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ドイツワイン通信Vol.85

公開日: : 最終更新日:2018/11/15 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

昨今のドイツワイン事情

 今年の収穫は例年よりも早く始まったが、10月下旬に入りモーゼルでは午前中は霧が渓谷を覆い、午後の青空がひろがるという絵に描いたような貴腐ワインの収穫日和の中で作業が続いた。

 10月22日付のメールで、モーゼルのルドルフ・トロッセンは以下のように語っている。

 「今年は生産者にとって『夢のようなヴィンテッジ』として歴史に残るだろう。
 われわれ生産者にとってもこれ以上は望むべくもない年だった。早々と始まった展葉に続いて、開花はとても早い時期に一斉に進行した。3~5月は十分に雨が降り、地中に水分を貯めることが出来た。それから稀有な夏が始まった。陽光に満ちて、あらゆる植物は急速に成長した。ただ、もうすこし雨が降ってくれたらと思った時期もある。日照りが続き、有機物が少なく傷んだ土壌は干上がって、至るところで大地は枯れ、干からびて褐色に染まり、牧草は伸びず、ジャガイモやトウモロコシの実は膨らまなかった。農民たちは不平をならして政府の支援を要求した。生産者たちは若いブドウ樹に水をやって救わねばならなかった。しかし深くまで根を張った古木は高温と乾燥を耐え抜いた。
 8月末と9月はじめに雷とともに待望の雨が降り、ブドウはたっぷりと果汁を蓄えて、丸々と金色に染まってきれいに熟した。やがて9月中旬、再び夏が訪れたかのような暑さとなった時に収穫を始めた。いつものように手作業で、傷んだり未熟だったりした房をブドウ畑でよりわけた。現場で笑い声や冗談をとばす楽しい気分の人々の存在がブドウ樹になんとなく伝わって、より印象的で深みのある、おいしいワインにしているのだと私は信じている。
 素晴らしく美しい、文句のつけようのないほどきれいに熟した収穫で、久しぶりに樽をワインで満たすことができそうだ。野生酵母で発酵した新酒は、黄色く熟してエキゾチックにすら感じるフルーツの香りがする。酸の構造も申し分ない。その出来栄えにはとても満足しているし、十分な量のシーファーブルーメやジルバーモンドや、ワイン愛好家の望むそのほかのすべてのカテゴリーのワインもできるだろう。さらに今年は初めてペットナットを醸造することも考えているので、楽しみにしてほしい。

モーゼルより
ルドルフ・トロッセン」

・昨今のドイツワイン事情
 先日、東京ドイツワイン協会の主催で「輸入を通して見る昨今のドイツワイン事情」というセミナーが開催された。講師は(有)伏見ワインビジネスコンサルティング常務の黒川竜次郎氏。1997年からラインガウのヘッセン州立醸造所とモーゼルのホスピティエン慈善協会醸造所でそれぞれ1年ずつ研修して、2000年に父・英作氏の経営する同社に入社したので、かれこれ18年間、日本のドイツワインビジネスに携わっている。

