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エッセイ:Vol.128 賢い人 ― ブノワ・マルゲ寸感 ―

 締め切り間際になってからしか原稿が書けないというのが、あまり感心しないわたしの癖です。が、最後まで時間をかせぐというこの手法が、まれに功を奏することもあります。最新の出来事やニュースを、たまたまタイミングよくお伝えできるばあいです。

 そこで、シャンパーニュ・マルゲの気鋭な当主ブノワ・マルゲが、昨夜アカデミー・デュ・ヴァン青山校でおこなったレクチャーから、想い起したことを書き記しましょう。

 初来日したブノワ・マルゲの公式行事は昨日からはじまったのですが、初日からブノワの話には、高い精神性と心の響きがこもっていました。正確に言葉を選ぶブノワの面持ちには珍しい静かに語る賢者の言葉を聞くような思いをしました。日頃はユーモラスで冗談が多いにもかかわらず、つねに頭が回転し思索を凝らすタイプのブノワは、ブログなどを見てもわかるとおり、とかく神秘的な発想を好みがちです。そのシャンパーニュに《シャーマン》(日本では長音表記するが、本当は「シャマン」と縮めて発音するよし)と名付けたりするほどです。

 ところで、深い思索に裏打ちされているブノワの発言には、徹底した実行が伴うという特徴があります。ある種の神秘説をふりまく権高なワイン人とはちがって、ブノワがつかう言葉には重みがあり、積み重ねられた事実(と味わい無比の質実なワイン)がもつ説得力があるのです。

 そこで、レクチャーの内容に移りますが、まず「水が情報を担う媒体の役割をしている」ということ。これは水に記憶作用があり、記憶が氷結結晶されることを説く、故・江守勝氏の認識と同質のものです。いわゆる〈水の情報転写理論〉なのですが、これは同時にホメオパシーの考え方の基本でもあります。つまり、水という溶質になにかの物質を溶かし、薄め方の度合いを極端に上げていき、もとの物質の成分が一分子も存在しないほど薄められても、水はその物質の記憶だけを宿すという見方です。その物質に毒性があったとして、極度に希釈されれば毒性は失われるが、毒のポジティヴな作用だけを引き出すことができる(いわゆる同種療法の原理)というのが、ホメオパシーの考え方でしたね。

 ブノワ・マルゲは、ルドルフ・シュタイナーの1920年代の教義(にとどまる)〈バイオダイナミックス〉を、ブドウ栽培だけでなくワイン醸造にも広げて実践している一人であると評価できますが、醸造に応用する際の基本原理が、〈水の情報転写〉というホメオパシーの考え方です。その具体的な手法についてブノワは、《サピエンス》での共同作業者であるエルヴェ・ジェスタンと情報交換しながら、身に着けていったたようで、これは2005年のことでした。

 従来、ややもすると、ブノワ・マルゲはエルヴェ・ジェスタンから学ぶ一方の、弟子筋ふうに思われていました。が、それは誤解にひとしくて、同種の感性と心性を備えた並外れた二人のワイン人の「必然的な」出会いが生まれ、〈ホメオパシーにもとづくワイン技法〉が高められていったと、訂正しなければならないようです(ブノワの27日談による)。

 ところで、エルヴェがブドウの収穫作業で実際にどのような技法をもちいるかについては、数年前に実見して、その発想がよく理解できました。必要で有効な原液をホメオパシーの流儀で希釈した液体を、小さなスポットにつめ、ブドウや収穫器具、発酵槽や各種の器具の必要箇所などに微量を振りかけるというものでした。発酵作業においても、ワインが触れて通る箇所に、この希釈液を一滴たらせばよいはずです。

 異なるワインをミックスするばあいも、この手法をつかって、事前に混和することをそれぞれの液体に伝えておけばよいことになります。なお、ブノワ自身は昨夜、この事前の情報共有作業を、液体という媒体を使わないでもできる、と語っていました。
 それが、ホメオパシー理論を飛躍的に前進させた、〈レゾナンス理論〉なのです。ヒトが心に抱く情念や思想を、水などの媒体をいっさいもちいずに直接、他のワインやヒトに伝えるという、高度な技法なのです。このレゾナンスという考え方は、物理学でいう振動共鳴現象にもとづく科学的な議論であるらしく、来日したエルヴェ・ジェスタンも講演でのべていました。

 たしかに、レゾナンス現象は、表面的だけみると、なにか怪しい魔術的な様相を呈しているので、本当に起こるのか疑わしく思う方がいても、不思議ではありません。
 わたしは、ボトルの中に入っているワインと、そのボトルから注がれたグラスに入っているワインとの間に、不思議な関係があることに気が付いていました。ワインを入れたボトルとグラスを近接させて置いておいて、ボトル内のワインの状態が(なんらかの理由で)急変したばあい、即座にグラス内のワインの質もまた変わるのです。これは瞬時に共鳴共振現象が起こるとしか考えられません。これをわたしは、同じ言葉、すなわち〈レゾナンス現象〉とよんでいました。だから、ブノワの説明を聞いても、腑に落ちるところがあったのです。

 このように、バイオダイナミズム、水の情報転写、ホメオパシー、生命物体間のレゾナンス作用といった〈基本セオリー〉を系統的に組み合わせたものが、ブノワ(とエルヴェ)が実現させた、高度に思索的でもある手法なのです。

 そこで、想い起すのは、イタリア人ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(1535~1615)のことです。アブラナとブドウの間に憎悪の関係があるとするデッラ・ポルタは、「ブドウの蔓はいろいろなものに巻き付いていくが、アブラナだけには巻き付こうとしない。この反感関係により、アブラナは葡萄酒で泥酔したときの薬になると処方した」よしです。まさしくホメオパシー理論の先駆けではありませんか。

 この魔術者(黒魔術ではなくて、白魔術の使い手に属する)と呼ばれる先駆的なルネサンス人については、東京大学大学院総合文化研究科教授で科学史に通暁した橋本毅彦さんの著作で知りました。博学な氏によるとデッラ・ポルタは「自然界にある共感関係や反感関係を的確に識別し、それらをうまく操作することによって、人間に役立つことをひき起こそうとした。彼はそれを『魔術』とよんだ」そうである」とか。(p.85)。なお、デッラ・ポルタに関心がある方は、放送大学での教科書『物理科学史』(1995)を改訂した、『〈科学の発想〉をたずねて 自然哲学から現代科学まで』(放送大学叢書、2010)をぜひご覧ください。

 ところで、その魔術師の名前に聞き覚えがあったので、わが雑然たる書庫をひっかきまわすと案の定、デッラ・ポルタの『自然魔術』(澤井繁男訳、1990、青土社)が見つかりました。これは自然魔術師デッラ・ポルタの20巻本の抄訳ですが、あいにく目を通してはいませんでしたが、その巻頭に、先日亡くなった中村雄二郎さんの興味深い序文が寄せられていたのです。

 中村さんはデッラ・ポルタを、あのルパート・シェルドレイクに比定しているのです。ちなみに『生命のニュー・サイエンス』(1981)でもってルパートは、「かたちが直接かたちにはたらきかける」という、驚くべき〈形成的因果作用〉を主張した人物であり、このルパート説こそ、わたしの『かたち理論』と符合するものなのです。(了)

 
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