ファイン・ワインへの道vol.20
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寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
最後の助け船? ブルゴーニュの冥王星 AOC。
まるでサンドイッチに挟まったハムを、横から見てるみたいな状態で連なってる・・・・・・ブルゴーニュ・ 赤のグラン・クリュの畑。ジュブレからヴォーヌにかけて、どうしてあんなに特級畑は奇妙なほどの細長 さで連なってるのか・・・・・・という質問は、ブルゴーニュ中級者以上なら、比較的簡単ですよね。はい。地 層上でそのハムに相当する部分こそ、最も偉大なピノ・ノワールを生むとされる、ジュラ紀中期の褐色石 灰岩、および牡蠣殻堆積泥灰岩土壌だから、ですね。
例えばヴォーヌ・ロマネでは、この地層が表土近くに迫るのは、わずかに標高 250m 前後から、270m 前 後の間のみ。それより低いと、同じジュラ紀中期でもウミユリ石灰岩層、それより高いとチャートを含む 石灰岩となり、ま、ハムではなくチーズかレタスの層になってしまう、という訳です。
その、有難き褐色石灰岩地層は、ラドワあたりで残念ながら地表からぐっと深くに潜り込んでおさらばとなり、代わりに以南のコート・ド・ボーヌの中心となるのはジュラ紀中期ではなく後期の泥灰岩となる訳です。
そのジュラ紀中期(特にバジョシアン期)と後期の差、ざっくり 2000 万年の地層差が、コート・ド・ボーヌとコート・ド・ニュイのピノ・ノワールの差(つまりはセクシー路線か、素朴路線かの差)を造るテロワールなのだぁぁ・・・・・・、という話はブル・フリークの間では、まぁよく語られる話なのですが・・・・・・、ここからが今日の本題。かくも人々を熱狂の渦に巻 き込むニュイのワインの母、褐色石灰岩地層が再び地表近くに戻ってくるエリアが、コート・ド・ボーヌ にあるのです。どこだと思われますか?
コート・ドールの最南端付近、サントネイなのです。
パリ大学の後、ブルゴーニュ大学でも教鞭をとるワイン・ジャーナリスト、ジャッキー・リゴーは、名著 『アンリ・ジャイエのワイン造り』の中で、こう書いています。「サントネイは、断層によって、コート・ ド・ニュイと同じジュラ紀中期の地層が露出している。村落の上部にある畑では、コート・ド・ニュイと同 じぐらい堅牢で力強いワインが生まれている」。
また、かの碩学マット・クレイマーはこう語ります。「サントネイが話題になることはまずないと言って いい。ここから生まれる赤が実にうまいことを思うと、妙な話である」。さらにお買い得のブルゴーニュの リストの中にもヴォルネ、フィサンらと並び、しっかりサントネイを明記しています(共に『ブルゴーニュワインがわかる』より)。
実は私がサントネイについてのそんな記述にふれ、せっせと同 AOC の赤を試飲していたのは 10 年少々 前の 2006 年前後でした。しかしながら。当時、日本で手に入る生産者のものはどれも、大手をふって“コ ート・ド・ニュイのニュアンスあるコート・ド・ボーヌの赤”と言うには気が引けるもの……でしたよ。
確かにコート・ド・ボーヌにしては格調ある鉄分のニュアンスと、わずかに妖艶な果実味の奥行きはあ るものの、かの栄えあるニュイのワインと比肩するような域には、全く及ばないように思えたものです。 マット・クレイマーが「全サントネイの中で最高のワインかもしれない」と称賛するプス・ドールのクロ・ デ・タヴァンヌも、期待ほどではなかったと記憶します。おそらくは当時、このアペラシオンで、低収穫な ど、高質ワインを造るための基礎的努力が、造り手の間でなおざりにされてたのだろうと想像されます。 つまり、ほとんど誰も、真面目に造ってなかった・・・・・、のかも知れません。昔は。ゆえに、10 年少々前の 私のサントネイ微熱は、比較的あっさり去りました。
しかし近年。
再びこのアペラシオンに目を向けさせてくれるドメーヌが、少しずつ現れ始めているようです。
その筆頭はユベール・ラミーとダヴィッド・モロー。そこから二馬身ほど離れてラベイ・ド・サントネイといった造り手たちです。
ユベール・ラミーはヘクタールあたり 14,000 本もの密植で格調ある深みを表現。ダヴィッド・モローはわずか 34 歳ながら DRC での修業後、2009 年から当主に。サントネイに現れがちな田舎っぽい土臭さや、 散漫なトーンとは無縁の、酸、果実とも見事に焦点の合ったワインは、ブラインドだとニュイ・サンジョ ルジュかモレ・サンドニと間違えても・・・・・それはテイスターの訓練不足ではないでしょう。
アベイ・ド・サントネイは元ルフレーヴ醸造長のピエール・モレに師事したルドヴィク・ピエロが指揮するドメーヌ。ビオディナミ栽培も行いますが、比較的昔ながらの亜硫酸添加量を感じさせ(それがワイ ンの奥行きを奪っているようにも思え)自然派ワイン・ラヴァーにお薦めするにはやや躊躇すると共に、 現在ではなく今後に期待したい造り手といった存在、でしょうか。
ともあれ、まるでブルゴーニュの中の冥王星のような、遠い外れのほぼ忘れられたアペラシオン、サン トネイ。ニュイの有名畑産ワイン、およびそれを語ることさえ急激に「普通の市民には全く関係のない、 極々一部の富裕層のためだけのもの」化するなかで、“コート・ド・ボーヌの中の、隠れコート・ド・ニュ イたりうるか?”、昔からのピノ・ノワール・ラヴァーの救命ボートたりうるか?
見守ってあげてもいいかもしれません。よく注意して。生産者を選別しながら。
(註:土壌図は ジャッキー・リゴー著『アンリ・ジャイエのワイン造り』より引用)
今月の「ワインが美味しくなる音楽」:
ブラジルの秘宝的女性ヴォーカルは、耳で味わうシャンボールの趣き。
MONICA SALMASO 『CAIPIRA』 ボサノヴァを主としたブラジルの女性ヴォーカリストの中で、最大の、埋もれたダイヤモンド、かもしれません。この人の存在は。高名なナラ・レオンがシャンベルタン、ガル・コスタがミュジニー的存在な ら、この人の存在はまさに、アンリ・ジャイエが開墾する前のクロ・パラントゥ? (菊芋畑だったそう) です。1971 年生まれで、本国では既に「現代ブラジル最高の女性歌手の一人」とも言われてるのです が・・・・・・日本ではまるで無名。でも、そのまるで天女の羽衣のような軽やかで淡麗、透明感ある美声は、 一度聞くとけして忘れられないもの。このアルバムは特に、シンプルなアコースティックのバッキングで、 ソフト&ジェントルな余韻。春、ちょっと花冷えの日に、いい感じのシャンボール・ミュジニー レザム ルーズを口にするような感触さえ、心に残してくれますよ。もちろん、手元にシャンボールの瓶がなくて も、です。
https://www.youtube.com/watch?v=goziasPJAlM
今月のワインの言葉:
「野蛮であるということは、優れたものを認めないということではないか」。 エッカーマン(ドイツの詩人、作家)『ゲーテとの対話』より
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載中。