ドイツワイン通信Vol.73
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
鉄道雑感
8月下旬に続いて10月上旬にも、ありがたいことにドイツを訪れる機会があった。今度はヴィノテーク誌の取材で、ドイツワインインスティトュートのプレスツアー参加が目的だった。羽田を深夜に飛び立った飛行機は、朝6時にフランクフルトに舞い降りた。そしていつものように、駅に向かった。
私はドイツでは鉄道を利用する。昔持っていた運転免許証は、トリーアに住んでいた時に失効させてしまい、帰国してからもそのままになっている。もともと運転が好きではなかったということもあるが、醸造所の訪問はワインを試飲しなければ意味がない。どちらかと言えばアルコールに弱い体質で、その上馴れない土地でハンドルを握るのは危険すぎる。だから移動は鉄道か友人の運転する車である。
その日、空港の地下にあるローカル線発着ホームに定刻通り滑り込んできたのは、見慣れない白い車体に”SÜWEX”とレタリングしてある列車だった。「南西特急(Südwest-Express)」の略で、2014年から稼働しているラインラント・ファルツ州とその周辺都市を結ぶローカル特急だそうだ。スッキリとしたデザインの車体で、内装も木目とダークグレイが基調で落ち着いている。DB(ドイチェ・バーン、日本のJRに相当)でも2010年頃から似たような新型車両を導入していたが、外装はコーポレートカラーの赤で、内装は青とグレーだ。走行音は静かで地上を滑走するように走り、乗り心地も良い。しばしば二階建てになっていて、一階は自転車置き場になっていることがあり、満員の時はそこに行くと、折たたみ式になっている椅子が大抵いくつか空いている。スーツケースなど大きな荷物を持っている場合は助かる。
旧型車両のメリット
私がドイツに留学のためにやってきた1998年頃からすると、列車の様子は相当に様変わりしている。当時長距離列車は基本的に6人掛けの個室が並び、片側に細長い通路がある車両で、車内に乗り込む二つ折りになった扉は硬く開けにくくそして高い位置にあり、乗車するのも一苦労だった。あの時初めて乗った鉄道のフランクフルトからコブレンツまでの約2時間、コンパートメントで白人達に囲まれて座り、一体何を話したのかは忘れてしまったが、スーツケースとショルダーバックとリュックサックという大荷物をかかえて、同室となった人達に申し訳なかったことは覚えている。コブレンツで乗り換えてからトリーアまでは、大部屋に座席が並ぶ一般的な車両になってほっとした。ただ、おそらく長距離路線に使っていた車両のおさがりと思われるくたびれた車体で、シートは薄汚れて床はべたついて、床下の車輪とモーターから漂うマシンオイルの匂いが立ちこめていた。
ガタゴトと大きな音を立てて揺れながら走る旧型車両にはしかし、昨今のスマートな新型車両にはない非常に大きなメリットがあった。窓を開けることが出来たのである。高速で走行中は大きく開けると盛大に風が吹き込むことになるが、それを顔で受けながら眺める風景は格別だった。モーゼル川沿いの斜面に広がる葡萄畑の雄大な風景と自分との間を隔てるものが何もないことは、特に写真を撮る場合に欠かすことの出来ないアドヴァンテージだった。薄汚れた窓ガラスには外に体を乗り出さないように注意するシールが貼ってあるけれど、そこそこ気をつけながらカメラを持った手を伸ばせば、湾曲する川と葡萄畑と、斜面の上に立つ城塞や修道院を、心置きなく撮ることが出来た。
しかし現在の新型車両ではそうはいかない。旧型車両には冷房がなかったので、夏は窓からの風が涼をとる唯一の手段だった。一方新型車両は窓が開かないかわりに空調が効いている。時々息苦しいような、死んだような空気を吸わされているような気分になることもあるが、おおむね快適だ。しかし写真撮影には極めて不利だ。少し褐色が入ったガラスで景色はほのかに薄暗くなり、しかも車内の蛍光灯がこれでもか、というくらいにはっきりと映り込んでしまう。ぼんやりと外をながめているだけなら大して気にもならないが、撮影には向かない。今回利用したトラーベン・トラーバッハに向かう支線では、対岸にそれは素晴らしい葡萄畑の風景が続くのだが、もっぱら観光客が利用する、この走行時間20分あまりの短い路線ですら、窓がはめ殺された新型車両だったのは残念だった。これではスクリーンを見ているのと大して変わらず、葡萄畑のそばにいる実感がわかない。もっとも、その不満は駅に降りてホテルにチェックインし、スーツケースを預けて葡萄畑に向かえば間もなく解消するのだが。
ローカル線の変化
