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ドイツワイン通信Vol.83

変わりゆくドイツワイン

 相変わらず暑い日が続いている。ひと昔前は28℃でも暑いと思ったものだが、最近は不思議なほど過ごしやすく感じる。ドイツでは8月中旬から暑さも一息ついて時々雨も降って、猛暑と乾燥でストレスのかかったブドウ畑と生産者達はほっと一息ついているようだ。モーゼルの中心都市トリーアの8月最後の週の最高気温は24℃。秋の気配が漂う。

 

・世紀のヴィンテッジなるか?

 ドイツでは今年も昨年に続いて記録的な早さで収穫に突入しつつある。2017年はモーゼルでも8月27日にフリューブルグンダー、10月2日頃からリースリングと、平年より約2週間前倒しで収穫が始まった。確かファルツでは9月末にはリースリングまですべての収穫を完了していたはずだ。

 そして今年は8月中旬にはアール、バーデン、ヴュルテンベルク、ラインヘッセン、ファルツから収穫を始めたという知らせが散見されるようになった。ドイツの各種メディアは8月6日にラインヘッセンでフェーダーヴァイサー、つまり発酵中の濁り新酒にする早熟品種の収穫が始まったとを報じていたが、8月18日頃からフリューブルグンダーやシュペートブルグンダーといった赤ワイン用品種の収穫が、アールとバーデンのカイザーシュトゥールで始まり、南ファルツでも28日から本収穫がはじまる。

 既に例によって「世紀のヴィンテッジなるか?」という見出しがニュースサイトで散見されているが、実際、今年は品質については文句なしに有望だ。2016年のように6月まで大雨が続いてベト病が蔓延するようなこともなく、2014年のようにオウトウショウジョウバエの大量発生といった問題も出ておらず、どの産地でもブドウは順調に完熟しつつある。量については2017年4月下旬の遅霜のような被害もなく、雹もファルツの一部、とりわけオーディンスタールの周辺で降ったものの壊滅的ではなかったが、8月上旬までの乾燥と暑さの影響で、モーゼルやファルツ、ラインヘッセンなどを含むラインラント・ファルツ州では平年を若干下回るものと予想されている。

 

・マイアラーの予想

 よく言われるようにヴィンテッジの成果は収穫が終わるまでわからない。とはいえ、2003, 2009, 2011, 2015と21世紀に入ってから4回あった優良年(2003年については意見が分かれるが)に続く、少なくとも品質の上では良年になることは、この先極端な天候の悪化がない限り間違いなさそうだ。モーゼルの若手醸造家のマティアス・マイアラー(Weingut Meierer)は8月23日付のブログで以下のように予想している。(参照:https://neu.weingut-meierer.de/das-ernte-orakel-2018-1/)

1.リースリングについては言われているほど収穫は早まらない。収穫開始は私の醸造所では10月1日を予定している。平年よりも早いが、先月考えていたよりも遅い。なぜか。深くまで根を伸ばしたブドウ樹は乾燥で成熟の進行がほとんど停止している。房の成熟状況にばらつきがあり、足並みがそろうまで待つ必要があるだろう。果粒と果粒の間に隙間が多く、灰色黴(貴腐菌)の心配も今のところない(だから急ぐ必要もない)。

2.貴腐の甘口が沢山出来る生産年にはならないだろうが、量は少ないものの高品質な、とても凝縮したワインが出来るだろう。

3.酸は今のところ明瞭に存在しているけれど、分析値は2017年を下回っている。若いうちから胃に負担の少ないワインになりそうだ。モーゼルでは酸不足は問題にならないが、どうなるかはこれからの成り行き次第。

4.まだ試していないなら、今年こそマセレーション発酵にトライしてはどうだろうか。ありきたりな話かもしれないが、果粒だけでなく果梗も一緒に房ごとタンクに放り込んでみては?酸が足りないぶん、タンニンのざらつきが飲みごたえをいくらか補ってくれるはず。

 マイアラーはモーゼルを代表する若手醸造家の一人で、ステンレスタンクで醸造するクリーンで繊細なリースリングが持ち味だがオレンジワインも醸造している。昔は軽くスッキリして口当たりがよすぎて物足りないと思うことが多かったけれど、最近は変わってきているかもしれない。

