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ドイツワイン通信Vol.77

原点回帰と未来への遺産

 数日前、庭の梅がちらほらと咲き始めた。毎年大体3月の初めに見ごろを迎えるのだが、それまでの数週間、ふくらんだ蕾から覗く白い花びらが春を待ちわびているようでかわいらしい。
 ドイツのモーゼルでもブドウの剪定作業が大詰めを迎えているようだ。中には収穫直後から枝を切り始める生産者もいて、それは収穫作業に集めた人手を有効活用するという意味もあるのだが、家族経営の小規模なところでは寒さの厳しい1月から2月にかけて、ブドウ樹が昨年の疲れを癒してから剪定することが多い。ちなみに、モーゼルでは雪はあまり積もらない。積もってもせいぜい10cmか20cm程度で、数日で溶けて消える。ことに、粘板岩土壌の急斜面はあたたまりやすく、消え方も早い。

 2月10日付けのモーゼルのとある生産者のブログ(https://www.steffens-kess.de/cms/2018/02/10/reben-schneiden-2/)では、剪定作業をしながら年を追う毎にウィルスによる感染症であるエスカEscaや、枝が黒くなって枯れる病気(シュヴァルツホルツクランクハイトSchwarzholzkrankheit(独)、bois noir(仏)。ここでは仮に黒樹病と訳す)が増えていることに気づいたという。
 エスカは既に2010年頃からフランス、イタリア、スペインやオーストラリアでも問題になっているが、成長期に葉や茎が突然萎れて枯れてしまう病気で、症状を引き起こすウィルスの種類はわかっているものの有効な対処法がまだ見つかっていない。黒樹病も本来イラクサの樹液を餌にするセミの一種がブドウ樹に媒介するウィルスから感染することがわかっているが、対策としてはイラクサをブドウ畑から排除して、感染源のセミに近寄らせないようにするしかないという。
 そうした病気にかかったブドウ樹は、ウィルスが枝に浸透しているので根元近くから切ってしまうのだと、そのブログの生産者は述べている。すると切り株の下から新しい枝が伸びて、最初の一年は房が実らないものの二年目からはまた収穫できるようになるのだそうだ。

 

温暖化の功罪

 こうした病気は気候変動に伴って北上してきた問題の一つである。ポジティヴな影響としては、赤ではピノ・ノワール、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、白ではピノ・ブラン、ピノ・グリ、ソーヴィニヨン・ブランなどのフランス系の品種がドイツでも毎年完熟するようになり、醸造ノウハウの向上と相まって優れたワインが増えているのは周知の通りだ。だが反面、ネガティヴな影響は上述のウィルス性の病気の他にも山ほどある。
 たとえば、従来は厳しい寒さで越冬の難しかった黴や昆虫類が繁殖しやすくなったり、ドイツでは大量発生することのなかったオウトウショウジョウバエが赤ワイン用ブドウに深刻な損害を与えたり(2014年)、大雨と洪水で開花が遅れたり(2013年5月)、大雨で高温多湿状態が続いてベト病が蔓延したり(2016年5月下旬~6月下旬)、果皮が日焼けするほどの猛暑になったり(2003年・夏、2015年7月、2016年8月)、10月の収穫期の雨と高温で黴と腐敗が急速にひろがって、やむなく収穫時期を早めたり、非常にストレスフルな状況で急いで作業を行わねばならなかったり(2010, 2013, 2014年)と、極端な天候やそれに伴う問題や困難も増えている。                                                               

 ただ、優れた生産者は様々な状況に対応することを学んでいる。例えばウィルス性の病気に対しては、エスカの場合は感染源は剪定した切り口なので、なるべく剪定箇所を少なくしてブドウ樹に負担のかからないようにしたり、まったく剪定を行わない栽培を試している生産者もいる。毎年大量発生することが危ぶまれたオウトウショウジョウバエも、翌年以降は早期発見とブドウ畑の衛生環境の整備が功を奏して広範囲の被害は出ていない。雹についてはドイツではオーストリア南部のシュタイヤーマルクとは異なり、雹除けネットは普及しておらず運を天に任せるより他ないが、遅霜については被害を最小限に食い止めるための様々な手法を、各地のブドウ栽培研究機関が生産者に紹介している。だが多かれ少なかれ出費を伴うのでなるべく来ないに越したことはない。

