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エッセイ:Vol.123 ワインというお仕事

はじめに

 ワインの在り方、あるいは「あるべき在り方」について、これまで愚考を重ねてきましたが、ここで目を転じて、ビジネスの対象としてのワインという視点から、ワインを見直したいと思います。マックス・ヴェーバー流にいえば、「職業としてのワイン」です。
 じつは、かねがね、もとになる大ヴェーバー先生のタイトル(『職業としての政治』など)は可笑しい、と感じていました。なぜなら、職業としては、政治家あるいは政治屋のはずですから。おなじように、『職業としての学問』も、変でしょう? 政治稼業や学者稼業を、あまりにも美化しているように、すくなくとも日本語では感じさせてしまいます。 
 提案。ここはすっきりと、「職業としての○○稼業」と言うべきではないでしょうか(冗談半分)。稼業という言葉は、なにもへりくだった表現ではないはずです。まあ、ヤクザ稼業という言葉を思い出させるから、使うのをためらうのかもしれません。が、稼業という言葉は、ちょっと偽悪的で面白い、とわたしには思えます。

 

職業としてのインポーター稼業

 そこで、ワインにかかわるさまざまな仕事のなかで、インポーターという仕事を論じるならば、わたしのばあい「職業としてのインポーター稼業」とすべきことになります。
  ワインの歴史が深からぬこの国では、産するワインと輸入されるワインの間で品質上の落差が少なからず認められるため、インポーター業はこの国でワインに関わる仕事のなかでは、とりわけ大きな役割を負っているといっても過言ではありません。
 世の中には、インポーターを生業(なりわい)とするさまざまな人たちがいます。ひろく世界のインポーターたちを見渡せば、尊敬すべき先駆者や恐るべきコンペティター、あるいは欲心にまみれたとしか見えないあさましい同業者など、まさしく人間博物館の様相を呈しています。
 とすれば、「インポーター」という仕事がある、というよりは、原義にかえって「インポートする人たち」がいると考えた方が、実態に相応しいのではないでしょうか。

 

人の問題―人間とワイン

 なにが言いたいのか、といえば、インポーターという業種よりも、その仕事に携わる人とその人となりを見ようということです。ワインの後ろには、つねにワインの質を左右する人間がいる、という当たり前ながら重要なことを、あらためて再認識したいものです。
 それに、抽象的に「インポーティング・ビジネスのあり方」とか、インポーターの理念や大義を掲げたり論じたりすることは格好良くても、実態を見損なう恐れがあります。
 が、かといってすぐに(失礼ながら)人は良質かどうか、外から判別がつくものでしょうか。かりに「ワインがわからない」人がいるとしたら、その人は「人間もわからない」かもしれませんし、ワインと人間の関係はそう単純ではなさそうです。
 これは堂々巡りの議論に似ています。ワインがわかるためには人間が判らなければならないのは、ものごとの核心を衝く真実だとしても、ワインがわかる人が「人間がわかる」とはかぎりません。どこの国でも、たまさかのワイン通やMWその他のワイン関係の有資格者が、人間通でも人間的でもないことは、とかくありがちなこと。偉そうにふるまうワイン関係者がいるとすれば、それはただの人かもしれませんし、裸の王様かもしれません。

 

言葉と行為―言葉を鵜呑みにしない

 そこで、人の行動が人の中身を規定する、というプラグマティズムの視点に立ってみましょうか。つまり、どういう行動をするからには、その人にはそのような行動のもととなる準則があると想定できるわけで、行動原理のありかたを人の資質(中身)と呼んでいいと思うのです。いずれにしても、言葉は行動とは直接つながらず、表面的な言葉を文字どおりに事実そのものと受けとめるのは、むろん初歩的な間違いです。
 インターネットで気軽にインポーター屋さんのホームページをひらけば、輝かしい言葉がそこいら中に氾濫しているので、「インポーターって、そんなに立派な仕事をしているんだ」とか、「このインポーターは、そんなに手間暇かけた仕事をしているんだ」と、感心されかねません。立派であるかどうかは、広告に使われている言葉だけからでは判断できないわけで、ミスリーディングな広告表現からその背後にひそむシンプルな事実を見極めることは、言葉の専門家でもワイン関係者でも、容易くはありません。

 

ワインを見ればわかるインポーターの思想と行動?