 

・ディルク・ヴュルツの転身

 この8月にドイツのワイン業界で話題になったことは猛暑のほかに、ブロガーとして影響力を持つディルク・ヴュルツの転職がある。ディルクは2009年からコンサルタント、2011年から栽培醸造責任者としてラインガウの伝統的生産者のひとつバルタザール・レス醸造所に勤務して、オレンジワインや亜硫酸無添加醸造のピノ・ノワール、リースリングのタンク内長期熟成など、様々な手法に取り組んで醸造所の評価を高めてきた。それと並行して2008年から続けているブログ(https://wuertz-wein.de/wordpress/)を通じて、ワイン業界を批判したりツィッターワインアワードなどの試飲イベントを主催したりしてワインジャーナリストとしても活躍し、ざっくばらんな人柄と歯に衣着せぬ物言いと的を射たものの考え方で幅広い支持を獲得してきた。

 ディルクが8月に就任したのはトコス・ベタイリグングTocos Beteiligung GmbHの「事業開発及びイノベーション・ワイン」部門の責任者である。トコス・ベタイリグング(Beteiligungはドイツ語で「参加」「関与」の意味)はStreet One、Cecilなどのファッションブランドで成功したデトレフ・マイヤーDetlev Meyerが、1983年に立ち上げた事業を売却した資金で2011年に設立した投資会社で、2015年にはドイツ最大規模のワイン商社ハウェスコ・ホールディングHawesko Holding AG(以下ハウェスコ)の筆頭株主となっている。ハウェスコはドイツ国内に約250店舗を展開するチェーン店「ジャックス・ヴァイン・デポ」Jacques‘ Wein Depotで知られているが、他にも複数の酒販卸売会社を擁し、2012年まではテレビ番組で活躍するソムリエ、ヘンドリク・トーマHendrik ThomaをMCに起用したネット通販番組TVino (サイトは現存しない)で話題になった(トーマはその後独自のネット番組Wein am Limit [www.weinamlimit.de]を立ち上げて独立した)。ハウェスコは今年7月、オーストリアの有名ワインショップWein & Co.の買収に成功。マイヤーがハウェスコの代表に就任した際に目標に掲げた国際化を着々と進めている。

 

・資産家とワイン事業

 マイヤーがワイン業界に参入したのは、2004年にファッション事業を売却した翌年のことだ。ハウェスコの監査役のひとりとして経営に参画するとともに、ラインヘッセンのニアシュタインにあるVDP加盟醸造所ザンクト・アントニー醸造所Weingut St. Antonyを購入。その2年後には同じくニアシュタインにあるオーガニック栽培の草分け的生産者フライヘア・ハイル・ツ・ヘレンスハイム醸造所Weingut Freiherr Heyl zu Herrnsheimを購入した。その年に同一の所有者のもとで二つの醸造所は合併し、ハイル・ツ・ヘレンスハイムはザンクト・アントニーのブランドの一つとなっている。
 トコス・ベタリグングに加わったディルク・ヴュルツは、古巣のバルタザール・レス醸造所にはコンサルタントとして今後も関与するとともに、ザンクト・アントニーのワイン造りにも影響を与えていくことになる。ザンクト・アントニーはマイヤーの購入後に経営責任者に就任した若手醸造家フェリックス・ペータースFelix Petersのもとで順調に運営されているが、フェリックスはザールのファン・フォルクセンのオーナー、ローマン・ニエヴォドニツァンスキーの友人で、ローマンからザンクト・アントニーが経営責任者を探していることを聞いて応募したと、フェリックス本人から聞いたことがある。世の中は狭いというか、意外なところでつながっているのかもしれない。

 

