ファイン・ワインへの道vol.16
公開日:
:
寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
最も有名で、最も真価が知られていないワイン。
イタリア、およびヨーロッパで“歴史上最も有名な小説であり、かつ最も読まれていない小説”といえば、ダンテの『神曲』を指すというのが定説だそうです。
それと同様に、「最も有名で、最も真価が知られていないワイン」と言えば・・・・・・、筆者としては何よりもバローロと、バルバレスコではないかと考えています。
バローロとバルバレスコの真価が知られてないなんて、論旨が意味不明!誰でも知ってますよ、その美味しさは、と思われますか?しかし。あえて。
ここでこの所見を語らせていただく論拠は「あまりにも多くのバローロ、バルバレスコが、あまりにも早く抜栓され、その真価であるセクシーかつ妖艶至極なアロマと、荘厳な余韻が全くの冬眠中のうちに消費されている」と思うからです。
かのジャンシス・ロビンソン(M.W.)は、ネッビオーロというブドウについて、高らかにこう明記しています「瓶の中で年月を経ると、タールからスミレやバラに至る幅広いブーケを持つ、世界でも最も誘惑的な香りのするワインとなる」。
議論を呼びそうな点は、“最も誘惑的な香りがするワインの一つ”とは書かず、“最も誘惑的”と言い切ってるところですね。すかさず、「おい! ピノ・ノワール以上ということか!???」との怒濤の反論が押し寄せて来そうではありますが・・・・・、ともあれ、それが彼女の見解。
大切なのは「瓶の中でどれほどの年月を経ると」偉大なネッビオーロと、その他世界に溢れる凡庸で退屈なブドウ品種との差である“ネッビオーロらしさ”が現れるのか、ですね。はい。ピエモンテで会う人会う人に聞いて回りましたよ。この10年間。その中で、やはり説得力があったのが3度お目にかかったバルトロ・マスカレッロの現・当主、マリア=テレーザ・マスカレッロの言。
「少なくとも15年。偉大な年なら20年。熟成させないと、バローロはバローロにならない。それ以下の熟成のものはワインとしては“赤ん坊”だ」というものでした。彼女はさらに丁寧に「もちろん、果実味のボリュームとたっぷりしたタンニンだけが目当てなら、若いバローロを開けてもいい。しかし、果実とタンニンだけなら、別にネッビオーロじゃなくても、オーストラリアやカリフォルニアのワインでいいんじゃないの?? ネッビオーロとその他のワインを分けるもの。トリュフを感じさせる高貴なアロマと、偉大な余韻が現れるには、少なくとも15年の熟成は必要です」と、強い目力で語ってくれた姿は、今もリアルに脳裏に浮かびます。
また、ここ数年毎年バローロ村の試飲会でお目にかかるジュゼッペ・リナルディの長女で栽培と醸造を手伝うマルタ・リナルディも「少なくとも15年。できれば20年か、25年。いい畑のネッビオーロは、30年熟成させてもまだまだ若い。いわゆる枯れて、淡く弱々しくはならない」と常に、凜々しく語ってくれます。
そんな中で、いよいよ遅ればせながら生産者側も「どうやら僕らが早く出荷しすぎて、世界のワインファンはネッビオーロの本当の素晴らしさを実は知らないんじゃないか??」と気づき始めたのか。近年いよいよ、蔵元で10年以上熟成後にリリースするバローロ、バルバレスコがちらほらと現れ始めたのは大きな朗報でしょう。
確認できた生産者は3社。近年の真摯なビオロジック転換で、一気に(突如?)ワインの精彩を上げた古典派の古豪、オッデーロ。カンヌービ問題でゆれるマルケージ・ディ・バローロ。バルバレスコの隠れ職人、カッシーナ・バリッキです。バリッキは2001年を昨年リリース。マルケージ・ディ・バローロはカンヌービの一部を2005年から、サルマッサの一部を2006年から、各10年間自社熟成後リリース。オッデーロは、トップクリュの一つヴィーニャ・リオンダ2006年を今年リリース、です。オッデーロ創業家の一員でPRマネージャーのピエトロ・ヴィリーノ・オッデーロも「偉大なクリュは、10年熟成でもまだ不十分だ。そのため2013年に、より長期の瓶塾のための広大な地下保管室を、新たに造設した」と語ってくれました。
