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ドイツワイン通信Vol.81

ワインの記憶

 ワインは、その生い立ちを記憶している。そう表現することはできないだろうか。客観的に言うなら、栽培条件や生産年の気候条件が味わいに反映されていると表現したほうが当たり障りはないかもしれない。それにもちろん、生産者がブドウ樹をどのような世話をして、得られたブドウをどのようにワインに仕立てたかも重要な要素である。ワインを飲み味わうという行為をワインの語る言葉に耳を傾けることだとするならば、ワインの個性は、それがブドウだった頃の状況とともに、生産者との思い出から紡ぎだされる記憶の表現だとは言えないだろうか。

 例えばここに、モーゼル産のリースリングがあったとする。彼はどのような記憶を語ってくれるだろうか。人ならば出身地によって訛りがあるように、モーゼルのリースリングが語る言葉には独特の癖がある。もしもその声を耳で聞くことが出来たらならば、どちらかといえば高く澄んだ声をしているだろう。口調ははっきりとしてよどみなく、深みがあり、余韻は長く耳に残る。その声と語り口から、彼が育ったモーゼルの川沿いにそびえる急斜面の、ごつごつとした岩場を思い浮かべることが出来るだろう。

 同じリースリングであってもファルツのものは、太く低めのよく通る声で朴訥と語り、包容力のあるあたたかな印象を受ける。彼が育ったのはライン川からは数キロ離れた、ゆるやかな斜面が彼方まで広がる温暖な風土だ。そしてラインヘッセンのワインの物腰の柔らかさと親しみやすい語り口は、モーゼル渓谷の峻厳さと川幅の狭さとは対照的に、なだらかで視野のひらけた丘陵の、粘板岩とは対照的にやわらかな土壌を想起させる。

 こうした風土が人柄にあらわれるようなワインは、利益を重視して効率的に栽培・醸造されたワインの対極にあることは言うまでもない。生産者がブドウを慈しむようにして栽培し、畑で育まれた個性をそのまま生かすために、例えば効率よく確実に発酵がすすむ培養酵素や醸造補助物質を利用するよりも、ブドウの果皮に自然についている野生酵母だけで時間をかけて発酵したり、亜硫酸の添加をできるだけ抑えたりといったリスクをとって、心と技をつくして醸造したワインでなければ、産地の個性はみえにくくなる。いわゆるテロワールの要素のひとつに「人」がかかわる所以だ。

生産年の記憶

 さて、仮にブドウ畑の環境がワインのパーソナリティを形成するとするならば、生産年の天候による記憶については、ワインはよりエモーショナルに表現すると言えるかもしれない。例えば開花時期の天候に恵まれた年のワインは素直で明るいが、冷涼で雨がちで花震いを起こしながらゆっくりと進行した年のワインは、内向的で複雑な感じがする。具体例を挙げるならば、モーゼルでは2009、2011、2014年の開花は一気に進行したが、2010、2012、2013、2015、2016年は低温と雨で時間がかかった。

 同じことは夏の天候にもあてはまる。夏らしい夏をすごした年のワインは明るく素直で自信に満ちて、雨がちな冷夏のものは陰影を帯びてニュアンスに富み、しっとりとしている。具体的に言うと、夏の天気が良かったのは2009、2013、2015、2016年。逆に冷夏だったのは2010、2011、2012、2014年。ただ、夏の暑さと乾燥が行き過ぎると却って毒になる。2015年は8月の過酷な暑さと乾燥に耐えたため、体格は良いがシリアスなワインが多い。そして2016年は6月までの大雨の影響で、7月以降の猛暑にもかかわらずしっとりと湿った感じが残っている。

 そして9月以降の収穫期の天候は、その年のワインの出来栄えを左右するのはもちろんだが、個人的にはワインのおおらかさに現れているように思う。例えば2011年と2016年は安定した晴天が続いて、生産者もストレスなくゆっくりと収穫を行うことが出来た。ワインもまたおおらかさがあり、素直で穏かな性格のものが多い。

