*

ドイツワイン通信Vol.55

公開日: : 最終更新日:2016/05/31 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

ビオロジックの普及とドイツワインの辛口化

 4月も半ばを過ぎて、庭のブドウの枝から新梢が伸び始めた。中には早くも房となる蕾をつけているものもある。20年ほど前に1種類ずつ4本植えたのだが、巨峰とデラウェア以外の2品種の名前がわからない。今年の剪定の時、土壌があっていないのか樹勢が弱く、毎年一房をつけるのがやっとという状態の一本を、地面から1mくらい幹だけ残してばっさり切ってみた。以前モーゼルの醸造家が、確か棒仕立てから垣根仕立てに畑を切り替える時にやっていたのを見たことがある。ずいぶんと思い切ったことをするものだと思ったが「大丈夫、切り株のあたりからまた枝が伸びてくる」と自信満々に言っていたのだ。案の定、切り株のそばから新梢が二本伸びてきた。もしかすると一方を除去して一方の枝にエネルギーを集中させてやったほうが良いのかもしれないが、せっかく伸びてきたみずみずしい枝がもったいなくて、とりあえず様子を見ている。

 考えてみると、ドイツから帰国してはや5年が経とうとしている。「あなたが帰ってくるまでまともに実をつけることはなかった」と母は言うが、2011年の9月に帰国した翌年、モーゼルで目にしたのを思い出しながら剪定してやるとたわわに実った。だがその次の年はカナブンに葉も実も食害され、その翌年は実った房のほとんどをヒヨドリに食われた。カナブンを捕殺するのにさほどの苦労を要しないが、鳥となるとそうもいかない。一昨年は房にポリプロピレンの傘と、物入れにあった三角コーナー用の網をかけたにもかかわらず、どちらもくちばしで器用に外されて大半のブドウが鳥たちの胃袋に収まった。彼らも空腹をかかえて餌探しに必死なのだろう。昨年はブドウ専用の袋を購入して収穫直前にかけようとしたのだが、思いがけず足の裏を怪我して作業できずにいるうちに、いつの間にかヒヨドリに食べられていた。一粒たりとも食わせない、などと言うつもりはない。しかし、こちらも彼らのために栽培している訳ではないので、今年はそれなりの対策をとらねばなるまい。

ビオロジックなブドウ栽培とは

 ちなみに、庭のブドウの栽培方式はビオロジックである。なんていうと聞こえが良いが、単に生ゴミのコンポストを年に一回根本に埋めてやるだけで、あとは剪定以外はほったらかしということだ。一度木酢液をカナブン対策に散布したことがあるが、ほとんど効果がなかったのでやめてしまった。「いや、単に農薬や化学合成肥料を使わないだけではビオロジックとは呼べない」というあなたは正しい。なぜなら、少なくともドイツの生産者の理念では、ブドウ畑の生態系を整えてやることを目指すのがビオロジックだからである。農薬を使わないのはブドウ畑の土壌の微生物や昆虫を(ブドウに害を及ばさない限り)守り、出来るだけ多様な生物を呼び込むためだ。私の庭でもヒヨドリがカナブンを補食してくれればビオロジックを名乗る事が出来るかもしれないが、残念ながらどちらもブドウを狙っているので食物連鎖になっておらず、農薬を使わないことが生態系の回復につながっていない。

 ドイツのトップクラスの醸造所が集まるVDP.プレディカーツヴァイン醸造所連盟によれば、2014年現在ドイツ全体のブドウ畑の約9%に相当する約9000haがビオロジックで栽培されているそうだ。生産者の中には認証を取得していなくても実質的にはビオロジックで栽培しているが、天候不順などで病害虫が広がった場合は必要最低限の農薬を使うかもしれないので、あえてビオロジックとは表立って言わないケースも少なくないことを考慮すると、控えめに見積もって約10~12%前後(あくまでも個人的推定だが)のブドウ畑は生態系を意識し、土壌の微生物環境を整えながら栽培を行っているものと思われる。

 この約10%という数値を多いと見るか少ないと見るかは意見の分かれるところかもしれない。しかし1990年代まではビオロジックの生産者は往々にして変人扱いされていたことを考えると、それから現在までの25年間の変化は大きい。私が1998年にドイツに留学してまもなく出会ったのが、モーゼルのマーリング・ノヴィアント村でビオロジックに取り組む生産者だった。というのもトリーア大学に来て最初に知り合ったのが原発や環境問題に対して強い問題意識を持つ、日本語の堪能なドイツ人ジャーナリストP氏で、私がワイン好きと聞いて引き合わせてくれたのだ。あご髭を生やして優しい目をした人だったが、村の寄り合いで決まったヘリコプターによる農薬散布に断固として反対し、所有する畑に近づくヘリに猟銃を向けて威嚇して追い払ったと言っていた。モーゼルではブドウ畑はトラクターによる通行が不可能な急斜面にあることが多く、村全体のブドウ畑をヘリからいっぺんに農薬散布を行うことが多い。それでもなお農薬散布を拒否すると、その区画から病害虫が発生するのではないかと大いに迷惑がられて村八分になることも少なくない。昨年モーゼルを訪れた時、その生産者は既に廃業したと聞いて一抹の寂しさを覚えた。とはいえ同じモーゼルのルドルフ・トロッセンは、1970年代から村人達とうまく折り合いをつけていたから特に問題はなかったと言うし、上述の生産者と同じ村にはもう一軒ビオロジックの生産者がいて、そちらの方はドイツ最大のワイン生産者団体エコヴィンの草分け的存在として尊敬を集めているので、どれだけ周囲との軋轢を生んできたかは、つまるところ生産者の人柄によるのかもしれない。