今挙げた3本のワインは全て、今年現地で試飲しましたが、いずれもまだ完全には開ききってない様子。ゆえ先のマリア=テレーザ・マスカレッロの「“少なくとも”15年」は待つべきという言葉の重みが、再度リアリティを持って迫ってきたものです。
それにしても。
驚くべきはネッビオーロの長熟ポテンシャルでしょう。つい先日も、サクッと何本か、50年前後熟成したバローロを開けてみたのですが、いずれも枯れるどころか、今まさにピークと思える妖艶アロマとセクシー余韻の満開状態。
「バローロの50歳は、人間の40歳。バローロの20歳は、人間の15歳」との私の持論は、列席者にも大いにご賛同いただけました。ちなみに付け足すなら、天下のボルドーワインでさえ、1961年のトップシャトーを除き、ほとんどのワインは、既にかなり前に“枯れた”状態に入っていたように記憶します。
もちろん、紅葉した葉が半分ほどは落ちて、その枯れ葉を踏んで歩くようなトーンになった“枯れ古酒”には、その状態ならではのゾクゾクする魅力があります。
しかし、ネッビオーロの場合は、50年の熟成後でも、枯れるどころか、満開の桜から、一分か二分ほどだけ花が散ってるかな、でもまだまだ花に華麗さと勢いがあるよね、という状態なのです。
本当に、世界に他にあるでしょうか? 30年ならいざ知らず、50年間、向上を続けるブドウ品種。しかも、さして有名でもない生産者の、そこそこの年のワインでさえ、です。ローヌの一部のシラーも・・・・・、30年少々で向上から下り坂に転ずる気がします。
ちなみに先月開けたワインは、ヴィベルティ・ジョヴァンニ バローロ・ロッケ・ディ・カスティリオーネ1967、アンセルマ・ジャコモ バローロ(ヴィーニャ・リオンダ中心)1965、カッレッタ バローロ・カンヌービ1971、同1974でありました。同様のネッビオーロ熟成酒検証は、年間20本前後は、ここ数年、毎年必ず行っております。
ともあれ。だからこそ。ぜひ。
なんとか頑張ってお手持ちのバローロと、バルバレスコを、あと数年、寝かせてあげてみませんか? その努力と忍耐は、きっと想像以上の感動と幸福の知覚体験になって、震撼とともに報われるかと思います。
その域になってこそ、初めてバローロとバルバレスコの“真価”、だと思うのですが・・・・・・。どうでしょう? 皆さん。待つと、聞こえてくるかも知れませんよ・・・・。『神曲』が。舌から。
※本稿の多くは、雑誌ヴィノテークでのピエモンテ取材を元にしています。2017年11月号には、今年取材の「ピエモンテ・ダイナミズム」が全11ページに渡り掲載されています。こちらも是非、ご覧いただければ幸甚です。
今月の「ワインが美味しくなる音楽」:
年の瀬の夜に、しみじみ、
抑制の利いたサロン音楽。
ハイドン 弦楽四重奏曲 第77番『皇帝』
バローロが“ワインの王”と言われるから『皇帝』を選んだ訳じゃないですが・・・・・・、例えばベートーベンのピアノ・コンチェルトのほうの『皇帝』と比べて、慎ましやかなのがこの弦楽四重奏のいいところ。シンプル&コンパクトな編成で、あくまで18世紀の人々の日常を彩る室内楽であり、サロン・ミュージックとして書かれたこの曲。ハイドンの最・円熟期ならではの抑制の利いた優美な音が、しみじみ、静かな年の瀬の夜に傾ける熟成ワインの幸せを、高めてくれるかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=aRilo4W33a4
今月の「ワインの言葉」:
「バローロが本領を現すには少なくとも15年はかかる。それだけ待つ、ということは誰にでもできることではない。フェラーリが、誰でも運転できるクルマではないのと同様に」
ダニーロ・ドロッコ(フォンタナフレッダ醸造責任者)
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載中。