 それとは逆に例えば2013、2014年は収穫を目前にして大雨が降って気温も上がったため、生産者はあと一歩で到達する完熟を待つか、それとも傷む前に収穫するかで決断を迫られた。作業には大勢の人手とスピードと入念な選別が求められ、醸造所によって品質に差が出たのはもちろんだが、そうして造られたワインもまた神経質でやや厳しい性格をしている気がする。とりわけ2013年産の、出回り始めた当初は人を拒絶するかのようだった酸味の厳しさは忘れられない。ただ念のために付け加えるならば、おおらかで素直な性格と複雑で陰のある性格と、どちらが魅力的なのかは一概には言えない。前者に物足りなさを感じることも時にはあるからだ。

2017年の記憶

 では、そろそろ目にする機会が増える2017年という生産年を、ワインはどのように表現しているだろうか。再びモーゼルを例にとってみてみよう。早くも夏が訪れたような3月、ブドウは暑さに急き立てられるようにして早々と芽吹き、葉を広げはじめた。ところがそれから1カ月もしないうちに気温は急に下がって、4月20日早朝には氷点下5度に達する季節外れの寒波に襲われ、多くの新梢が枯れた。それは斜面のくぼ地にある数年に一度は遅霜にあうような区画だけでなく、いつもなら被害を免れる、立地条件の良い畑も損害をうけた。多くのブドウ樹はそれから改めて芽吹き直していくらかリカバリーしたが、平年のおよそ四分の一の収穫が失われたという。(Moselwein e.V., 27.10.2017)

 3月の暑さの影響は遅霜の後も続き、開花は例年よりも2週間あまり早く6月上旬から中旬にかけて始まり、穏やかな晴天のもとでスムーズに進行した。しかしそれまでずっと雨が少なかったため、若いブドウ樹は渇水ストレスで元気をなくす一方、根を深くまで伸ばしている古木は平然としていた。

 7月に入ってようやく雨が多くなり水不足の心配は解消され、ブドウ樹は暑さの中でそのまま勢いよく成長を続け、みるみるうちに房は膨らみ色づいていった。例年よりも早いテンポの進行に、生産者もせわしなく追い立てられるようだったという。オルテガなどの早熟交配品種では8月末頃から収穫作業が始まって、毎年10月中旬に入ってから最後に収穫されるリースリングですら9月20日頃作業開始という、前代未聞の早さとなった。

 収穫をはじめてしばらくは気温も低く風も強く、まずは傷んだり貴腐のついたりした部分を房から取り除く作業から始まった。10月の二週目に入ると小雨のそぼ降る肌寒さから天候は回復し、絵に描いたような秋晴れが続き、10月20日頃にはほとんどの醸造所で収穫作業を完了した。

 さて、2017年という年をワインはどのように表現しているだろうか。順調な開花からすると、きっと明るい性格だろう。しかし夏場の雨は、その個性に陰影を与えているかもしれない。何より遅霜と早々と迎えた収穫は、果汁の凝縮と酸度の高さに影響を与えずにはおかなかったに違いない。まだほとんど試飲していないので確かなことは言えないが、陰陽兼ね備えて一筋縄ではいかない興味深い個性を備えたワインとなっていそうな気がする。

太古の記憶

 ところで先日、地質年代とワインの個性について興味深い話を聞いた。それを記憶という言葉と結びつけることが適切かどうかはわからないけれども、もしも許されるならば、ワインは太古の記憶を宿していると言えるかもしれない。

 ブドウ畑の地質がワインの個性に影響を与えることは、一般的に認められている。たとえば粘板岩土壌のブドウ畑と貝殻石灰質土壌のブドウ畑のリースリングでは、前者はスッキリとして見通しが良く繊細なことが多いのに対して、後者は固まりのような充実感があると言ってよいように思う。

 この貝殻石灰質土壌は石灰質の中でも生成年代が古く、約2億5000万年前から2億年前の三畳紀に生成した岩石を含む土壌だ。それに続くジュラ紀、白亜紀、第三紀にも石灰岩が生成し、パリ盆地を中心に同心円を描くようにして分布している。ドイツのブドウ畑にはこのうち三畳紀(バーデン、ファルツ、ヴュルテンベルク、フランケン、ザーレ・ウンストルート)、第三紀(ラインヘッセン)と、バーデン南部のごく一部にジュラ紀の石灰質土壌が分布している。

 ワインの個性について三畳紀と第三紀を比較すると、三畳紀はどちらかといえば物静かで多くを語らない。三畳紀には雑色砂岩、貝殻石灰岩、コイパー統の三つが含まれるが、とりわけヴュルテンベルクとフランケンに分布するコイパー統は、個人的には内向的な性格のワインが多いと思う。一方、第三紀のラインヘッセンのワインは、親しみやすさと軽さがあるものが多い気がする。

 こうした個性の違いは何に由来するのだろうか。一つの試みとして、地質の生成年代の頃の状況を重ね合わせてみると興味深い。ペルム紀(Permian)末から三畳紀(トリアスTriassic)にかけてのいわゆるP-T境界と呼ばれる次期に、地球の歴史上最大規模の大量絶滅が起こり、生物種の90から95%が失われた。絶滅の原因としては諸説あるが、マントル流の上昇で引き起こされた大規模な火山活動が大量の二酸化炭素を発生させ、温室効果で深海のメタンハイドレートが大量に気化して空気中の酸素と結合して二酸化炭素と水となり、さらに一層の温室効果が促進されるとともに動植物の生息環境が激変した。食物連鎖のバランスが崩れるとともに酸素濃度が著しく低下したため、低酸素環境に適応できたものだけが生き延びることが出来たと言われている。そして低酸素環境は断続的にジュラ紀まで続いた。(参照:P. T. ウォード著・垂水雄二訳「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」文春文庫)

 そこで、牽強付会かもしれないが、三畳紀の低酸素環境(現在の約21%に対して約10%前後、標高約5000mの高地に相当)で動作のゆっくりとした恐竜たちや、高濃度の二酸化炭素によるシダ植物の繁栄は、現在三畳紀の土壌に育つブドウによるワイン、例えばヴュルテンベルクのコイパー土壌のリースリングの、植物的な、物静かで内向的な個性と重なるところがあるように思う。一方、第三紀には酸素濃度が20%を超える一方で二酸化炭素濃度は低下し、地上では低酸素環境を生き延びた哺乳類と鳥類が次第に増えて、植物は光合成回路に二酸化炭素濃縮機構を有し、それまでよりも強い光を必要とする種が繁栄へと向かった。こうした状況はあえて言えばラインヘッセンのワインに感じられる、明るさや軽さを想起することができる。

 いずれにしても、数億年から数百万年前の地質年代の状況と、現在栽培されているワインの個性に直接的な因果関係を認めることは難しいのは言うまでもない。とはいえ、相互の状況を比較したときに相通じる要素を見出すことが出来るのは興味深く、ある意味ロマンティックなことかもしれない。しかしながら、いわばその土地の持つ太古の記憶がブドウ樹に伝わってワインに表現されたと考えるのは、いささかエソテリックにすぎるだろう。

補足:記憶の主体

 広辞苑第五版では、記憶という言葉の意味の一つとして「生物の過去の影響が何らかの形で残ること」という定義を挙げている。ワインを生物と等置できるか、あるいは影響が及ぶ過去の範囲をどこまでとするかは議論の余地がある。ワインを現在の姿に生じせしめてきた様々な要素を想起するとき、ワインの中に読み取っているのは、その中に投影される自分自身の知識であり、解釈である。それを客体化し擬人化して、対象となる存在の「記憶」と名付けている。この場合、基本的にすべての存在に――家であれ、町であれ、宇宙であれ――記憶はあるということが出来る。ワインそのものが意識を有しているとまで言い切ることは、私にはできない。本稿で「ワインの記憶」というのは、そういう意味であることをあえて申し添えておきたい。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。


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