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Sac a vinのひとり言 其の十六「Maquillage ①」

公開日: : 最終更新日:2018/06/04 建部 洋平の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

ワインという飲み物は、数ある飲料の中でも高度に情報を含有しているものであると言える。
単純に俯瞰してみても、「生産地、品種、栽培方法、年度、生産者、醸造方法、Etc」
これらの情報がワイン生産地からChemin de fer、鉄道網の発達などにより対外的に発進するようになったことから、元々は信頼と保証のために発信されていた情報が、一般化と大衆化のプロセスを経てスノビズムの段階に至ると「情報も品質の一つ」という現象に至った。
これは、殊更ワインだけに見受けられる現象ではなく、嗜好品が伝播、拡大して品質や希少性、権威付けなどの過程を経ると自然に発生し、自ずと高度の情報と希少性を孕むものがヒエラルキーの上位に立つ様になる。
通信網の発達していない近現代においては、単なる仲間内での知機器の競い合いのようなマニアックな楽しみや対外的な示威行為に収まっていたのだが、近代における高度に発達された情報化社会においてはそのヒエラルキーは先鋭、極限化されていく。そのような状態に対象がおかれると、判断基準がもはや単なる飲料としての役割、すなわち5感を刺激して楽しませるものから徐々に乖離し始め、情報が品質より重視される逆転現象が発生する。
(別に評価されているものが品質を伴っていない。というわけではない)
そのような状態においては情報というものが対象(この場合はワイン)を消費する際に重視されるようになる。
簡単に言えば 「エチケットでワインを楽しむ」様になるのだ。

上に記したようなことは、読者の方々はご存知だと思いますし、又実感されたこともあるかと認識しております。
別に私は「ワインを飲む際には一切の先入観を捨てて、情報をシャットアウトして自身が感じた感覚のみで判断すべきだ!!」などという、大会向けのトレーニングのような判断基準を常に持った方が良いのでないか? などと言いたいわけではない。
情報により個と個が距離を超え、立場を超えて繋がりあう現状において、情報をシャットダウンして何かと向き合うというのは、販売レベルにおいてはナンセンスと言っても良い。
(仕入れや取引などの際はまた別の話である。)
最終到達点である消費者は、どのようにワインに向き合おうともそれは各自の自由なのでここでは問題にはしない。この場で触れたいのが、その届け先に対してワインを提供する責任者である我々が、どのように情報と向き合っていくのか? ということである。
何故なら消費者が受け取る情報の大部分は、我々から受け取るものであるから。
(飲む前から自身で様々な情報を取得する方はこの際横に置いておく。)

“味わう”というのはフィジカルな反応であると同時に舌端や口蓋、鼻腔が感じた情報が電子信号となり脳髄を経て脳内を駆け巡り、果たして「美味しい」「しょっぱい」「いまいち」等の判断が下される。ドグラ・マグラの様に細胞単位で判断が下される! という主張の方も居られるかもしれないが、別に脳科学の話をしたいわけではないので触れないでおく。
重要なのは感覚に対する判断は末端神経ではなく、必ず脳による判断を経てから下される、ということである。
同時に自明であるのが、脳は情報を処理して判断を下す場所であるということだ。
よってワインを飲んでおいしいと思うというのを単純にかみ砕くと、

ワインを口蓋に入れる
→①口の中の触角と舌の味蕾が温度、成分などを感知
→②感覚器から神経を通って脳に信号を伝達
→③脳が到着した信号を処理、再発進
→④「美味しい、まずい」「好き、嫌い」などの判断を認識する

となる。
①のステップに関して言えば、年齢、性別、環境などにより変わる。
ここには情報は余り関わってこない。
②は単純な生理的な活動なので情報が入り込む余地はない。
そして③、ここに情報が関わってくる。
温度であるとか成分であるとか、そういったものの単純な物理情報は皆等しく、とまではいわないが受け手側の差異は極大ではないと言っても良いと思う。
しかし、ここからである。受け手側の経験や所持している情報量により④の段階に送られる信号が、大幅に変わってくる。理屈で書いてもわかりづらいので例を挙げよう。
ただ、これから挙げる例はかなり恣意的である事はご勘弁いただきたい。
表記の仕方にも別に他意は無い、と思う。

