ドイツワイン通信Vol.98
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
モーゼルからの便りとバーデンからの来訪者
11月も終わりに近づき、ドイツ各地でクリスマスマーケットが始まった、という知らせをしばしば目にするようになった。夜の闇を彩るイルミネーションと、地元の人が演奏する金管楽器アンサンブルの聖歌、そして肌を刺すような寒気の中で味わう、熱くて甘くスパイシーなホットワインを思い出す。ホットワインはドイツ語で「グリューヴァイン」Glühweinと言う。「グリュー」Glühは熱いという意味の他にも、光り輝く、という意味がある。さながら、体の中で輝いて、心を明るくするワインといったところか。
・モーゼルからの便り
ドイツのブドウ畑では、寒気により樹上でブドウが凍るのを待つアイスヴァイン--今年はほとんど残されていない――を除いて、収穫は終わった。生産者達は仕込み作業を一通り終えて、発酵の様子を見ながら一息ついているころだろう。モーゼルのルドルフ・トロッセンに、今年の収穫はどうだったかと聞いたところ、以下の返信が返ってきた。
「丁度さっき、お客さんと一緒にセラーに行って、一部はまだ発酵中のワインを一緒に試飲してきたところだが、全体的に見事な仕上がりだった。これほど多くの、澄み切った味わいの、果実味が豊かなワインが出来たとは! 2019年は苦労した甲斐のある、喜ばしい生産年になりそうだ。
とはいえ、ブドウ畑の状態は最初大変だった。2018年がそうだったように、夏の太陽がいつになく強烈だった。私たちのブドウは非常に長い期間乾燥にさらされた。40℃に達する熱波を二回も耐えた。そのとき多くの果粒は干からびて、果梗が損傷し、房に養分が十分にいきわたらない症状も多く出た。未熟、半熟、完熟と過熟、腐敗が入り混じった房もあった。それを見分けて、選別しなければならなかった。
ちょうど祖父がやっていたのと同じやり方で、私たちはブドウを手作業で収穫している。世界各地の多くの地域では、ハーヴェストマシンを使うのが一般的だ。だがマシンでは、経験を積んだ注意深い人間ほどには、ブドウを選り分けることはできないし、2019年のような生産年には、それがとりわけ重要だった。
私たちは疲れ果てているが、幸せな気分だ。先日カナダのTVチームが来て、ナチュラルワインをテーマにしたドキュメンタリー制作のために、美しい映像とインタビューを収録していった。来年5月にケベックで放映されたあと、ネットでも公開される予定だそうだ。ナチュラルワイン・ムーヴメントにはきっと良い影響があるだろう。
今年初めて造ったペット・ナットの「プレルス」は、瞬く間に売り切れてしまったが(補足:ラシーヌでは2020年春にリリース予定)、間もなく(来年ペット・ナットとしてリリースする)、みずみずしくフルーティな、発酵中の2019年産リースリングの新酒を瓶詰する。2018年産プールス・シリーズのケステンブッシュ、ピラミデとマドンナもそろそろ瓶詰だ」
・2019年の熱波の影響
そういえば、6月下旬と7月中旬に猛烈な熱波がヨーロッパを襲ったのだった。生産者やブドウ樹にとって試練の時期だったが、ワインの輸入もまた、温暖化への対応を迫られている。
ラシーヌでは生産者のセラーから、14℃を維持するように設定したリーファートラックでフォワーダーの倉庫に運び、そこでリーファーコンテナに詰めて船で日本に運ぶ。従来は気温の高い7月・8月を避け、6月末に集荷を一旦止めて、暑さが峠を越えた9月に再開していた。だが、来年からは天候の推移を見ながら、6月中旬以降の集荷は避けるべきかもしれない。そうすると、集荷しそびれたワインは、夏の間の数カ月間生産者のセラーで過ごすことになる。すると、なかなか集荷に来ないことにしびれを切らせて、他所にワインを販売してしまう生産者が出てくるかもしれない。生産者のセラーは夏の間、集荷待ちのワインが場所をとることになるし、フォワーダーの倉庫も、集荷が集中する6月にはオーバーキャパシティになる可能性も否定できない。
実のところ、ヨーロッパ、とりわけドイツのような、従来は夏場でも気温もそれほど高くならず、空気が乾燥しているので、日陰に入ればすぐに涼を得られた地域では、倉庫も空調設備を備えていないところが多い。仮に備えていても、倉庫の中の一部のエリアに限られていて、温暖化に対応しきれていないのが現状のようだ。
一方現地の人々は、ワインが常温で置いてあってもあまり気にしない。例えばドイツでは、一般消費者向けのクール宅急便は存在しない。ドイツの宅配業者DHL、DPD、Hermes、UPSはいずれも、低温を維持する必要のある生鮮食品の輸送は、基本的に受け付けないし、それでも送る場合は自己責任である。だからドイツに住んでいた時、夏場に醸造所やワインショップにワインを注文すれば、他に選択肢がないので常温で送られてきたし、正直なところ、私もそれをあまり気にしていなかった。ワイン愛好家は地下室にワインを寝かせ、ワイン用の冷蔵庫はワインバーやレストランか、醸造所の試飲室で見かける程度だ。気候変動に対応した流通過程での品質管理の意識改革と、倉庫での空調設備の充実が求められる。
