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『ラシーヌ便り』no. 142 「ハリディモス・ハツィダキスの訃報」

1)ハリディモス・ハツィダキスの訃報 

悲しいお知らせです。サントリーニ島/ギリシャの造り手、ハリディモス・ハツィダキスさんが8月11日に亡くなられました。突然の訃報に接し、深い悲しみでいっぱいです。

思えば2009年2月のこと、『ル・ルージュ・エ・ル・ブラン』のフランソワ・モレルさんからのお誘いで、パリで数々のギリシャワインを味わう機会をいただきました。この時初めて、上質なギリシャワインと出会いました。 特に、ハツィダキスの深い味わいに驚愕しました。ワインの中に感じる美しさは、別世界のものでした。【Pyrgos】2005、【Mylos】 2008から、 最近の【Louros】にいたるまで 、唯一無ニの素晴らしい世界を私たちに教え、導いてくれました。

「起源前1640年ごろに噴火した火山が形成する景色は、めずらしい景観をなし、時にいかめしく、壮麗で、また時には驚くほど物悲しさがきざまれている」とフランソワ・モレルの紀行記にありますがハリディモスの思い出とともに、サントリーニ島の青い海、厳しい地形 心をうつ格別な美しさを忘れることができません。

ハリディモス・ハツィダキスの特別なワインに出会えたおかげで、私たちは掛け値なしにほんもののギリシャワインに出会うことができたのです。ハリディモスがいたからこそ、サントリーニ島のアシルティコ種の偉大さが、世界中に知られることになりました。 彼の遺したワイン造りが絶えることなく、引き継がれていくようにと、心から願っています。サントリーニ島の空港で、別れ際に恥ずかしそうにしてプレゼントを贈ってくれた優しい姿が、目に焼き付けられています。 来年の来日を楽しみにしていました。心からご冥福をお祈りします。

2)あらためて思ったこと―日本のワインマーケットの歩んできた道の再確認
 先日、ドイツの大きなワイナリーでケラー・マイスターとして責任ある立場で仕事をしている方と話す機会がありました。久しぶりに帰国して、何軒かの日本のワイナリーを訪問されたとのことでした。互いに話しているなかで、私が自分自身の仕事について、あらためて確認できたことがありましたので、そのことをお話ししたいと思います。
 その方が日本で知り合いから勧められて行った数軒のレストランでは、輸入もののヴァン・ナチュールと日本ワインが楽しまれていました。が、自分がまったく認識や評価ができないワインが、そこで非常に人気が高いことに、たいへん驚かれたそうです。その人の基準では販売してはいけないような傷んだワインが、そこでは喜んで受け入れられていたからでした。
 「ヴァン・ナチュールや自然派ワインと呼ばれているワインが、何故ここまで人気があるのかわからない。また、日本ワインには、いいものもあるけれど、その反対もある。でも、PHが高いワインを、何も考えずに、無濾過で亜硫酸をいれずにビン詰めして、『自然派ワイン』として販売し、それがなぜか売り切れている。技術的な経験が不十分な人が、安易にヴァン・ナチュールを造っているし、そういうワインが完売してしまうのが、自分には理解できない」とおっしゃっていました。
 私自身は日本ワインについては不案内なので、そのようなワインが存在し完売しているという「実態」は知りませんでしたが、そのことはそのままヨーロッパのヴァン・ナチュールについても言えるのではないかと思い、その視点で次のようにお答えしました。

 「総生産量3万本前後の、自分で栽培醸造している造り手のワインと、数十万本単位(またはそれ以上)の大規模に製造されているワインとでは、ワインという呼び名は同じでも、全く性格の違うものです。造り手の息遣いが感じられるワインであってこそ、ワインの持ち味が発揮されるのではないでしょうか?私の好きなヴァン・ナチュールは、そんなワインです。
 あなたが接してきたワインにも、優れたワインと凡庸なワインがあるように、ヴァン・ナチュールにもおのずと優劣がうまれます。それなのに、特にヴァン・ナチュールについては、なにか欠点があるとバランスを失して非難されすぎるのは、おかしいのではないでしょうか。それはともかくとして、欠点だらけのワインだけがひどく非難され、それが受け入れられるマーケットもまた変だ、というのはおかしいと思います。一般のワインにも、上質なワインと、様々な物質とテクニックを駆使して造られた人工的なワインとがあり、後者を私は酷いワインだと思います。
 日本では1990年代に、勝山晋作さんやフランソワ・デュマさんといったインポーターやその周辺から、ヴァン・ナチュールのムーヴメントが始まりました。もしその頃、インポーターが完成度の低いヴァン・ナチュールを仕入れていたなら、今日のムーヴメントは生まれなかったと思います。私も、その時々に伝えたいワインを選び、できる限り良い方法で輸送と保管に努め、お店と消費者に届けようとしてきました。そのような関係者の努力がみのり、消費者にも共感がうまれた結果として、日本にヴァン・ナチュールが定着したと思っています。
 オーストラリアやアメリカから日本にやってきたワイン関係者たちは、自国で未経験のヴァン・ナチュールに大きく影響を受けたと聞いています。2000年代に入り、パリのワインバーで働いたり、ワイナリーで研修してきた多くの方が帰国し、ヴァン・ナチュールをいっそう広めました。
 日本におけるヴァン・ナチュールの広がりは、ワインバー(やレストラン)と消費者が、同時代感覚をもちながら共に伸ばしてきた、ムーヴメントでもあったのです。日本でのヴァン・ナチュール・ブームが盛んになるにつれ、日本国内のリファートラック輸送体制も整ってくると同時に、心ある酒屋さんやレストランがワインを低温で管理するようになってきました。
 常温でワインを扱っている酒販店やレストランもまだありますが、店のなかで大きなスペースを占めるセラーを設置して、ワインを保管販売する店が登場してきたのです。ヨーロッパやアメリカに、日本のように徹底した温度管理に努める店舗がどれだけあるでしょうか。
 ワインを適切な温度と保管条件のもとで楽しもうとするマーケットは、ある意味でインポーター・酒販店・ワインバーが共に育ててきたものであり、それが日本のヴァン・ナチュールの歩みなのです。」

 私が話したかったことが、うまく伝わったかどうかわかりません。けれども話しをしながら、久しぶりにこの二十年余りの日本のヴァン・ナチュール市場の歩みを、振り返る機会になりました。


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