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『ラシーヌ便り』no. 145 「ブノワ・ライエについて」

◇新訪問記

 10月6日、収穫が終わってまもないブノワ・ライエを訪問しました。ブノワ・ライエを訪問始めた2008年ごろ、訪問希望に対して扉は固く閉ざされ、取引関係についての話は順調に進みませんでした。あえて言えば当時のブノワ・ライエは、栽培は素晴らしくても、醸造の方向が定まっておらず、さまざまな実験を積み重ねている時で、発展途上でした。
 ブノワ・ライエとの話がまとまり、2011年春に初めて入荷しましたが、そのワインは年を追って、別次元の味わいへと飛躍してきました。取引開始から数年を経て、ブノワ・ライエの熱烈なファンが、着実に広がってきています。この7月に初めて来日したので、ご記憶に新しいことと思います。最近ではエネルギーを秘めながら、フィネスがあり、心を静けさで満たしてくれるような味わいです。

◇おじいさんのこと

 このたび訪問時にはブノワから、大きな家具の中からでてきた、おじいさんの遺された栽培記録を見せていただきました。美しい字で記されたノートは、1927年から1968年までの収穫量、植えた年月日、仕立て方 などが記され ライエ家の歴史を伝えています。1940年、1945年は収穫がゼロ、戦争で栽培、収穫が出来なかったのでしょう。
 「おじいさんは強いお酒が好きで、マールとフィーヌをたくさん作っていた。おじいさんの住んでいた家のセラーは、カーヴが35mもあり、まだラタフィア、フィーヌとマールがボンボン(丸型ガラス容器)にたくさん残っている。アルコールは、申請書類が厄介だから販売はしていない。でもそろそろ子供達のために作ろうかな? おじいさんの膝に座って、5歳頃にラタフィアをなめていたのを覚えている」。
 おじいさんの家は、今年から次男のヴァランタンが住み始めました。ゆくゆくは、広い地下セラーを整備して、使う予定。ブノワのお父さんは醸造をせず、ブドウを協同組合に売っていました。

◇ヴィオレーヌのこと

奥さんのヴァレリーさん

 訪問した10月6日は、奥さんのヴァレリーとブノワが初めて出会った日だそうです。「今日は記念日よ。私は学生で、ブノワの家の収穫を手伝いに来たの。Violaine の名前の由来を知ってる?ランスの西の方にViolaine という村があって、私の曽祖父はそこで生まれたの。祖母が子供を連れて再婚したのがブノワのおじいちゃんで、ブノワのお父さんはその家で生まれたの。それで、家通しの付き合いがあって、収穫に行って知り合ったの。女の子が生まれたらViolaineってつけようと思っていたけれど、男の子2人ができて、シャンパーニュに名付けたの」と、ヴァレリー。素敵なお話をたくさんうかがいました。
注) Cuvée Violaine. 亜硫酸加えず醸造 ビン詰め、濾過、ドザージュ なし。魅力的で、余韻は大変長く、エネルギーと明るい輝きを感じる。時間とともにグラスの中に現れる味わいには、いつも深い感動を抑えられない。

 さて、ブノワ父子が7月に来日した時に聞いたことについてお話しします。ブノワとエティエンヌの父子は、来日の感想を、感激とともに話してくれました。

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◇日本での印象について
 ブノワ:日本に来てワインの状態について感激したことは、ワインが14℃で自分たちの蔵を出てから、常に同じ状態で保管されていること。また、様々なワインバーやショップに行ったが、皆さんの知識の高さのみならず、ワインを好きでいよう・愛そうとする意欲も含め、本当にプロフェッショナルが揃っていると感じた。ワインボトル1本をあける仕草にも現れている。自身もコルクを抜く瞬間はすごく大事で、意識を集中させているが、日本の皆さんもまるで儀式のように抜栓の時間を大切にしているようだった。
 我々は、海外に行ってプロモーションをすることもあまり無いし、自分の感情や感動を表現するということもしてこなかった。しかし、日本に来て、あまりの居心地の良さに帰りたくない気持ちになっている。此方は気温も高く、時差で寝ていないので体のコンディションは悪いはずなのに。様々な形で感動があった。和食とシャンパーニュを合わせる体験もそうだ。日本におけるワインの保存環境の良さは、日本の気候を考えるとこれだけ良好なコンディションを維持することは出来ないだろう。ラシーヌでは、良いコンディションとありのままの姿をいかに維持するか、に努められているのだろうと感じた。

