Sac a vinのひとり言 其の二十二「甘くて甘くない話」
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最終更新日:2018/12/19
建部 洋平の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
甘口のワインが売れない。
そんな話を最近することが多い。ワインのお好みをお客様に伺うと「甘いワインはちょっと…」「ペアリングに甘いワインが入っていたら違うワインに差し替えて欲しい」という答えが返ってくることが頻繁にある。(笑い話として「赤ワインが飲みたい、但し甘口のピノ・ノワール以外ね」と言われた時は反応に困ったが。)
もちろん魅力的な提案やフェアーの企画などで精力的に甘口を販売、提供している方々がいることも承知しているし、根強いファンがいることも理解している。
ただ、低糖質やローカーボなどの健康志向やライト志向への偏重は世界的な流れであり、今後より一層進むであろうし、そうなると甘いもの自体が避けられる事態になるであろうし、実際その傾向はレストランにおけるデザートのライト化(これに関しては食事のライト化だけが原因ではないが)などに見受けられる。フォアグラのテリーヌにはソーテルヌやジュランソン、Baba au rhumにはマルティニーク島のラム、ショコラにトゥニーポートやバニュルスを提供していたようなメゾンに勤めていた人間としては、このような状況は些か寂しくも感じる。まずは何故甘口ワインの提供機会が減ったのか、飲食店側から見た事例や事情から探り、それを吟味していきたい。いくら素晴らしいから、伝統だからと唱えてみてもお客様に喜んでもらえないなら意味などないのだから。
(1)レストランにおいての食事の日常化から来るライト化又は簡素化
現在のレストランのシチュエーションにおいて、提供される食事から油脂分や糖質が逓減傾向にあることは皆様周知の事実であり、其れを一々説明する意味はないし、思い出に浸って「昔だったら〜」などという繰り言を述べても仕様がない。
述べなければならないのは、何故そのような方向に向かったかである。
前述の健康志向と言うのは、のちの段落で説明するのでここで触れないが、健康志向は大きな要因ではあるが、それだけではこのような状況にはならない。
では何か?
過去から、具体的には20世紀後半から現在において食事の民主化、一般化が進んだことが無視できない要因だと私は考える。
元々レストランという機構は非日常的空間であり、特別な瞬間におとずれるもので有った。1年に一回や記念日、ややもすると一生に一回しか訪れる機会が無い類の場所であった。そのような超絶的な非日常空間においては、王侯貴族や高級官僚などの所謂“お大尽様“などでもない限りは、健康的、胃にもたれる、重いといった論調は影を潜める。
要するに後先考えずに享楽に耽るわけである。
翻って現在に戻ろう。“レストランにおける食事”という単語は、程度の差はあれど日常的に交わされるものとなっている。接待や付き合い、様々な要因はあろうが、現代においては連日のレストランに於いての食事というものは容易に起こり得る事象となった。超日常的な隔絶されていたものから、日常という相対的に変化し得る連続的な文脈の一コマへと収まったのである。そうなると、日常における卑近なキーワード、“健康”“消化に良い”“もたれない”などと共に、“レストラン”という単語は組み込まれ、その価値は相対的に変化するものとなった。一般化されたと単純化しても良いだろう。その後レストランシーンがどのように変化、対応していったのかは近代の簡素化、ライト化の流れを見れば一目瞭然である。食事が変わればワインも変わる。その性質上、ライトなワインということはあり得ない甘口(甘みではなく甘口)ワインの出番が減少するというのは必定であると言える。証拠はわざわざ提示するまでも無く、今現在の状況を見れば理解できるであろう。
(2)ワインというものの一般化と繰り返されるクラシックからライトへの嗜好の移行