今回ドイツを訪れて、鉄道関係で他にもいくつかの点で数年前と変わっていることに気がついた。ひとつはRE(地方急行Regional Expressの略)の路線経路で、コブレンツからモーゼル川を遡行するREは以前はトリーア止まりで、ルクセンブルクやザールブリュッケン方面は乗り換えだったのが、今はトリーアで列車が半分に切り離されて、片方がルクセンブルク行き、片方がマンハイム行きになっていた。フランクフルトからコブレンツに向かう時も同様の連結列車で、後ろ半分はマインツ止まりで、前半分だけがコブレンツに向かった。ヴィースバーデンでも停車中の列車の前半分だけがラインガウに向けて出発するという案配で、連結・分離を積極的に採り入れるのが新しいやり方のようだ。乗り換えの手間が省けて効率的だが、乗車の際に車両の行き先を間違えないように注意しないといけない。
そして驚いたことに、軽食の車内販売が行われていた。IC, EC, ICEなど長距離特急列車では以前からたまにあったが、中距離路線のREでは今回初めてお目に掛かった。「コーヒー、ミネラルウォーター、サンドイッチはいかがでしょうか」と、新幹線の車内で見かけるワゴンよりも二回りほど小さな台車を引いて売り歩いていた若者は、軽い訛りと浅黒い肌からすると、もしかするとドイツが2015年以降100万人以上を受け入れてきたという難民の一人なのかもしれなかった。
車内販売員だけでなく、検札にまわってくる車掌もアフリカ系の黒人だったことがあった。以前、中国訛りの強いアジア系の車掌に出会ったこともあるし、トルコ系と思しき車掌はさほど珍しくもないし、東欧系やインド・パキスタン系にも会ったことがある。でもアフリカ系は今回初めてだった。それはファルツの醸造所を訪問してからマインツへ帰るローカル線の中で、落ち着いた様子で丁寧に乗客達一人一人に声をかけて切符をチェックしていた。しばらくして、一人のドイツ人の乗客が適切な切符を所持していないことがわかった。しきりに言い訳する若者に対してその黒い肌の車掌は、近くに座っていた中東系の言葉を話す二人組が、複数人乗れる切符を持っていたので、彼らの連れということにしておくよ、それでいいね、と両者を引き合わせて円満に解決した。若者は恐縮したように中東系の二人に会釈すると、相手も小さく頷き、それきりだった。
多民族化するドイツ
私はここ数年毎年ドイツに来ているが、今回ほどこの国が多民族化していると感じたことはなかった。ずっと前にパリで感じた、アフリカ系やアジア系の人達の存在感が、北上してここまで到達したような気がした。多様な文化圏の出身者が鉄道で働いているのは、考えてみれば鉄道ほど様々な人々が出会う場は他にないのだから、むしろ当然かもしれない。ドイツ語が通じない相手でも、彼または彼女のわかる言葉ができる車掌がいれば意思疎通を図ることができる。だが逆に、難民もしくは移民出身の車掌の立場からすると、母国語ではないドイツ語で、愉快ではない、しかも必ずあれこれ言い訳をして、人種差別的な態度で攻撃的なことすらある乗客を相手に罰金を請求したり、次の駅で強制的に降ろしたりする業務をこなすのも、相当に大変な、ストレスの多い仕事だろうと思う。もちろん、そうした相手に対応する訓練は受けているのだろうけれど。
トリーアの友人の話では、「難民には悪い感情を持っている訳ではないけれど、確かに町の雰囲気は変わったと感じることがある」という。「たまに、難民らしい柄の悪そうな連中が広場にたむろしていることがあるんだ。そういう時は殺伐とした空気が流れる。以前はなかったような、いやな感じがするよ。だから先月の連邦議会選挙で難民の受け入れに反対する『ドイツのための選択肢(AfD)』が、12%の得票率で709議席のうち94もの議席を獲得したのも、感覚的には理解できる」と、韓国出身の彼ですら話していた。結果的には難民の受け入れを決めたメルケル首相の続投が決まった選挙ではあったが、共通通貨ユーロの否定とイスラム信徒の排斥を主張し、ネオナチへの親近感を示す極右政党の100近い議席獲得は、メディアで相当批判的に取り上げられてきただけに、良識あるドイツ人達の驚きと失望も大きかった。難民の多くは母国で平和に暮らしてきた普通の人々であり、彼らが故郷の政情が安定して帰れるようになるまでは、ドイツ社会に溶け込んで労働力を補うことが期待されている。難民の中でも若者達は、恐らく2~3年でほぼ不自由なくドイツ語を使いこなすようになるだろう。既に約1割はドイツ企業の正社員として働いており、私が目にしたDBの車掌や売り子も、そうした人々だったのかもしれない。
夜7時過ぎにファルツの醸造所で追加の取材を終えると、あたりは夕闇に包まれていた。生産者に駅まで車に乗せてもらい、ローカル線を2回乗り継いでマインツまで帰った。鉄道の良いところは、車内で食べたり飲んだりしても大丈夫なところだ。遠距離路線はもちろん、ローカル線でもお咎めなしである。ただ、生憎その時は水の他は何も持っていなかった。飛行機の中でもらったクラッカーは、取材前に腹ごしらえとして平らげていた。車掌は乗り換える度に検札に来たが、車内販売の売り子は一度も現れなかった。9時頃に空腹と眠気におそわれながらたどり着いたマインツで、それでもドイツ取材最後の夜を味わうべく、以前から気になっていたワインバー・ラウレンツLaurenzへ赴き、ささやかな祝杯をあげた。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。