・変革者ディルク・ヴュルツ

 ディルク・ヴュルツとは昨年一度醸造所を訪れて話す機会があった。彼は1968年生まれの49歳。醸造所の出身ではなく、弁護士や裁判官、教師や議員を輩出した家系に生まれた(「怠け者の公務員連中だよ」とディルクは言う)。ワインにのめりこむきっかけは17歳の時に飲んだ1900年産のラフィットだったそうだ。「その時『なんだこれは!どうやって造るんだ』と思った」そうだ。そこでブドウ農民になろうとしたが両親が反対した。やむなく大学へ進んで経営学、政治学と文献学を学ぶ傍ら、親に隠れてワイン造りを学んだ。やがて28歳の時にラインガウのロバート・ヴァイル醸造所にケラーマイスターの一人として就職して念願のワイン造りを始めたが、それから8年間、親からは口をきいてもらえなかったそうだ。「今でこそワイン造りはまっとうな仕事だとわかってもらえたが、あの頃はほんとうにしんどかった。勘当されたようなものだった」と振り返る。

 やがて2001年、ラインヘッセンに自分の醸造所を設立した(Weingut Würtz Königsmühle/ Gau Odernheim)。オーガニックで栽培した高品質なワインの生産者として次第に知られるようになったが、転機が訪れたのは2008年のことだ。自転車で事故を起こして大けがを負い、静養を余儀なくされた。その時働けなくなったことで生まれた時間でブログを始めたのだが、これがやがて評判になっていく。翌2009年にバルタザール・レス醸造所のコンサルタントに就任し、2010年にレス醸造所のオーナーがシュテファン・レスから息子のクリスチャンに代替わりすると、翌2011年に栽培・醸造責任者に抜擢された。2010年にヴァイスブルグンダーをマセレーション発酵したオレンジワインを醸造して、当時ドイツではまだ珍しくキワモノ扱いされていたオレンジワインでも高品質なものが出来ることを示して注目をあつめた。2012年から除梗したピノ・ノワールを亜硫酸無添加で醸造した「キャビア」と名付けたワインも話題になった。

 

・変わりゆく世界

 伝統的で保守的な、若手醸造所団体もいまひとつ勢いのない産地ラインガウで、ディルクのように型破りな醸造家が頭角を現した意味は決して小さくない。「ブドウ栽培と醸造は本来フレキシブルな仕事だ。『今までこうやってきたから、こうしなければならない』ということはない。失敗も経験のうちで、自分のしていることがいつも正しいと思うのは愚かだ」と語る。「2002、3年頃にもリースリングでオレンジワインを醸造したことがあったが、ボーンドライで酸化的で色も濃く、だれも飲もうとしなかった。失敗だった。だが、あの経験は無駄ではなかった」と振り返る。「しかし今ではオレンジは第四の色として定着している。流行と呼ぶのは違和感がある」と言う。

 「90年代に一度パラダイムチェンジがあって、低温発酵でフレッシュ・フルーティなスタイルがもてはやされた。あれはロバート・ヴァイルの役割が大きかったと思うが、その時代は過ぎ去り、ヴァイルでさえも今はああしたスタイルのワインは造っていない。オレンジワインを始めた当時も、頭の古い人間が『だめだだめだ、白ワイン用品種をマセレーション発酵したものはワインではない、受け入れられるはずがない』と言っていたが、現状はどうだ? ちゃんと受け入れられているではないか。ワインの世界は刻々と変わりつつある。一見すると変化していないように見えるかもしれないが、現実は受け入れなければならない」と語った。

 昨年醸造所で話した時、「そろそろ新しいことを始める時期かな」と言っていたディルク。「2017年はひとつの分岐点で、いくつかの点でこれまでと違うこともあるかもしれないが、全体の方向性は定まっている」という言葉の意味が、先ごろ発表された移籍でようやく理解できた気がする。今後の活躍に期待したい。

 ところで、私事で恐縮だが、8月から(株)ラシーヌの輸入部で働かせていただいている。ヴィノテーク誌でのワインライターとしての仕事も継続するので、二足の草鞋を履くことになった。ラシーヌでの仕事はワインビジネスの実際を身をもって知る貴重な機会であり、生産者から卸売・小売店・レストランへの橋渡しを行う現場の緻密に構築されたシステムに圧倒される日々を送っている。齢五十を超えて新入社員となるとは2カ月前までは思いもよらなかったことだけれど、そんな事情もあって、ディルクの身に起こった変化とわが身を重ねて筆をとった次第。老身というのはまだ早いかもしれないので、とりあえず肥満体に鞭打って、今後も精進に努める所存です。

(以上)

 

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。


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