【例】 とあるフランス西部のカベルネソーヴィニョン主体の赤、2000年を飲ませた場合
  肉付きが良く黒い果実の濃厚な風味、重厚なタンニンと樽のニュアンス、フルボディ。

対象① ワインをクリスマスやお祝いの時くらいしか飲まない、ボジョレーも1杯くらい。
    ごくごく平均的な日本の消費者。フランスワインはボルドーとかブルゴーニュが 
    あることくらいは知っている。
    情報バイアスは限り無く掛かっていない。

感想  なんかよくわからないけど濃くて美味しいな!これカベルネソーヴィニョンっていうの? 
    へー、今度又飲んでみようかね?

考察  ワインというもの事態をあまり飲むことがなく、判断基準がその時の体調と
    自分の好みである。値段という強力な情報を外した場合、消費者の判断の基準に
    なるのは「感覚器が受け取って脳に送った情報」であり、情報があまり関与しない。
    ある意味では率直な感想であり、最も怖いお客様でもある。

 

対象② 接待や付き合い等で折に触れてワインに触れる機会があり、定期的ではないが飲んでいる。
    品種の名前や生産者も有名なところは聞きかじった事はあるが、値段以外はあまり知らないし、
    飲んだ事も無いものも多い。営業マン等に多いタイプ。
    経験値は少ないが情報バイアスはかなり強いタイプ。

感想  うわあ、これ2000年のシャトー○○じゃないですか! 初めて飲みます。
    本当に有難う御座います!いやぁ流石2000年、今迄飲んだのと全然違いますよ。
    濃厚で豊潤で・・・素晴らしいですね。

考察  このケースは「2000年の」「フランス西部の」「カベルネソーヴィニョン」
    という情報が感覚を凌駕している「エチケットを飲む」場合のよくある例と言える。
    感覚器が感じた感覚は軽視されてしまい、情報を経験したという側面が強調され、
    満足度は高いが中身が変わっても余り影響のない「情報を飲んでいる」例である。
    値段を飲んでいるともいえる。

 

対象③ 常日頃からワインを嗜み、精力的に酒屋に通い、ワインバーなどを巡って
    ワインを飲みつけている方々。諸条件の差で情報と経験の深度のレベルは
    違ってくるが、経験と情報に基づいた判断を下す。ラバーであってオタクに非ず。

感想  ほう、シャトー○○の2000年ですか、どれどれ・・・んーー・・・
    正直まだ若すぎますね。タンニンもまだ硬く溶け込んでいませんし、果実味も
    まだまだ荒ぶっていますし。美味しくはあるのですが、現時点では本来の持ち味は
    全然発揮していませんね。勿体ない。

考察  この場合は消費者が「ワインのあるべき姿、こうあって欲しい姿」を持っており
    そこに対して、何処まで接近できているかが求められているプライオリティとなる。
    ワインを味わっているのだが、このような場合、「ワインの過去」「ワインの未来」を
    現在のワインを通して楽しむ方々がいるのも事実である。


とまあ、極端にデフォルメした例示をしたわけではあるのだが、
上記の①、②、③を同じ性別、同じ年齢、同じ環境に置いての感想とした場合
同じワインへの感想だとは説明しなければ信じがたいであろう。
感覚器が感じ取れる情報にはあまり差異がないのに、である。
(習慣的な摂取によりより多くの情報を感じ取れるという事実もあるが
それは情報の判別が出来る様になった上での、という側面が強いためこの際は触れない)     

上記の内容はこの業界に携わっている皆々様方なら何を今更、というレベルの事だろうし
今回改めて書き記したのは正直ナンセンスであるのも自覚している。
では何故敢えて書き起こしたか?
それは
「消費者に最終的に渡される情報は非常に強力かつ支配的であり、下される判断に於いてはかなりのウェイトを占めると言わざるを得ない」からである。
次回、もう少し具体的な例を挙げて考察していきたい。

 

~プロフィール~

建部 洋平(たてべ ようへい) 
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー


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