・遅くなる瓶詰
トロッセンからのメールに話を戻すと、今年は瓶詰の時期がずいぶん遅い。豊作だった2018年、ボトルの供給難で瓶詰めが遅れそうだ、とは4月下旬に醸造所を訪問した際に聞いていた。しかし、今年の収穫を終えた11月になっても、前年産の一部がまだ瓶詰されていないというのは、これまでにないことだ。バーデンのエンデルレ・ウント・モルでも、2018年産の白の一部は12月に瓶詰するという。
もっともこれは温暖化の影響というよりも、必要なだけ時間をかけて、ワインが仕上がるまでじっくり待とうということなのだろう。余談だが、ポルトガルのカプーシャも、2017年産白のフォッシル・ブランコが先日ようやく瓶詰された。昨年の暮れから、もうすぐだ、もうすぐ瓶詰すると言い続けて、ようやくの出荷である。
高品質な白は熟成期間を長くとる傾向が、最近少しずつ増えている気がする。例えばモーゼルのとある生産者では数年前から、グローセス・ゲヴェクスのもう一段上に、グローセス・ゲヴェクス・リザーヴというカテゴリーをつくり、伝統的な木樽で24~36カ月熟成してから瓶詰している。祖父の代ではそれが当たり前だったのだそうだ。
従来は収穫翌年の3月頃から、競うようにして販売開始されたワインの瓶詰めは、早飲み用のワインは別として、次第に遅くなる傾向にあるのかもしれない。そして高品質なワインは、販売の都合にあわせるのではなく、ワインの都合にあわせるようになりつつあるのだとしたら、それはそれで、良いことではないだろうか。
・リンクリン夫妻の来日
11月半ば、ドイツ南部にあるバーデンからリンクリン夫妻が休暇で来日した。
リンクリン醸造所は、アルザスとライン川を挟んで対岸に聳える死火山、カイザーシュトゥールの東側のふもとに位置している。山といっても、周囲の平野から最高地点で377mほど盛り上がった、起伏に富む丘陵地帯である。ライン川に沿ってブルゴーニュから南風が吹き込む、ドイツで最も温暖な地区だ。だから、昔から赤ワインの産地として知られてきた。
リンクリン醸造所のあるアイヒシュテッテン村のブドウ畑は、火山岩の上にレス土が厚く堆積する、ゆるやかな斜面だ。レス土はブルゴーニュから吹く南風が運んできた粒子の細かい土で、保水性に富む。だから猛暑の年でも、ブドウ樹は水分を得ることが出来るので、収穫量が極端に減ることはない。そしてレス土に育つブドウ樹のワインは、一般に口当たりがやわらかく、親しみやすい味わいのことが多い。リンクリンのワインは、SO2添加量を少なめに抑えている(現行のミュラー・トゥルガウ2018は総亜硫酸量67mg/ℓ、シュペートブルグンダー2016は34mg/ℓ)こととも相まって、その特徴がよく出ている。2016年からは亜硫酸無添加のナチュラルワインも、少量だが生産している)。
今回来日したオーナー醸造家のフリードヘルム・リンクリンの実家は、主に野菜を栽培する農家で、1955年という早い時期から有機栽培を続けている。フリードヘルムの祖父は、厳格なキリスト教徒だった。農薬や合成肥料を使った農業は、主の被造物を大切に守り受け継ぐという、信者の理念に反するのではないかと考えたのが、有機農法を始めた動機だったそうだ。経済効率と利潤を追求するあまり、主の創造した自然環境を、農薬や化学合成肥料で汚染・破壊してよいはずがない。だから、持続可能性を重視した有機農業に取り組んだのだ。
当初は、当時唯一の有機農法団体だったデメターの指導を受けていた。だが、神秘主義的なやり方になじめなかった。そして1971年に有機農法団体「ビオラント」を、12名の仲間たちとともに創設した。ビオラントは現在、約7700軒の農家(穀物・野菜・畜産・養蜂などを含む)が加盟する、ドイツ最大の有機農法認証団体である。
1991年、65歳になった父は引退し、7人兄弟の末っ子だったフリードヘルムは1.8haのブドウ畑を継いで、醸造所を設立した。当時21歳だった彼がワイン造りを始めるまで、収穫したブドウは醸造せずに、そのまま販売していたそうだ。現在8haに広げたブドウ畑で、ミュラー・トゥルガウ、シュペートブルグンダー、グラウブルグンダー、ヴァイスブルグンダー、ソーヴィニヨン・ブランの他、カビ菌に耐性交配品種をいくつか栽培している。
「この10年間、醸造所と、併設する民宿の経営と子育てで忙しく、旅行に出る余裕はなかった。今回の日本は本当に久しぶりの海外旅行だよ」とリンクリン夫妻。2019年は、現在ガイゼンハイム大学で醸造を学んでいる、4人兄弟の上から二番目の長男と一緒に、ペット・ナットの醸造に挑戦している。使用品種はカビ菌耐性品種のヨハニターとムスカリス。ドイツではペット・ナットの生産者は数えるほどしかいない。だが、ガイゼンハイムにいる息子は、各地の若手醸造家達との交流があり、新しい情報には事欠かないそうだ。これからが楽しみな生産者である。
フリードヘルム(左)とアンネ・リンクリン夫妻。麻布十番の焼酉 川島にて。
Weingut Friedhelm & Anne Rinklin (https://rinklin-wein.de/)