ファイン・ワインへの道vol.6
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寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
アヒルの子を白鳥に変えた男
サンジョヴェーゼの闇と謎、つまり「真に偉大なサンジョヴェーゼを探し当てることは、偉大なピノ・ノワールを探し当てるよりも、さらに数段の情熱と努力、厄介にめげない忍耐が必要だと感じる」というような趣旨の内容を、先月のコラムで少し述べさせていただきました。
今回は、その続編です(サンジョヴェーゼ嫌いの人に、改心してもらえたらと、しつこく書くわけでもないのですが)。
前回の論の中で「気軽なようで、実は世界で最も気難しいブドウ品種の一つであるサンジョヴェーゼ。その300~400本の中で、わずか2、3本しかないとさえ思える、偉大な成功作(超・狭き門)の多くに関与したコンサルタントが、1人だけいる」との旨の話も少ししました。
はい。
1925年3月24日、ポッジボンシ生まれ。2012年86歳で他界したジュリオ・ガンベッリ氏です。その名をご存じない方でも、カーゼ・バッセ(ソルデーラ)、モンテヴェルティーネ(レ・ペルゴーレ・トルテ)、つまりサンジョヴェーゼ・ワイン版モーツアルトとベートーヴェン的な最高峰・双璧を手がけたコンサルタントと聞くと・・・・・・、畏敬の念が湧きませんか? さらに、とあるブルネッロのワイナリーで、ある時、一樽のみあった雹害ブドウから造ったワインを試飲し、瞬時に“雹が当たったブドウで、ワインを造ってしまったな”と指摘したと聞くと・・・・・、どうでしょう?
もちろん彼は、先の2つのワイナリー以外も、トスカーナの多くのワイナリーを指導しました。例えば、
1965年以来:ビッビアーノ、レンチーネ(Rencine)、ヴィッラローザ(Villarosa),ロダーノ(Rodano)。
1977年以来:サン・フェリーチェ、ロ・スプナッチオ(Lo Spugnaccio)、パリアレーゼ(Pagliarese)、コッレ・アイ・レッチ(Colle ai Lecci),ヴィッラ・ア・セスタ(Villa a Sesta)。
1980年代以来:オルマンニ(Ormanni)、イ・バルツィーニ(I Balzini)、カッキアーノ(Cacchiano)/以上、全てキアンティ・クラッシコ地区。
1992年~:ポッジョ・ディ・ソット/モンタルチーノ。
1997年~:イル・コッレ/モンタルチーノ、サン・ドナティーノ(San Donatino)/キアンティ・クラッシコ地区。
などです。
セラーでは「まず掃除!次に仕事。そしてまた掃除!」が口癖だったというガンベッリ。その徹底が厳しすぎたのか、またはごく少量の亜硫酸以外には、ベントナイトなど一切の添加剤を容認しなかったという信条が(経営者には)大変だったのか、特に70年代に契約したワイナリーの一部では、極短期間で、ガンベッリが黙って去って行ったとされています。
彼の仕事を語る際、よく言われるのは「天才的な試飲能力」という話です。実際、彼のラボでアシスタントとして雇われたスタッフは、時にこうこぼしたとまで言われています。
「彼の舌は機械より正確なのに、なぜ僕を雇うのだろう? それはある意味、お金の無駄かもとさえ思える」と。
