ファイン・ワインへの道vol.23
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寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
ワイン評価と表現の、新しい尺度。
『弁舌によって立身するフランスでは、無口な人は社会から葬られる』。20世紀半ば、フランスで活躍した作家、ピエール・ダニノスの言葉です。“社会から葬られる”とは・・・・・・、またフランス的なアタックある表現ですが・・・・・、実際、フランスだけでなくイタリアでも、ワイン生産者もシェフも、たいていは「喋ってなんぼ」的なエネルギー感で、“半端なく”弁舌をふるう人が多いですよね。
逆の意味では、日本で、生産者を招いてのメーカーズ・ディナー等々でも、無口、というかな~んにも喋らずにじ~っとテーブルに座ってるだけの人は、“社会から葬られた”人、というか元々“社会に含まれてさえいない”人かもしれないと感じるのは、邪推が過ぎますかね? え、「日本じゃ、ジャーナリストでさえ、メーカーズ・ディナーで、じ~っと黙って座ってるじゃないか」って? 確かに。人によっては日本でのメーカーズ・ディナーだけでなく、フランスやイタリアでの取材先の招待ディナーでさえ、ほとんど喋らない方もいらっしゃいますね・・・・・・。それは『実感しなかったことは表現できない』(レイモン・ラディゲ:フランスの詩人、小説家。1903~1923年)から? つまり、何もお感じにならなかったからなんでしょうかね?
ちなみに先日、何度か来日したことがある、とあるトスカーナの生産者は、ディナーで何も喋らない日本人のことを「墓石が座ってるみたい」と表現してました。続けて、「墓石は大阪には少ないけど、東京に行くと墓石だらけ」とまで・・・・・・。いやはや。さすが辛辣ですね。トスカーナ人。
と、またも駄弁が長くなりましたが今回はこのタイトル、“ワイン評価と表現の、新しい尺度”について。とても有用だと思える話を見聞したので、お伝えしますね。
それは昨年からイタリア、ヴィニタリーのワイン賞に登場した新カテゴリー「壁のないワイン(Wine Without Walls)」(※註1)の評価軸です。実質的に自然派ワインを指し、その中にさらに亜硫酸添加40ml/L以下と、無添加ワインのカテゴリーに分かれる(ヴィニタリーらしからぬ?)このワイン賞、評価基準は以下の8つ。
・生命力(Liveliness)
・グラス内での発展・進化力
・バランス
・飲みやすさ(Drinkability)
・情感訴求力(Emotional impact)
・香味,風味(Savouriness)
・透明度
・テロワール(Sence of place)
すぐさま、「自然派ワインに透明度は必須ではない!」との反論も出そうですが、それはさておき。オッ! と思ったのは、「生命力」と「情感訴求力」という視点です。
この視点と評価基準、偉大な自然派ワインを飲んだ際、いろんなコメントを並べに並べても、全くその偉大さが表現できてないな~と歯痒く舌足らずな敗北感が重なるばかりの日々への、小さな光明に、なりそうな気がしませんか?
明らかに。巨大な差異がありますよ。偉大な自然派ワインと、凡庸な工業的ワインの間に。生命力と、情感訴求力の差。
この2つのフレーズで、少しだけ説明できたような気にさえなりませんか? ジェラール・シュレールや、クリスチャン・チダのワインなどが持つ、特別なエネルギー感が。
もちろん、生命力も情感訴求力も、ある意味では究極に主観的な尺度です。複数のテイスターの間で、その尺度を統一することはおそらくは不可能でしょう。しかもヴィニタリー・アワードの試飲では、結局は各尺度をポイント制で点数累計しますし。しかし当然ながら、そもそも全てのワインテイスティングは主観的なものです。あるテイスターが「スミレとバラの巨大なアロマがある」と評するまさに隣の席で、同じワインを別のテイスターが「スミレとバラのわずかなアロマがある」と評するようなケースは、今この瞬間も世界中の試飲会場で起こっているでしょう、おそらく。
ワインの評価基準という点では、かのマット・クレイマーもユニークな視点を提案しています。それは、「味の中心(middle taste)。さらに重要なのは“中心の感触”」とのこと。続けて「ワインはここから最初に中空になる。誠実なワインと地に足のつかぬワインとを峻別するのは、常にここなのだ。(中略)ワインの中核、つまり中心の味と感触に意識を集中すると、本質の浅さを隠しきれるワインなどない」(※註2)と喝破します。
ところがマット・クレイマーは、誠実で思慮深いワインが持つ“中心の感触”は「作り物ではない、ほんとうの濃密さ」と表現するのみで……、これまた大いに舌足らずな感が否めません。それを表現する課題は、ワイン・ラヴァー一人一人に投げ出された、というところでしょうか?
ともあれ。「生命力」、「情感訴求力」、そして「中心の感触」という視点を、ワイン表現に盛り込めば、少し新たな展開が開けるように思えます。少なくとも、よくある「この種の果実、この種のスパイス、この種のミネラルとタンニン」等々だけの列挙に終始して結局3,000円のワインも30万円のワインも同じコメント、というワイン界の悲しきコメディからは半歩脱出できそうです。そして、メーカーズ・ディナーで、“墓石”と思われたり、ひいては“社会から葬られる”危険性からも。
もちろん抜け目ないフランス勢は、『言葉は娼婦のようにわれわれを騙す』(ロマンロラン:作家。1866~1944年)とも先手を打ってきてますけどね。
※註1:この賞の審査委員長は、アメリカの自然派ワインライター、アリス・フェアリング。「亜硫酸は悪魔の物質」とさえ語っているそう。2017年は、ステファニア・ぺぺ(エミディオ・ぺぺの娘)、アルトゥーラ、2018年はダニエーレ・ピッチニン、アヴィニョネージ(←最近豹変・品質上昇)などが授賞している。
※註2:『マット・クレイマー、ワインを語る』(白水社)2015年
今月の「ワインが美味しくなる音楽」:
梅雨に除湿効果あり、の、ゆるハワイアン。
『Kauai March-05』久保田真琴
雨の日でも、プレイするだけでホントに、湿気がぐっとひく感じさえある一枚ですよ。ハワイアンの中でも特にゆる~く、ロウ・ピッチで、ほのぼの(だらだら)鳴るギターと、ヴォーカル。今やエキゾチカ・ミュージックの世界的大御所・久保田麻琴が、ハワイアンギターの神様ギャビー・パヒヌヒの息子、シリル・パヒヌヒほか現地の気鋭ミュージシャンと共に完成した一枚です。音数も少なく、隙間たっぷり。ハワイの自然音もさりげなく涼しげで……、少し度数低めの、あっさりしたリースリングやシルヴァネールをカツンと冷やしたのがそばにあれば、よりカラッと幸せ感が増すようです。
https://www.youtube.com/watch?v=DsXIpaVUtVw
今月の「ワインの言葉」:
「良心なき学問は、心の荒廃にほかならない」。フランソワ・ラブレー
(先月のコラムの締めとしても、どうぞ)
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載中。