獄の期間が短くなるというご利益を期待できたという事情はあるにしても、後に残された人々の記憶に残ることへの願いは、切実なものだったようだ。

 

「愛する者の記憶の中に
 生きる者は、
 死んではいない。ただ遠くにいるだけだ。
 本当の死は、忘れられた時に訪れる」

 

 19世紀のオーストリアの作家クリスチャン・フォン・セドリッツの演劇「セヴィリヤの星」の中のこの一節は、ドイツでは哲学者カントの言葉と取り違えられて知られている。自分のことを思い出してくれる人が誰もいなくなってしまったなら、自分が生きていたことの意味もまた永遠に失われてしまうという怖れと虚しさを、死というものがより身近であった昔の人々は、はっきりと意識していたに違いない。それを免れる仕組みがキリスト教における追悼のミサであり、仏教における年忌法要なのだろう。

 

死と復活

 

 キリスト教においてもうひとつ、「復活」という重要なモチーフがある。13日の金曜日にゴルゴタの丘で罪びととして十字架にかけられ、イエスは死んだ。その三日後の日曜日の早朝に、信者だった女たちが墓をたずねていくと、入り口をふさぐ大石の上にいた天使がイエスの復活を告げた。「あの方はここにはおられない。行って皆に伝えよ」と。イエスはほかにも、神の子として死者をよみがえらせている。そして信者たちは皆最後の審判の時によみがえり、イエス・キリストの裁きをうけて永遠の生命をあずかることで死を克服し、神の国を継ぐとされる。

 この、死と復活のモチーフは、ワイン造りに重ねることができる。ブドウは収穫されることで植物としての生命を全うし、発酵を経てワインとして蘇る。とりわけクヴェヴリを地下に埋めるジョージアのワイン造りは、ブドウが一度埋葬されることで、よりはっきりと死と再生のモチーフに重なる。ブドウがワインとしてなってよみがえり、永遠とは言わないまでも新たな生命をうけ、何年、あるいは何十年もの間、人々の心を楽しませる。ブドウ畑でもまた、冬枯れたブドウ樹は生きているようには見えない。しかし春先には剪定された枝先から、キラキラと輝く涙のような水滴をしたたらせて生の証を示し、復活祭の頃に小さな、かわいらしい若葉を開く。

 今年はすでに何人も、敬愛する人たちが逝ってしまった。しかしたとえ目に見えず、声を聞くことは出来なくても、人々の心の中であなたは生き続ける。あなたに恥じない生き方をしなければと思う。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。


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