 

温暖化で見直される昔ながらの栽培・醸造

 そういえば、昨年10月にヴィノテーク誌の取材でモーゼルを訪れた際、温暖化対策として伝統的な栽培手法である棒仕立てを挙げた生産者がいた。急斜面に打ち込んだ高さ2mほどの一本の杭のそばに一本のブドウ樹を植え、剪定は2本の母枝をハート形にして結わえ、母枝から上に向かって伸びる新梢を杭に結わえていく手法で、作業はシンプルだが機械化が難しく、全て手作業で行わなければならない。また、陽光を受ける葉の面積を平面に広くとる垣根仕立てに比べると、棒仕立てはキャノピーが円錐形で影になる部分が出来るため糖度が上がりにくく、1960年代以降の耕地整理を機に垣根仕立てに切り替える生産者が多かった。
 しかし近年、この果汁糖度が上がりにくいという、かつてのデメリットがメリットとして見直されている。つまり果汁糖度があがらないので気温の下がる10月以降まで収穫時期が遅くなり、より長期間樹上で成熟してアロマとエキストラクトを蓄積することが出来る。また、果汁糖度が低めな状態で生理的完熟(種が褐色に染まって果皮から果肉が外れやすく、香味が十分に乗った状態)に達するので、辛口に醸造してもアルコール濃度は12.5%以下にとどまり、酸度は高めにpHは低く保たれて微生物的に安定するため、とりわけ野生酵母での発酵に向いた果汁が得られるのだという。
 野生酵母による発酵は、周知の通り純粋培養した酵母を利用する場合にくらべて不安定で時間もかかる。培養酵母を使えばアルコール発酵はスムーズに始まって10日間前後で完了するが、培養酵母を添加しない場合は、自然にアルコール発酵が始まるまで数日から一週間前後かかり、発酵が終わるまで10カ月前後かそれ以上かかることがある。しかし、そうして時間をかけて自然に醸造したワインは頭痛の原因になるという説もあるフーゼルアルコールを含まず、発酵開始当初はサッカロミセス以外の野生酵母が糖分を消費するのでアルコール濃度も低くなり、酸も保たれて長期間の熟成能力を有するワインが出来るという。

 

伝統回帰と未来への遺産

 温暖化の進行とともに見直されているのは栽培手法だけではなく、バスケットプレスによる長時間のゆっくりとした圧搾や長期熟成といった醸造手法にも及んでいる(ヴィノテーク2018年2月号で報告していますので、よろしければご覧ください)。これらの温故知新と伝統回帰とも言える、およそ100年前の醸造手法の再評価へとつながる発端となった生産者のひとりが、前回のシャルツホーフベルクの歴史でも取り上げたファン・フォルクセン醸造所だ。
 倒産した醸造所を1999年末に13haのブドウ畑と一緒に購入してから、来年で20周年を迎える。醸造は2年前からザール川の対岸の丘の上にある新しい醸造施設に移り、約85haまで広がったブドウ畑のリースリングを区画ごとに、ステンレスタンクと木樽をあわせて約250基の容器で醸造している。
 「これほどの数の醸造容器では、発酵を管理するのが大変。もっと大きな容量にして数を減らせば楽なんだけど」と、8年前から醸造責任者ドミニク・フェルクの右腕として働いている醸造家クリスチャン・ムダスがぼやいていたが、区画ごとに25~33人のチームが手作業で選別しながら収穫し、醸造所でもう一度選りすぐった完璧なブドウを、ひとつひとつの畑の個性を大切に時間をかけて醸造するというオーナーのローマン・ニエヴォドニツァンスキーの方針に揺るぎはない。

 昨年10月に立ち寄った際、後に試飲所となる予定の塔にある展望室とその下の熟成庫は工事中だった。 展望室には幅8.6mの一枚板のガラス窓が3方にはめ込まれ、シャルツホーフベルクをはじめとするザールのブドウ畑を一望に見渡すことが出来る。丘のふもとを流れる川の対岸には1903年に落成したビスマルク塔が建っている。帝国宰相だったビスマルクを記念して建てられた見晴台だが、「その当時のザール産リースリングは繊細さと体への負担の軽さ、生き生きとした果実味と気品、熟成能力、味わう喜びといった点で世界中で称賛されていた」とローマンは語った。
 彼がいまも心血を注いで醸造しているのは、その当時と同じ味わいのリースリングに他ならない。そして18年間でドイツの個人経営の醸造所としては最大規模のひとつとなるまで大きくした48歳のオーナーは、ザール産リースリングの2010年代のルネサンスの記念として後世に残すために、この塔を設計したのだという。対岸のビスマルク塔は1900年頃のザールワインの名声を記念しているのに対して、ファン・フォルクセンの塔はその復興の象徴なのだ。