 どのインポーターについてでも、その扱っているワインの味わいと状態から、仕事の内容やレヴェルを想像することは、だれでも自由にできます。もし現在のワインの状態が、重層的にワインの過去を物語っているのだとすれば、どこまでが造り手の責任であって、どこからがその先、つまりインポーターあるいは売り手の責任なのかを、分けて考える癖をつけること――これが、お金を支払う立場にあるワイン消費者にとって肝要なことです。本来は素晴らしいワインが、もしも輸入や販売をになう人々のためにその姿が歪められ、みじめな有様になっていたとしたら、残念このうえないことであって、責任をとってほしいと思う愛好家の気持ちも当然です。
 論理的には、その逆もありえますが、ワインの持ち味と水準を判定できる能力と資質があるインポーターならば、造り手とそのワインを選び間違えるはずがない、としていいでしょう。「良質ならざるワイン」を「良質なインポーター」が扱うことは、まあ、無いとみて差しつかえありません。「良質ならざるワイン」を扱っているとすれば、定義からして「良質なインポーター」とは呼べないからです。
 たとえば、(品質には問題があっても)扱えばたやすく売れるワインを好んで輸入するタイプのインポーター稼業の面々は、(たとえ口にしなくても)選択基準のなかの優先順位が、品質よりも売りやすさや利益に置かれている、と見立てられても仕方ありません。「売れるワインがいいワイン」と定義することは、「勝てば官軍」型マーケターが陥りやすい貧相な発想なのです。
 たしかに「ワインはインポーターで選ぼう」というスローガンは、消費者にとって魅力がありますが、そのインポーターの資質と力量を判断するためには、その前提としてその扱っているワインを評価する力量がなくてはなりません。とすれば、これまた「人間とワイン」の話や、卵とニワトリの関係もどきであって、堂々巡りになりかねないので、この話題はこれにて打ち止めとしましょう。

 

ワインの重み

 ワインに関心がある人にとって、ワインという話題には特別な重みがありますが、別の意味でワインは重たい存在です。たとえば、ビンにはいったワインの重さは、どのくらいあるでしょうか。ワイン1本が750ミリリットル入りとして、1本当たり1.2~1.3キログラムあるとすれば、1ケース12本入りで14キログラム前後になります。まして重厚に着飾ったシャンパーニュのボトルならば、1本1.7キログラムほどもあり、12本入り1ケースは約20キログラム。だから両手で持ち上げるのにも難渋します。
 なにが言いたいのか、およそ見当がつくでしょう。およそインポーター稼業なるものは、生産者から輸入先の業務用倉庫までと、倉庫から顧客(酒販店・卸店・レストランから消費者)にいたるまで、この重量ある物体を安全に輸送するのが、日常の仕事の中身なのです。つまり、インポーターにとって力作業は、不可欠どころか中心的な業務なのです。ただ、その部分を専門の輸送業者と倉庫業者に外注しているので、実態が見えにくく、評価を誤りやすいのですね。
 おまけに、「生きているワイン」を扱っているインポーターならば、ワインを損なわないよう気をつけ、生ものを生きた状態のまま、指定されたトキとトコロに届けなければなりませんから、骨が折れて気も疲れる仕事なのです。

 

肉体労働と頭脳労働を要するインポーター稼業

 つまり、「重さ」と「神経・配慮」という、相反する要素がもともとワインのなかに同居しているのです。とすれば、インポーター稼業は外見だけからしても、肉体労働であるとともに、神経をつかう頭脳労働でもあります。
 しかしながら、海外にメールオーダー式に商品を発注し、倉庫に届いた商品をメールで顧客に案内する、形ばかりのインポーターがいたりするので、その本業がホワイトカラーのオフィスワークだという誤解が、インポーターの内部ですら起こりがちです。もちろん、ブローカーや並行業者を積極的に「活用」しさえすれば、オフィスに居ながらにしてほとんどどんな商品でも購入できる、と自負するインポーターがいても不思議ではないわけで、テオプラストスではありませんが、まさしく『人さまざま』。
 そういう方々はいわば、ブドウ栽培業者から原料を購入し、さまざまな機能がプログラムされている機器と、酵母や添加剤などを使いこなし、自分の手を汚さずにワイン製造の指揮をする、アームチェア型のワインメーカーじみた存在なのでしょう。
 もちろん、自然のなかで自然とともに生きて暮らす本来のヴィニュロンは、自力で畑仕事とセラーワークという二大重労働をこなしながら、他方で神経を張り巡らしつつ繊細でデリケートなバランスを、ワインの味わいのなかに生む手伝いをしているのです。その意味では、地に足の着いたインポーターは、本来のヴィニュロンと同じように肉体労働と頭脳労働をしていることになります。

 

ワインに必要不可欠な存在とは

 ところで、ワインにとって必要不可欠な存在はなんでしょうか? 人間としてはワインの始点と終点をなす造り手と飲み手だけで、物としては飲用に欠かせないグラスや栓抜きなどの補助用品です。
 けれども、ワインが狭い同一生活圏内で生産=消費された産地費消型商品から、グローバル化された資本主義社会内存在へと移行し、産地と消費地が時間空間的に分断されている以上、それらの乖離をつなぐ媒介者とその活動が不可欠となりました。それが現下のグローバルな流通と消費のネットワークであり、ワインの品質状態を維持可能にする輸送・保管業者です。
 わけても消費地において生産者を代弁して流通販売の機能を担うインポーターの存在は、酒販店やレストラン/飲食店/バーとともにワインの末端消費を支えていますし、他方でワイン情報の生産と流通を本来担うべきワインジャーナリスト/ライターと、インターネット網を前提とするブロギストの活動も、現代では少なからぬ役割を課せられています。

 