・20年前の記憶
 黒川氏がホスピティエン慈善協会醸造所で研修を始めた1998年、私もまた9月からトリーアに住み始めた。今からちょうど20年前のことだ。当初は3年間の予定でトリーア大学に留学したのだが、私費の個人留学だったのでDAAD(ドイツ学術交流会)や日本の大学のサポートはなく、大抵のことは自分で解決しなければならなかった。
 最初にして最大の課題は住む場所をみつけることだった。黒川氏は醸造所の経営母体であるホスピティエン慈善協会の敷地内にある、老人ホームとして利用されているアパートの一室をあてがわれたそうだ。19世紀はじめにナポレオン・ボナパルトが、市内にあった複数の教会や修道院が運営していた慈善施設をモーゼル河岸のイルミーネン修道院に統合したのが慈善協会のはじまりで、今でも地元ではホスピティエンのことを「イルミーネン」と親しみを込めて呼んでいる。地下にはワイン樽の並ぶ中世初期の礼拝堂があり、ドイツワインの伝統を学ぶのには最適な環境だろう。
 一方私は、トリーアの駅前にあった安宿に泊まりながらアパートを探した。くたびれたベッドのマットレスは体を横たえると力なく沈み込み、年季の入った板張りの床は歩くたびにゴトゴトと音をたてた。安宿とはいえそれなりの値段はするので、そこに住み続けるわけにはいかなかった。最も廉価で条件が良いのは学生寮で、交換留学生には最初から用意されているが、私費留学生は順番待ちでいつ空きが出るかわからない。大学の学生課で民間のアパートの空き部屋の大家の連絡先をいくつか聞いて、公衆電話から電話をかけてアポをとってから見学に赴くのだが、当時はドイツ語もあまりできなかった。何度か連絡を試みてもうまくいかず、電話ボックスの脇に座り込んで眺めた9月の青空の深さは今も目に焼き付いている。
 アパートを探し始めて三日目くらいに、学生が多く住む民営のアパートの管理事務所と連絡がとれて、最初に下見に赴いた物件で即決した。何軒も見比べる時間も気力もなかったし、約20m2でシャワーと洗面所付きでミニキッチンと家具もそろっていて、家賃も光熱費込で月400マルク(約30,000円)だった。何より廊下の一番奥にある部屋で静かだった(もっとも、隣人がしばしばテクノを夜中に大音響で聞いたり、廊下で酒盛りをして騒ぐ浮浪者がいたりといった事は時々あったけれども)。
 駅の真裏にあるアパートから町の中心部までは歩いて約20分。途中大聖堂を抜ける際、祭壇のひとつの前に座って少し祈ることにしていた。無事に留学の目的を果たして、いつか人々の役に立つことが出来ますように、と。それからスーパーで食材などを買って中央広場にあるワインスタンドに立ち寄り、地元の生産者のワインを飲むことが日課になるまで、それほど長い時間はかからなかった。最初に借りた小さなその部屋は、13年後に帰国するまでずっと私の住まいだった。

・甘口の後退と辛口の台頭
 黒川氏のセミナーに話を戻そう。1999年にホスピティエンで日本向けのワインの発送作業していた時、ラジオから辛口ワインの生産量が甘口を上回ったという話題が聞こえてきて、黒川氏は寂しく思ったそうだ。「ドイツの甘口ワインをひろめよう」という熱意を胸に抱いて日本に帰ってきたが、案に相違して甘口ワインは後退を続けた。百貨店でも甘口ワインが置かれるスペースは減らされて、かわりにニューワールドの辛口ワインが増えていった。ドイツの生産者から送られてくるワインリストも、昔は甘口のカビネットがいくつもあったが、最近は少なくなって代わりに辛口が増えているという。
 昔に比べて需要が減っている甘口ワインをこれからどうやって売っていくのか。「甘口も食事にあうことが知られるようになれば、ドイツワインの可能性が広がるのでは」と黒川氏は考えている。たとえばリースリング・シュペートレーゼはローストビーフによくあうし、熟成した甘口ならばいろいろな和食にもあわせやすい。そういうことをもっと広く知ってもらえれば、レストランも甘口を扱うようになるのではないかと言う。
 2001年頃にドイツワイン基金の役職者が来日した際にも、黒川氏は甘口ワインを料理にあわせてはどうか、と提案したが「甘口を食事にあわせることは考えられない」と否定されたそうだ。当時ドイツワイン基金は「クラシックClassic」や「セレクションSelection」という、食事にあわせて楽しむ辛口から中辛口の新カテゴリーのプロモーションに躍起になっていた。ブドウ品種や残糖度などの基準を満たしていれば名乗れる「クラシック」と、収量を抑えて手作業で収穫した高品質な辛口「セレクション」は、もっぱら醸造協同組合や大規模生産者に一時期採用されたのみで、現在ではほとんど見かけなくなっている。

・ドイツワインと料理の相性
 その夜のセミナーでは、1970年代から90年代にかけてドイツワインの普及に尽力した古賀守氏の「ドイツワインの真髄」と題されたリーフレットが配布された。1998年3月付けの著者のまえがきがあるので、ちょうど黒川氏と私がモーゼルに住み始めた年に著されたものだ。「ドイツワインは、世界のワインの中で、唯一 ユニークなワイン」”Deutscher Wein einzig unter den Weinen”という、かつてのドイツワイン広報センターのモットーを引き合いに出しながらドイツワインの独自性を説いている。その中で料理との相性については以下のように述べている。「先ずフランスのワインが、全般的に重く壮大で、決定的な性格を有しますので、食物の味とのマリエージ(原文ママ)で、相手探しには多少の経験を要するのに対し、ドイツワインはまったく反対に、弱く軽く飲みやすい中に、味の骨格をなす強力な果実酸が総ての味と愛らしく調和をとっていて、食事の味のマリエーヂ(原文ママ)にもそのまま包容力が大きく、相性探しが容易なこと等です」と述べ、ドイツワインは「低カロリー低アルコールで、極端な高含有量の果実酸とミネラル分を含む」点でそのほかの国のワインとは異なると指摘している。(古賀守『ドイツワインの真髄』日本ドイツワイン協会連合会発行1998年)
 ここで古賀氏の念頭にあったのはおそらく甘口のカビネットだと思われる。ただ、近年は周知のとおり気候変動で収穫時の果汁糖度が軒並み上昇しており、実際に造りにくくなっているカテゴリーでもある。生産者からカビネットのオファーが少なくなっている背景には、辛口の生産が増えているとともに、ブドウが熟しやすくなってカビネットよりもシュペートレーゼの方が容易に収穫できるという状況もあるだろう。

・変わりゆくドイツワイン
 収穫時の果汁糖度で格付けが決まるという1971年に施行されたドイツワイン法の品質基準は、現在の状況とは乖離していることは間違いない。生産者も手をこまねいているわけではなく、全国の醸造所を統括するDWVドイツブドウ栽培者連盟が、呼称範囲が狭くなるほど格付けが上がる地理的条件を取り込んだ新しい格付け基準を検討していることは前回お伝えした(Vol. 84)(http://racines.co.jp/?p=10701
 ワインが農産物である以上気候の変化とともにスタイルが変わることは避けられない。生産の約70%を辛口とオフドライが占め、赤ワイン用ブドウの栽培面積が約35%に達している現在、何をもってドイツワインは「世界の中で唯一、ユニークなワイン」と言うことができるのか。現在の傾向に基づいて、以下に私なりの意見を述べてみたい。
 − 生産量は全体の3割程度と少なくなったとはいえ、甘口は今後もドイツワインの独自性を支えるカテゴリーとして残り続けるだろう。
 − カビネットは繊細な甘口として再評価されているが、生産量はヴィンテッジの天候によっては希少になる。同様の使い方ができるワインとして、クヴァリテーツヴァインのファインヘルプやハルプトロッケンが輸出市場で伸びるかもしれない(ドイツ国内は辛口指向が強い)。
 − 
平均気温が上昇してもドイツではブドウの成長期に雨が降るので、雨水に溶けた土壌の微量成分に由来するエキストラクトが果実に吸収・蓄積され、温暖化しても(今のところは)なお含有量の高い酸度とあいまって、ブドウ畑の土壌の個性を反映したミネラル感に富む辛口ワインとなる。これがドイツの辛口ワイン、とりわけリースリングの持ち味である。
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辛口の増加とともに、従来避けられることの多かったリースリングの乳酸発酵が市民権を得つつある。とりわけ亜硫酸量を抑制して、伝統的な木樽で温度調整を行わずに翌夏まで熟成する醸造では乳酸発酵は自然に発生するが、とくに不自然には感じられない。
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赤ワインに関しては品質が向上し国際競争力をつけつつある。ドイツはもはや20年前の「飛び抜けた白ワインの専門国」(上掲書14ページ)ではない。

 昨今のドイツワインの状況を知り、既存のイメージをアップデートするには試飲会で体験するのが一番良い。11月5日(月)は東京、翌6日(火)は大阪で、ワインズ・オブ・ジャーマニー日本オフィスが主催するドイツワイン商談試飲会Riesling & Co.が開催される(詳細:https://www.winesofgermany.jp/contents/2018/tokyo2018nov5th/)。㈱ラシーヌは両会場とも出展しておりますので、皆様のご来場をお待ちしております。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

 
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