ともあれ実は私も一時期、ガンベッリが指導したワイナリーの人々に、「師の教え、師の仕事」について意識的に聞いてまわった時期がありました。その際、多くの答えでまず最初に出たのは“発酵時の長期マセレーションの重要性”でした。
現在、キアンティ・クラッシコだけでなくブルネッロ・ディ・モンタルチーノでも、マセレーションはヴィンテージにより10日から15日前後が標準と思える域です。しかし、ガンベッリの薫陶を受けたワイナリーでは例えばモンテヴェルティーネは20日、カッキアーノ25日、ポッジョ・ディ・ソット28日前後という時間をかけるそう。
またキアンティ・クラッシコ・ワイン生産者協会でサンジョヴェーゼのクローン選別プロジェクトの技術責任者を務めつつ、2000年から2012年までガンベッリと共にビッビアーノのエノロゴを務めたステファノ・ポルチナイも「ノーマルのキアンティ・クラッシコで21日、グラン・セレッツィオーネは25日。2001、2004年など真に偉大な年は30日をかけた。長いマセレーションでブドウのポテンシャルをしっかり引き出すことをガンベッリは何よりも重視していた」と決然と語り、胸を張ってくれたものです。
さらにガンベッリの弟子である新世代で、トスカーナ屈指の気鋭若手エノロゴ、ジャコモ・マストレッタに至ってはポルタ・ディ・ヴェルティーネ時代、50日ものマセレーションを貫行。「サンジョヴェーゼは、扱いを間違えると骨だけの人間みたいな、酸ばかりの味になる。長期マセレーションでブドウの成分をゆっくり抽出し、バランスよく筋肉を与えることがとても大切なんだ!」と語る熱さ激しさが、非常に印象的でした。
そして当然、そこまでの長期マセレーションはリスクや危険と背中合わせ。ブドウの状態が完璧から遠いほど、青苦いタンニンと、アグレッシヴな酸がワインに抽出される。つまり、長期マセレーションは、健全なブドウ栽培および完璧に近い選果を実現できた生産者のみが可能になる醸造法であると同時に、偉大なブドウを手中にしたということの証明だとも考えられる訳です。
と、ここまでお読みになって「フムフム。では旧・ガンベッリ門下のワイナリーを試せばいい訳だ」と思われますか?
ところが。それでも時に釈然としない思いを味わうのが、サンジョヴェーゼの難儀なところ。例えば先述したビッビアーノは、ガンベッリの死後、彼の醸造法のもう一つの主柱の一つだった“発酵温度放任”つまり発酵温度を一切コントロールしないという鉄則をステファノ・ポルチナイが変更。もちろんそれだけが理由ではないかと思いますが、2014年ヴィンテージでは、以前のようなクラシック・サンジョヴェーゼらしさがやや薄れた気がします。また近年のモンテヴェルティーネについても、創業者である故セルジオ・マネッティ時代の安定感と、突き抜けた味わいの深遠さが時に陰っているようにも感じられ・・・・・、やはりこのブドウの扱いの困難さが思い知らされるばかり。
また同時に、「先述したガンベッリ門下ワイナリーで、カーゼ・バッセ、サン・フェリーチェ、モンテヴェルティーネの3社と、それ以外の生産者のギャップがかなり甚大なのでは?」との声も聞こえてきます。
おっしゃるとおり。
それは例えば、ヴァイオリン奏者、楽器、楽譜の関係にも似た関係かも、です。つまりは、テロワール、ワイナリー・オーナーの卓越した情熱と意志、そしてコンサルトの力。その3つのうち、どれか一つが不十分でも、どうやらサンジョヴェーゼは「真に偉大な」ワインとはならない、ということのようです。
「え? この文の冒頭を読んだ時、それほどまでにこのブドウが気難しいとは思わなかった」ですと?