ヴィニュロンとともに歩むインポーターとその仲間たち

 巨視的に見れば、ワインの生産を質でもって代表するのが、世界のワイン生産地に依拠するヴィニュロン型生産者だといってよいでしょう。狭いブドウ畑を家族で営々と手入れし、自分たちで収穫したブドウを醗酵熟成に持ちこむような小耕作者型ワイン生産者のことを、フランスでヴィニュロンvigneronと呼びならわしています。それに対して、ワイン生産を量でもって代表するのが、チリ・フランス・イタリアなどに割拠する、モダン機器と専門技術で重装備された超大型生産者たちです。
 それぞれの生産者タイプを補完し、フォローする流通販売組織が、各地の需要とその質に応じて発展してきました。
 流通販売機能でヴィニュロン型生産者を補完するのが、彼らと共同歩調をとってきた多くの独立型インポーターと、各種のワイン専門店です。
 多数のインターネット・ワインショップには、良心的なネット専門店や、酒販店を併設する実力あるネット販売店もあり、それぞれ熱心なワイン愛好家層から支持されています。

 

ヴァンナチュール運動を支えた日本のインポーターとワインマーケット

この20年間に世界で興隆し、上昇基調にあるのが、ナチュラルワイン/ヴァンナチュールであり、近年特にイギリスや北米の大都市、あるいは一部の北欧(デンマークなど)で特異な流行現象と化しています。 
 日本の自然派ワイン市場は、日本独自のスタイルで発展を遂げたものですが、「日本がフランスのヴァンナチュールが育つのを海外で支えてきた」とさえ、有力生産者から認められ、感謝されもしているほどです。その動きは、少数の先見性と勇気にとんだインポーターが歩み、先導してきた賜物です。それに呼応したのが、これまた一部の熱心な酒販店とワインバーであり、偏見に毒されず好奇心旺盛なワイン消費者でした。定温の保管倉庫と、日本独自のワイン専門の定温輸送トラックや、全国的に敷かれた定温輸送網が、微妙なナチュラルワインの品質維持を可能にしました。

 

これで良いのか、日本のヴァンナチュール市場

 それに対し、保守性に富む権威主義的なワイン関係者や組織とワインジャーナリストの一団は、ヴァンナチュール運動を白眼視し、結果的に時代の動きから取り残されてしまったのが、実情でした。ワインの専門家をもって自任する人ほど、なぜかヴァンナチュールの動きに鈍くて、時代の流れを見損なってしまったのでした。
 けれどもナチュラルワインが結構づくめ、というわけではありません。率直に言って、その品質と状態は玉石混交なことが多く、そういうワインへの偏愛は、日本の特異なヴァンナチュール・ブームを築く一方で、健全なワイン文化を歪めている節すら見うけられます。
 造りそこなったヴァンナチュールなど、「日本に持っていけばすぐ売れてしまうから、心配することはない」と豪語する不遜な生産者がいることは、日本のヴァンナチュール市場の歪んだ一面をあらわに物語っているとしか思えません。
 「日本のヴァンナチュール関係者と愛好家よ、いっそう奮起せよ」と、内心で呼びかけざるを得ません。

 

インポーターの役割を再確認する

 インポーターは、〈生産者と消費者を媒介する〉という立場の重要な一角を占めている以上、現代における媒介者としての機能をより鮮明にしてもいいでしょう。
 その基本的な任務は、〈生産者に対しては消費者の意見や嗜好を伝え、消費者に対しては生産者の気持ちと仕事の中身を代弁する〉ことでしょう。が、果たしてそれだけでいいものやら? わたしは、もっと積極的な役割を演じても良いと思っています。
 ただし、インポーターはワイン批評家とおなじく、出しゃばり過ぎは控えるべきでしょう。たとえば、〈生産者にワインの造り方を指南する〉〈消費者に不適切なワインの飲み方や買い方を教える〉といったおこがましい態度や厚かましい行為は、断じてとるきではないでしょう。ワインの生産と購入にともなう費用や危険を負担せず、技術的な習得・経験というバックグラウンドや裏打ちが無いまま口先介入をするのは、著しく見識に欠ける浅はかな行為だと看做されてもしかたありません。生産者と消費者に対しては、常に上から目線を慎み、やんわりとアドヴァイスする程度が、限界かもしれません。

 

わたしの場合…

 ですが、わたしはあえて〈ワインの持ち味を引き出す方法〉を、生産者と消費者に伝える、というスタンスでいます。それは、ワインと人間にとって快適な環境をつくり、味わいを妨げるネガティヴ要因を除去するという間接的な技法です。前者は〈室内と机上周りにかかわる〉【マクロ環境設定法】であり、後者は〈ワインに身近なボトル・グラス周りと、身体操作にかかわる〉【ミクロ環境設定法】です。〈ワインから電磁波と金属機器の影響を防ぐ〉という発想にもとづいて、コルク(と必要ならO‐リングテストを活用する)具体策の組み合わせですが、わたしのエッセイや「ワイン原論」の読者は、すでにおなじみのはずです。なので、今回は具体的な説明は省きますが、造り手の方々の目の前で実験あるいは実践して、その効果を実感・確認していただくことにしています。とびきり感度の高い、優れた造り手の方々だけに、これらの環境設定法はさいわい好評いただいているようです。

 

 


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