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Sac a vinのひとり言 其の十七「Maquillage ②」

前回、「消費者に最終的に渡される情報は非常に強力かつ支配的であり、下される判断に於いてはかなりのウェイトを占めると言わざるを得ない」という1文でコラムを締めくくらせて頂いた。今回はそこから発展させていきたいと思う。

いわゆるソムリエ、業務店の販売員など消費者にダイレクトに情報を伝える存在。
基本的に彼らから発信、伝達される情報を元に消費者は摂取し判断を下す。
そのバイアスのかかり方は販売者と消費者の2者間の関係性にもよるが、前述したようにかなり支配的であると言える。

例を挙げながら説明していこう。

【例】  商材 … シャトーメルシャン マリコ・ヴィンヤード シラー 2014

 説明① シラーの2014年をご用意させて頂きました。

 説明② 日本のシラー シャトーメルシャンの2014年をご用意させて頂きました。

 説明③ 日本は長野県の上田市で2014年に収穫されたブドウを使った、シャトーメルシャンの自社畑100%のマリコ・ヴィンヤードのシラーをご用意させて頂きました。

説明①に対する反応
与えられた情報は、「シラー」と「2014年」のみ。その為、極々一般的なシラーのイメージ(スパイシー、力強い、男性的など)から想像される味と、2014年のその人が持っているイメージが合わさった情報フィルターが形成され、商材のもたらす味わいとのお客様との期待との乖離がポジティブにしろネガティブにしろ大きなものとなるのが予想される。

説明②に対する反応
与えられた情報は、「日本」「シラー」「シャトーメルシャン」「2014年」。
ある程度情報の下地が作られている状態で、「日本」からは温暖湿潤な気候から余りジャミーなニュアンスではなく、中庸から柔らかな味が想起され、「シラー」からは前述のイメージはあるが、若干弱まったものに修正され、「シャトーメルシャン」からはどちらかというとクラシック、オーセンティックなイメージ、「2014年」は日本の例年並みの温暖な穏やかな年であったため、余り極端な味筋にはならないことが想定される。で、あるからしてお客様側にかかる情報バイアスは「シラーなのでスパイシーなニュアンスは予想されるが、気候条件や地勢条件から余り攻撃的ではないややエレガント寄りの赤ワインなのではないか?」といったものとなり、ギャップは少なくなると予想される。

説明③に対する反応
与えられた情報は、「日本の長野県上田市」「マリコ・シングルヴィンヤード」「シラー」「シャトーメルシャンの自社畑」「2014年」となる。前述の情報に加えて長野県であることから冷涼な気候であることが予想され、スパイスも黒系ではなく白コショウ系などが想定に入り、自社畑のシングルヴィンヤード。テロワール的にもキャラクターが明確に顕れたものであるとの見当が立つ。かなり範囲が絞りこまれた情報となり、予想も期待も大幅にずれることはかなり少なくなる。

 

と、例を挙げて説明したが、別段特殊な思考形態ではないし、理屈としては単純至極なものである。情報を提示することによりお客様により楽しんで頂く。極々日常的に行っている業務である。では何故わかりきったことを書いたか?それは
“情報を提示することにより予想や期待の方向を誘導することが出来るということは、逆説的に言えば、提示する情報を限定することによって誘導することが可能である”
 ということを述べたいからである。

端的に言い換えると、

 「先入観無くワインと向き合う」
 「ワインの背景や生産者も含めて向き合う」

上記2点の活用方法か?

前者の極致は、ブラインドティスティング、情報を極限までそぎ落として唯々目の前のワインのクォリティと向き合う。後者の極致は、生産者のセラーでの試飲となるだろうか?テロワールを感じ、生産者の人柄や仕事への姿勢に触れてそのワインの成り立ちと向き合う。
そこには優劣など存在せずに性格の違いがあるだけである。同じ立脚点から違うベクトルを目指した行為と言っても良いだろう。ワインに関わる業務に携わる人間としては、エッセンシャルな部分をくみ取る行為と包括的に認識する行為、この両者をどのようにうまく制御していくか?この辺りにプロとしてのワインに関わる情報の利用方法の議論の意味があると思う。

よく、「生産者の想いやワインの素晴らしさを余さずお客様に伝えたいし、伝えるべき」といった論調の意見を聞く。ソムリエがそのワインを顧客に提案するときには、基本的には何らかの優れた点、例えば品質や対費用効果、希少性や他者への発信力等お客様への何らかのメリットを見出してすすめるものである。上記の主張もそういった意味ではワインの持つ情報を余さず伝えることによってお客様に満足して頂きたい!という思いからの物であると思われる。もちろん伝える側は可能な範囲でワインの成り立ちや背景を把握していなければならず、又それがプロフェッショナルとしての責任でもある。然し其れは飽くまでプロの側としてのスタンスであって、享受する側には特に把握する義務も義理もない、飽くまで把握する権利があるだけだ。知る義務は微塵たりともありはしない。
其れと先程まで述べていた情報による満足度や期待の誘導を踏まえたうえで、
いくつか述べたいアフォリズムが

・提供されるワインに関する情報は供給量が多ければ良いと言う訳ではなく、少なければならないと言う物でもない。良い塩梅ともいえる情報量を加減して提供することによりお客様に満足して頂くのがプロとしての役割である。

・情報を提供しない、というのがそのテーブルにおける最適解となることもある。

・自分だけが知っている情報、というのは実は諸刃の刃である。
 顧客のツボに入ることもあれば、単なる自慢にしかならないこともある。用法と容量を守って使うべき。

・1から10迄説明することが生産者の想いを伝えることには必ずしもならない。
 むしろ蛇足になりテーブルの満足度を下げることにもつながりうる。
 重要なのはエッセンスがどこにあるかということである。 

・楽しみ方を誘導することは重要である。(年代物などは特に)
 ただ説明しなければ楽しめないワインというのも考え物である。優れたワインはワインのクォリティが何よりの説明であるのだから。

・どのように情報量を調節するかは提供者に一任されている。その際に負わされる責任は、
 “払った費用に対して満足するサーヴィスや情報を提供する事”である。
 情報量にお金を払うお客様もいるが、それはマニアやプロであり、ここで今論じていることとは別の議論になる。

要するに、
知識自慢にならずに過不足なく伝えるのがプロフェッショナルとしての情報の提供の仕方である、と言いたい。

 

まぁ この2回にわたるコラムで語った内容も情報が多すぎてわかりづらい!聞かれてもいないのに延々とワインについてしゃべり続けるソムリエみたいなものだ!と言われてしまったら、まさにその通りであるし、ぐうの音も出ない反論である。
しかし、もしそう言われたら、述べてきたことの正しさも表していることになるから微妙な気分ではある。難しいものである。

 

~プロフィール~

建部 洋平(たてべ ようへい) 
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー

 
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