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エッセイ:Vol.130 ポルトガルでの再会

 出会ったのは、ポルトガルの生産者を訪ねていた折りのこと。いざ、テイスティングとなって席を移そうとしたとき、セラーの片隅で異彩を放っていた、そいつが目に入った。縁まわりをべんがら色にちかい朱色に塗られた、丸い鏡板の大きな木製ボッテである。30hlくらいの容量であろうか。なぜか、どこかで見たような、不思議な懐かしさを覚えた。と、思った瞬間、その生産者の名前が頭に浮かんだ―悪い記憶力には自信があるのに。亡くなったそのイタリアはピエモンテの友人を、夢寐にも忘れたことがないからだろうか。

 でも、ここはリスボンから高速バスで2時間も離れたポルトガルの僻地(失礼!)。わざわざ遠来する訳はなさそうだ。けれども念のため、どこで手に入れたのかと、旧所有者の名前を尋ねてみた。はたして、旧知の生産者であった。ほとんど親友と再会したかのような情をおぼえた。懐旧心のあまり、おもわずボッテのふくらんだ脇腹を撫でてしまった(写真①)。『ハムレット』第五幕・第一場(墓堀りの場)さながらに。

 ちなみに、墓から掘り出された頭蓋骨が、なじみの道化役者のものだったと知ったハムレットは、しゃれこうべを片手に「ああ、ヨリック、かわいそうに。」(Alas, poor Yorick!)と語りかける(松岡和子訳、ちくま文庫による。以下同)。同様にわたしも、思わずヨリックならぬ故人の名前を口にしてしまった。
 それに続くハムレットのセリフは、「ホレイショ! こいつのことはよく覚えている。のべつ幕なしにとんでもない冗談を言うやつだった。」(I knew him, Horatio: a fellow of infinite jest, of most excellent fancy)
 まさしく故人も冗談の達人で、わたしたちは冗談に興じあった仲であった。けれども、大型の木製ボッテはしゃれこうべではなく、わたしもまた、ハムレットではない。

 懐かしい(が、まだワインを詰められていない空の)ボッテを見ながら、テイスティングは無事に終了した。なかなか良いワインであった。このボッテが、前途有望なこのワイナリーで二度目のお勤めを無事に果たすであろうこと、まちがいない。以前のように立派なワインがここから生まれ出ることを確信しつつ、セラーを離れた。くだんのポルトガルワインは遠からずして日本に着くだろうから、同じボッテの縁を日本の倉庫のなかで温めることになるだろう。

 だが、話はこれで終わらない。ポルトガルで翌日、別の生産者を訪ねたら、またしても似た様子のボッテ二基に巡りあってしまった(写真②)。なんと、友だちどうしの生産者が組んで、まとめて入手したという。どうやら、ピエモンテのさるワイナリーが新型の木製容器を導入したさい、すべての「旧式」ボッテを手放したらしい。まあ、イタリアでは最近よくある話にすぎないから、(女性ならぬわたしが)柳眉を逆立てるまでもない。どころかその反対に、よい仕事をした由緒のあるボッテが、別の国で別の有能な生産者たちのもとで再活躍するとしたら、なんと喜ばしいことではないか。ここは旧友を偲びながら、その人柄と個性を映し出すワインで、ひそかに乾杯したいところだ。

 世代交代が招く悲喜劇のような場面を目の当たりにしながら、ポルトガルを去った。

写真①

 

写真②


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