これはワインに限ったことではないのであるが、こと飲料においてはなんらかの酒が流行、一般化されると、その次の段階としてオリジンや典型と呼ばれるもの、所謂クラシックと呼ばれるものから比較してよりライトな方向への需要が高まる傾向にある。例としてあげることが可能であるのが、シャンパーニュのDouxやDemi–secからBrut、更にはExtraBrutへのニーズの変化、パーカーポイントに拠る世界的なワインの一般化と、情報共有化からの画一的な状況の忌避を一因としたナチュラルワインへの顧客の嗜好の変化。ワイン以外では、ビールにおけるスーパードライが一時期隆盛を誇ったことを見れば理解しやすいと考える。これは近代に限ったことでは無く、シェリーの甘口から辛口への歴史的移り変わりや、マティーニからドライマティーニへの流行から見るカクテルのライト化などからも分かる通り、歴史的に何度も繰り返されてきたことだ。
一般化されることにより消費の頻度が増加し、やがて日常的な服用となる。そうなると、金銭的、消化的な意味での“気軽さ”と言うものへのニーズが高まるのはロジックとしても自然であると言える。要するに量を飲むようになるので、余りヘビーだと飲みつけなくなってしまうのである。その辺りは読者の皆様の自身のワインの嗜好の変化を省みればこれ以上の説明は必要ないと思われる。
(3)健康志向の影響
世界的にカロリーや糖質制限、油脂分を回避する傾向にあるのは今更述べるまでもないだろう。甘口ワインである以上、糖分を含むのは必然であり、避けられるようになるのもまた自明の理である。 ただ甘口ワインは避けるのに、日本酒やビールを摂取するのならば余り変わらないのではないか?と思うのは私の依怙贔屓が過ぎるだろうか?
※糖質で言えば 100mlに付き
赤ワイン 1,5g 白ワイン 2g ロゼ 2〜4g
ビール 3,1g 日本酒4,1g
甘口ワインに関しては残糖分に由来するため、平均値は取れない。
ただ甘口ワイン自体元々少量、大体80mlも有れば十分満足感が得られるが、例えばビールであれば500mlくらい飲むのは普通である。
比較してみると
甘口ワイン(残糖分100g /1L)80ml×0,1=8g
ビール 100mlあたり3,1g 500ml×3,1=15,5g
となる。
摂取の仕方によっては寧ろ健康的とも言えるのだが…
(4)皿数の増大と満腹感、満足感
余り語られることはないのだが、個人的にはかなり重要と考えるポイント。
料理のコース構成が和食の影響から多皿構成に移り変わり、近年の料理の多様化、ライト化に伴って一皿のポーションの減少と皿数の増大は、近年のレストランシーンを語る上で前提ともなる事実である。それに伴って単一のワインで対応する事が困難となり、料理と合わせたペアリングへの需要が高まったことは以前述べさせて頂いた。
一回の食事の際に摂取する食事や飲料は、種類は増えたかもしれないが、量的な側面で見ると、実はそれほど変わらない。ただ皿の数や飲料の種類が増えたことにより、コースの時間は長くなり、調理法にもよるが嚥下する回数自体は必然的に増えると考えても良い。
そうなると、料理もそうなのだが種類と数が多いコースの途中で満腹になってしまう(満腹中枢が満たされてしまう)ことを避けた皿やペアリングの構成が必然的にならざるを得ない。料理の場合は油脂分や炭水化物の削減、ワインの場合はアルコール分の高い物や糖分を多く含むものを削減する事となる。
ワンポイントで提供することもあるが多用することは余り見受けられない。
ここまでの話をざっくりと纏めると
飲食物のライト化と一般化により甘口ワインの魅力であり強みである
“甘く飲みごたえがあり、満足感を与える”
という点が、そのまま売れない理由となっている。
と言えるのかもしれない。
ではどうすれば売れるのか?といった話はここで論ずるつもりはない。
今回の目的は、一つの事象に対するクラシックな店舗にいた人間から分析であり、また今後どの様に対処していくか? その為に一度整理して、とりあえずの発信ということを目的としたものである。
ミクロ的な活動、要するに現場での働きかけはすでに始めているし、マクロ的な活動はまだまだ準備と仲間が必要であるし、ここに書くことがあれば、それは結果報告とその分析になるであろう。
こんな面白いことは自分自身で実行したいのだから。
~プロフィール~
建部 洋平(たてべ ようへい)
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー