『ラシーヌ便り』no. 153 「San Giusto a Rentennano」
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定番エッセイ, 合田 泰子のラシーヌ便り, ライブラリー
1)San Giusto a Rentennano
20年間通い続けたワイナリー【サン・ジュスト・ア・レンテンナーノ】の扱い決定と入荷のお知らせ
ガイオーレ・イン・キアンティにある、サン・ジュスト・ア・レンテンナーノは、イタリアワインの熱狂的なファンにとって、間違いなく最高峰の一つです。10年以上美しく熟成した、100%サンジョヴェーゼから生まれるPercarloに何度魅了されたかわかりません。
あまり知られていませんが、合田・塚原とサン・ジュスト・ア・レンテンナーノとは、深いおつきあいがありました。1995年に初めて仕事としてイタリアを訪問し、イタリア探訪を始めたころ、ル・マンジュ・トゥで大岡玲さんから初めてペルカルロ1990をご馳走になりました。古典的な味わいの〈キアンティ・クラッシコ〉と小樽で醸造された、古典と近代的な味わいをあわせもつ〈ペルカルロ〉に二人とも虜になり、ただちに取引をお願いしました。1995年秋のことでした。
サン・ジュスト・ア・レンテンナーノのペルカルロは、当時わたしたちにとって、モンテヴェルティーネのレ・ペルゴーレ・トルテと並ぶ、もっとも偉大なサンジョヴェーゼであり、今なおサン・ジュスト・ア・レンテンナーノのペルカルロは、偉大でありつづけます。
当時わたしは八田商店(現、㈱八田)に勤めていたので、八田商店を通じて輸入したサン・ジュストのワインを、サンリバティー株式会社が販売をすることになりました。1996年にわたしは八田商店を離れ、塚原とル・テロワールを設立しましたが、ワインの扱い権は引きつづき八田商店に残り、わたしたちは取引ができませんでした。
その後、サン・ジュスト・ア・レンテンナーノの最大マーケットだったドイツへの輸出量が減少した折り、新たな日本市場への展開として、別のインポーター社にも輸出されることとなり、二社への輸出体制が昨年まで続きました。
サン・ジュスト・ア・レンテンナーノが日本に紹介されて早や20年になりますが、わたしたちは同社とのつながりを大切にしてきました。ヴィニイタリーの会場では、ルーカとフランチェスコのマルティーニ・ディ・チガーラ兄弟との話し合いや懇親の場を持ち、時々ワイナリーを訪問し、辛抱強く取引の希望をお伝えしてきました。「サン・ジュスト・ア・レンテンナーノの真実の味わいを損なうことなく、日本に届けること」は、インポーターの使命であると信じ、その実現を夢見続けてきたのです。
昨年12月、塚原と合田玲英が訪問した際、「事情があって日本のマーケットを見直すことになりました。あなたたちは、ずっと通ってくれたインポーターで、日本に最初に紹介してくれた人たちです。ラシーヌと取引を始めましょう」と言っていただくことができました。この日がくることをどれほど待っていたでしょうか。待ちに待ったワインが、8月16日に、船積みされました。
11月終わりに、〈キアンティ・クラシコ2017〉をリリースする予定です。上級キュヴェのバロンコーレ、リコルマ、ペルカルロは、少し休ませたあと、3月上旬に販売開始予定です。2019年1月には、20年越の夢がかなった記念の食事会をするつもりです。皆様と一緒に、楽しめる日を、心より楽しみにしています。
2)フランス出張報告 その2(7月5日~20日)
2018年の作柄とピュズラ訪問
≪7月19日 ティエリー・ピュズラ 訪問≫
2016、2017と収量が少ないので、樽の数が少ない。種類は多いのですが、全て1ー2樽ずつというありさまで、あまりに収穫が少なくて、ルイヨンとカイエールを混ぜざるをえず、ティエリーはクイヨンという何とも赤面するような名前でリリースしました。 日本に60本、「Yasuko どうやって売るの?」とティエリー。本当に、どうやって販売すればよいのか、今年は頭のいたいワインが多いです。
2018年は、遅霜はなかったのですが、春に雨が多く、気温が高くなって、3週間前から酷いベト病が襲ってきました。開花の後にきたので、花芽に被害はなかったのですが、実が茶色くなっているものが多くみられます。「でも、もともと、実の量が多かったので、収量は平年並みだろう。2016,2017年よりましだ。」と久しぶりの収穫の見込みに、ティエリーは嬉しそうでした。
たまたま、来訪していた日本からの訪問客と同席しました。「暑い年と冷涼な年のワインの熟成はどのように違うのか」という質問にたいして「寒くはなく涼しい年は、時間をかけてゆっくりと熟成できる。2004、2008、2012は今美味しいね。2013年のように日照時間が少なく、気温が低くてブドウが完熟しない年は、2〜3年で飲むべきだ」と答えていました。
シャルドネ2005をご馳走になりました。そのワインについて、ティエリーは次のように話してくれました。「父がソーヴィニョン・ブランが嫌いだったから、シャルドネ、ピノ・グリがたくさん植わっていた。それで兄が継いだとき、ソーヴィニョンを植えたんだ。でもシュヴェルニーを造る比率より、シャルドネの方が多かったから、樹齢の若いシャルドネをシュヴェルニーに入れて、樹齢の高いシャルドネをVDTジャルダン・ド・フランスで瓶詰めしていた。」
貴重な古いワインをごちそうさまでした。