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エッセイ:Vol.138 豊岡憲治さんを偲んで

まとめ:
 奇抜な文章と驚くべき治療効果をつうじて、O-リング・テストの実用性、凄さと可能性を教えてくださった医師、豊岡憲治先生が他界された。刺激的なまでの分析事例と、実際の診断・処方サイクルとをくみあわせた「豊岡流」には、たぐいない説得力があった。人はだれからも、いかようにも学ぶことができるのだ。実際わたしは豊岡流を換骨奪胎して、日常の業務と生活にまで活かしている。日々問題を発見し、思考実験を繰り返しながら、解決法=前進への道を模索するのが、ビジネスに携わるわたしたち実務家の務めではなかろうか。

本文:
 大村恵昭博士の独創になる、「バイディジタル O‐リングテスト」(略称:O-リングテスト;米国で生物学特許獲得済)について、なにもかも教えてくださった豊岡憲治先生が、この12月2日に他界された。1947年生れというからには71歳(未満?)の若さで、あまりにも早い旅立ちである。他人のために生きることの難しさを、身をもって示したとも考えられるわけで、豊岡さんから助けられた身としては、申し訳なく感じずにはおられない。

 先生が独自に発展させた領域は、医学的な診断法と漢方薬による効果的な処方だけではない。豊岡さんはその技法を応用して、ひろく人々の生活のしかたにまで及ぼしたのである。青森県は浪岡で豊岡さんの周辺にいた方々は、スーパーマーケットで買い物の仕方まで先生の真似をし、先生が買ったのと同じ商品を買い物かごに投げ入れていたから、呆れるほかない。が、それほどまでに豊岡さんは影響力が大きく、説得力が高かったというべきだろう。
 けれども、豊岡流の結果だけを入手したがるより、その手法や発想と考え方をわが身につけるよう、なぜ努めないのだろうか。2005年、青森のとよおかクリニックに6日間滞在し、余禄としてO-リングテストの実技まで教えていただいたあと、「実習」のステップのありさまを見て、つくづくそう考えた。これは、制度の仕組みではなく、制度を作りだしてその動因となる、目に見えない「制度のなかの精神」に注目する、マックス・ヴェーバー流の見方でもある。ま、ちょっと大げさだけど。

 ではなぜ、O-リングテストには、そのようなことが可能で、応用性が高いのか? 私見によればO-リングテストという技法は、たんなる医学的な診断法の域を超えた《可能性のアート》という側面を持つ。ゆえに、《身体反応を用いた、違和の発見と解決模索の手法である》と、言い換えることができる。とすれば、違和は人体だけでなく、身のまわりはおろか、世界中どこにでも見られる問題や現象であり、B・ブレヒトならば違和(感)は潜んでいる矛盾が実態として現れ、感じられたのにすぎない、と嘯くことだろう。「すべては解決できる」(マルクス)のではなく、すべては疑い考えることができる「問題」であるだけで、解決は必ずしも保証されてはいないのが、人生であり、世界であるのだ。

 じつは、一見単純で簡単に覚えられそうに見えるO-リングテストだが、やはり万能ではない。われら人間は、常識や固定観念、潜んだ私利、歪みや状況に流されがちで、過ちに導かれやすいという弱点がある。客観的であろうとし、判断が中立を保ち、私利を克服するためには、想像を絶するような修練がいる。
 だから晩年の講演会で豊岡さんは、しみじみと「O-リングテストは難しいですね」と述懐されたのだろう。O-リングテストは、だれもが使え、使いこなすことができるような便利な道具などでは決してない、といくら強調しても、しすぎることはない。むしろ、狂気のような冴えを秘める、村正の名刀に近いかもしれない。我が身をも傷つけかねないという意味では危険きわまる、厄介な狂刀にちかい。

 背景としてワインをしっかり身につけていないとしたら、この手法をワインに応用しようなどと考えるべきではないのだろう。ちなみに、患者として青森に滞在したおり、わたしは先生に持参したワインを見ていただいたが、先生から好評をいただくには至らなかった。ところが、豊岡さんにお願いしてスーパーマーケットの棚にあるワインの中から「良いもの」を選んでもらったら、その結果は例えば凡庸なアメリカ産ワインなどだったのです。なので、早くからわたしは、《O-リングテストの達人、必ずしもワインの質を判断する、あたわず》と、達観していたようなところがあるのです。

結論:
 O-リングテストは、手に入れやすそうに見えて、我がものにすることは容易でないこと、ワインもおなじ。まして、ワインはーカント流に言えばー、多くの人にとって、手段ではなく目的そのものなのです。
 そこで。あるべき質を備えたワインを求める、一群の「幸いなる」ひとたちがいる。その人たちの期待に応えられるようなレヴェルの仕事をし、それができる体制を作り整えることは容易ではないし、(生産者も消費者もふくめ、関わるすべての)他人の楽しみを我がものとするような境地に到るのは、至難ですね。しかし、だからといって、それに近づくのは不可能ではない、とわたし自身は考えています。それには、志をともにする「同士」のような存在が必要です―社内にも、社外にも、世界中にも。それが、あるべきワイン界の姿なのでしょう?

 こういう考え方もまた、豊岡さんから学んだといってもいいのです。
 さようなら、豊岡さん。
 そして、有難うございます、心から。

参考:
 「ハイハイQさんQさんデス」という、邱永漢さんの公式ウェブサイトには、〝hi‐Q″(ハイ キュー)ライブラリーが備えられ、60人にのぼる豪華、ときに軽薄な、執筆陣を擁していた。この膨大なサイトは、邱永漢さんの寛大かつ絶大な好意のおかげで、邱さん亡き後も、興味のある人は今なお参照できるように計らわれています。

 
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