◇雹害について
 ブノワ:忘れたい。でも、忘れもしない4月20日。収量は20%ほどになってしまった。ヴィオレーヌの畑は、面積でいうと8割近くに霜が降りた。ヴィオレーヌの畑では半分が被害をうけたことになる。ピノノワールは、シャルドネ程ではないがダメージを受けた。
 この時期に気温が下がってくるのは知っているので、前もってビオディナミの煎じ薬を事前に投じていた(ブドウの実に吹きかけることで熱を与えられる)のだが、-2℃ほどまでしか対応することができないので被害を受けてしまった。これでも、他の産地に比べると我々の被害は少なかった方だと言えるだろう。場所によっては、全量を失ったところもあるのだから。しかし、[①開花が早かったこと②その後良好な天気が続いていること]により、霜のダメージはあったけれどブドウはよいペースで成長している。全体からみると、自然は良く出来ているなと思う。2016年のようにブドウが病気にかかっている訳でもないし。
 今年は良い収穫が見込めるのではないかと思う。9月7日前後の収穫になるのではないか。過去10年の平均をとれば、9月20日頃の収穫なので今年は少し早くなりそう。私たちのドメーヌにとって、収穫時期が早くなることに対しての危機感はない。90年代から畑を耕作しているので、ブドウの根は深くまで張っている。表面の気孔が乾燥していたり、水不足だからといって、出来る実に大きなダメージを与えるということはそれほど無い。

温暖化について
 ブノワ:エティエンヌとは議論が異なることはあるけれど、自身のワインに良い影響を与えてくれているのではないかとも思う。温暖化が原因で、ブドウはより早い段階で成熟に至るが、ビオディナミに基づく栽培の下ではブドウは深くまで根を張っており、根を張ったブドウからはミネラリティが得られ、なおかつ完熟した状態で収穫することが出来ると考えている。冷涼な産地において気温が上がることは、ブドウの完全な成熟を促すことにもなる。

 エティエンヌ:温暖化とは、ただ暖かくなる、という単純な現象ではない、という見解を持っている。ブドウの生育のスピードが速くなっていると感じている。温暖化とは、気温が上がると同時に、急激に気温が落ちるなどの変化も激しいものだ。生育が早まっているからこそ、良好な状態で春を迎えることが出来た (ブドウ樹は乾燥していたし)。しかし、スタートが良すぎた上に霜で打撃を受けたということは、マイナスと捉えることも出来る。
 芽が出る時期が早いのだ。人の力で止めることは出来ない。芽が出るのが早すぎると、後に霜などのダメージでロスに繋がることもある。
 今は、昔のように、1年を通じて“本当に寒い時期”や大幅な気候の変化が無くなってきていて、ブドウ樹は土が温かい状態で冬を迎えてしまう。(土が温かい状態では無ければ)だいたい11月頃には葉が落ちきり、樹は休息に入るのだが。サイクルは遺伝子レベルで植物に組み込まれ、記憶されているので大丈夫かもしれないが(ブドウは3ヶ月ほど休息しているようだ)、今後このリズムが狂っていくというリスクもあるだろう。

畑に馬のエネルギーを注入する

 ブノワ:畑を継いだ時は薬品にまみれていました。植物は、動物と接することで有様を変えます。私の持っている馬を使って耕すと、その存在が大きくて、一気に大地と生き物のコネクションが始まる。馬と一緒に耕作に入っている時、他の事を考えながら仕事をしても、成立しない。今年の夏はどこにバカンスに行こうかなあ、なんて考えながら仕事をして耕しても、何にもならない。どこまで意識を集中させることが出来て、動物と畑に関係を生むことが出来るかが重要であると感じている。日本に来て、レストランで食事をしたり、試飲会に行って感じたことは、日本のソムリエ・また消費者でさえも、目の前にあるワインに集中して意識をして向き合っている姿が非常に印象的であったこと。その姿勢が重要だと思っており、自身も忘れないように強く意識している。

2010年から家族の一員である馬を使っています。シャンパーニュでも、自身の馬を使うのは3~4生産者で、あとは委託ではないでしょうか。動物が全てだとは思わないが、土壌にとっては非常に重要な効果をもたらします。 

 
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