 とはいえ、ローマンは彼個人の名声を誇るために膨大な資金を投じているのではない。ワイン生産地域ザールの中心地として、地域の生産者達が集まって試飲会を開催して意見を交換したり、世界中からソムリエやワイン商、愛好家たちに訪れてもらい、世界最高の白ワインの産地としてザールを記憶にとどめてもらうことが目的なのだという。試飲所ではファン・フォルクセンのワインの他にもエゴン・ミュラーなどザールを代表する生産者のワインを飲めるようにすることも考えているそうだ。
 建物全体は周囲の景観に溶け込むように、そして岩の多いブドウ畑とワインのミネラル感との関連から、トラバーチンTravertinというクリーム色の貝殻石灰岩に似たプレートで覆い、試飲所の下の熟成庫の内部は珪質粘板岩(グリマーシーファーGlimmerschiefer、Gneis Granatとも呼ばれる)のプレートで壁と天井を覆う。
 あたかも礼拝堂のような雰囲気になるであろうその空間に並ぶのは、現在醸造に使っている80樽と同じ、ローマンの祖先が約320年前からアイフェル山地に所有する森に植えたオークで造った樽である。その木材は5台の貨車に載せて、ドイツ語圏では最上の樽の生産者として知られるオーストリアのシュトッキンガー社に鉄道で輸送され、醸造用の樽に仕立てられた。

 こうした一大事業に一体いくらの資金が投入されたのか、ローマンは「いくらかかったのか忘れてしまった」と言うばかりで決して語ろうとしない。「お金は死んだら意味がなくなるし、大したものじゃない。もしお金が大事で元手を取り返すことが目標なら、私は醸造家にはならなかっただろう。ただ、仕事熱心な祖先と両親のおかげで、今こうして最高のワインを造る仕事が出来ることに感謝したい。そして次の世代、私の子供たちにはしっかりとした、永続性のある事業を残してやれるかもしれない」と言う。
 まだ若いのに、もう死んだあとのことを考えているのですか、と問うと頷き、「それはそうだよ。あと20年、長くて30年かな。命には限りがある。私のことは人々はいつか忘れてしまうだろうが、この地域のワイン文化は後世に受け継がれていくものだ。だからお金の問題じゃない。何を後世に残せるかが大事なんだ」と言った。
 そして、こんな逸話を語った。「ローマ人が建てた建物や、中世の教会にいくら投資されたかは誰も関心がないし、忘れられてしまう。11世紀のトリーア大司教ポッポは大聖堂を大規模に増築して、聖ジメオン修道院も創設したのだけれど、実は非常に困窮していたんだ。それを知ったルクセンブルク大司教ヴィリブロルド・フォン・エヒタナッハは、あそこに見えるヴァヴェルンのブドウ畑をポッポに寄進した。ブドウ畑からの収入で購入したろうそくで、大聖堂の中が光で満たされるように、とね。あの大聖堂を建築した大司教が、実はろうそくさえままならないほど貧しかったとは、今では誰も知らないだろう。だからお金は問題ではない。後世に何を残すかなんだ。わかるかい。この試飲室も窓から太陽の光が差し込むと、息をのむほどに美しい。そして訪れた人々に強い印象を残したい。目に、脳裏に、そして味わいに。人々を感動させたいんだ! 私のワインを飲む人の笑顔が見たい。それには品質、品質、品質。品質以外の何もない」と、いつものように熱く語った。

 今はまだむき出しのコンクリートの塔が、やがてクリーム色の石板に覆われて朝日に輝く様子が脳裏に浮かぶ。今年の9月にはザールのお祭りにあわせて、コンサートと試飲会が開催されるそうだ。一方私は、後世に何を残すことが出来るだろうか。わが身を振り返らずにはいられなかった。

(以上)

 

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。


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