だからこそ、探し当てた時の喜びが大きい。探し甲斐がある。そこがサンジョヴェーゼの大きな魅力にして魔性、妖力とは、言えないでしょうか。
ともあれあと少し、偉大なるマスター・テイスター、ガンベッリの逸話を少々。ある年、アルコール発酵から2年も経って、まだリンゴ酸が1%も残っているワイン、つまりマロラクティック発酵がまるでうまく進んでないワインがあったそう。普通のエノロゴなら「怖くて夜も眠れない」状況だそうだが、彼は泰然と自信満々に「あと少し待ったらバランスがとれる」と言い放ち、それは間もなく見事に的中したという。
また醸造時の試飲で、かなりの揮発酸が発生した場合にも「偉大なワインは少量の揮発酸が必要なのだ。揮発酸は、十分な熟成を経ればワインの香りの複雑さと重層性を高める」と動じず、見事なワインを生み出したそう。
そんなガンベッリの功績をたたえ、2013年イタリアでは「ジュリオ・ガンベッリ賞」という賞も誕生。優秀な功績を挙げた若手エノロゴを表彰する賞で、2015年にはわずか25歳(!)でブルーノ・ジャコーザの醸造長となり、2013年から自らの名でもバルバレスコをリリースするフランチェスコ・ヴェルジオが。2016年にはヘクタールあたり62,500本(!)の超密植ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ“ボンサイ”で名を上げたポデーレ・レ・リーピのセバスチャン・ナセッロが受賞した。ただし一点、補足しておきたいのは、この賞はあくまで“イタリアの若手優秀エノロゴ”に授与されるもので、“ガンベッリの遺志とクラシカルなワイン造りを、最も純粋に深く継承、達成した者”に授与されるものではない、という点。
ゆえ、例えばセバスチャン・ナセッロがポデーレ・レ・リーピで造る、絢爛豪華なスタイルのブルネッロの中に、ガンベッリ・ワインの端然とした格調と陰翳、高貴極まる品格の面影と、その魔性を期待しても、その期待は落胆に変わるであろうことは、ここであらためて老婆心ながら強調させていただきます。
ちなみにガンベッリの試飲方法の鉄則は、1本のワインを何日もかけて少量づつ、酸化後数日までに渡ってワインの変化と、残された力を見ることだったという。ガンベッリに約20年師事した弟子で、現在ポッジョ・ディ・ソットのエノロゴを務めるフェデリコ・スタデリーニはこう語った。
「ジュリオが造った偉大な年のブルネッロは、抜栓後20日たっても全く味が落ちなかった。私のワインも、いつかはそうありたいものだ」。
ガンベッリ賞の受賞者を含め、次世代のサンジョヴェーゼ・ワインの造り手に、誰かその境地に近づけそうな者はいないか、この2月、またトスカーナに探しに行って参ります。微力ながら、また結果報告をさせていただければと思います。
追伸:
トスカーナでの多くの生産者からのコメントは、数度にわたる「ヴィノテーク」での取材時のものです。より詳細なトスカーナ・レポートは、2014年、2015年、2016年、各6月号のヴィノテークにあります。
参考文献「Giulio Gambelli. The Man who could listen to Wine」Carlo Macchi
今月の、ワインが美味しくなる音楽
冬の澄んだ空気に、ボサノヴァを通過したメロウ・フォークの幸せ。
知られざるワールド・フォーク、隠れた珠玉のワールド・アコースティック、でしょうか? アイスランド、ベルギー、スウェーデン、ブルックリン、そしてエストニアまで。ほとんど無名に近い、しかし繊細でピュアでナチュラルな響きを持つアコースティック・ヴォーカル・トラックを丹念に集めたコンピレーションです。ジャンル分類が困難だからか、CDショップの店頭でもほとんど埋もれた状態ですが、このセレクトは控えめに言っても歴史的快挙の域。これだけ幅広い国と地域からの音が、まるで素晴らしく美しいヴァン・ナチュールのリースリングやシルヴァネールのようなトーンで、アルバム全体に一貫しているのです。
どのトラックにもある、ボサノヴァを通過した後のような、リラクシンでメロウな空気感も圧巻の域。プレイするだけで、ワインが倍美味しくなるCDとして、私は重宝しています。
★V.A.『WINDFALL LIGHT』A Collection of Small Gathering music
https://www.youtube.com/watch?v=92M01MGqADc
https://www.youtube.com/watch?v=ENqHIgA7X_o
今月のワインの言葉
『良いワインは良い血を作る。良い血は良い気分を与える。良い気分は良い考えを生む。良い考えは良い仕事を生み出す。そして良い仕事は人を天国に導く。だから良い葡萄酒は、私を天国に導くにちがいない』 アレクサンドル・デュマ。
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載中。
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