 ともあれ、ビオロジックに対する理解は1990年代と現在では雲泥の差がある。大きな転機となったのは私の知る限りでは2001年頃の狂牛病問題で、あれ以降、食の安全性に対する社会全体の意識は飛躍的に高まり、食品はもとより衣類など生活用品全般にビオロジックによる製品への需要が伸びて、ドイツの産業全体がビオロジック寄りにシフトした観があった(もともと公害が原因の酸性雨やチェルノブイリの原発事故の影響で、環境保護に対する意識の高い国ではあったが)。農薬や肥料を製造する化学薬品メーカーも、それまで生産者が集まって試行錯誤しながら手作りしていた調剤を工業的に量産したり、ビオロジックにも使える「環境に優しい」農薬を新たに開発したりして、在来農法の生産者もとっつきやすくなっていることも、近年のビオロジックによるブドウ栽培面積の増加に貢献している。その他の背景としては、EUヨーロッパ共同体としても既に1991年からビオロジックワイン用のブドウ栽培規約を制定し、各生産地域の農業指導所がエコヴィンとタイアップして啓蒙活動を続けてきたことも指摘しておきたい。

辛口に向かったドイツワイン

 こうしたビオロジック農法の普及はまたドイツワインの辛口化とも関係している。1985年のジエチレングリコール・スキャンダル――ジエチレングリコールは自動車のラジエーターに使う不凍液で本来食品に使ってはならない物質だが、貴腐ワインに似た甘味とグリセリンぽい粘性を補強することが出来るので、オーストリアのノイジードラー湖周辺の悪徳業者が甘口ワインに混入し、それを輸入したドイツの大手醸造会社が自国産ワインにブレンドしていたことが明るみに出て大問題に発展した事件――で甘口ワインへの信頼が根底まで覆され、80年代後半に生産者は辛口ワインへのシフトを余儀なくされた。しかしブドウの完熟が難しかった当時、軽くて酸味も目立ち魅力に欠ける辛口が多く、「化粧っ気の無い痩せぎすの神経質な女性」に例えられたりして評判はあまり良くなかった。

 ステンレスタンクが普及し始めていた90年代前半、低温発酵と培養酵母による「フレッシュ&フルーティ」な飲みやすさをアピールしたワインが増えて輸出市場ではある程度成功したが、1990年代半ばの世界的な赤ワインブームでトレンドは完全に辛口へと移行した。それまでは会話の潤滑油のようにして飲む消費スタイルが一般的なドイツ人のワインの楽しみ方だったのが、食事に合わせて飲むようになったのである。もともとドイツの夕食はごく軽く、調理の必要が無いドイツパンとハムとチーズとサラダとハーブティーか紅茶で済ませることが普通で、その後ビール片手にテレビでサッカーを楽しむ、というパターンが多かった。しかし赤ワインを飲むとなると、やはり料理が――まぁ、パンとチーズでも良いかもしれないが――欲しくなる。ライフスタイルも変化して夕食も暖かい料理を作る家庭が増え、クリスマスや復活祭の時のワインほど上等ではなくてもとりあえず、たとえディスカウントストアで2, 3ユーロで売っているフランスやイタリアからの輸入安ワインであっても、ワインを飲む機会が若干増えた。

 1990年代末まではイタリアワインが人気だった。ドイツ人にとって陽光に満ちたイタリアは文豪ゲーテの頃から憧れの地で、第二次世界大戦後の奇跡の復興で経済的に余裕が出来ると真っ先にヴァカンスに向かったのがイタリアだった。また50~60年代に出稼ぎに来たイタリア人達が定住して開店したピッツェリアがあちこちに出来てからというもの、ピザとパスタはドイツ人の食生活の中で確固たる地位を占めている。「ドイツ人は自国のワインよりもイタリアワインを飲みたがる。グラウブルグンダーよりもピノ・グリッジョの方がオシャレなのだ」とドイツワインをこよなく愛する英国出身のワインジャーナリスト、スチュアート・ピゴットが嘆いたのは90年代後半の状況だが、当時はドイツ産の辛口をオンリストしているレストランは皆無だった。それが2000年代に入ると一気に辛口のリースリングが脚光を浴びるようになる。それは「リースリング・ルネッサンス」と言う表現が相応しいほどで、ドイツ人がそれまで忘れていたワイン生産国としての誇りを再発見したような案配だった。

辛口化の背景

 その背景には何があったのか。一つには気候変動に伴いブドウが熟しやすくなったことが挙げられる。1989年以降現在に至るまで毎年のようにブドウは完熟し、調和のとれた高品質な辛口ワインが造りやすくなった。もうひとつは「エクスレからテロワールへ」を合い言葉に、テロワールの個性を表現した辛口を目指す生産者が増えたことだ。1990年代末からドイツのグラン・クリュによる辛口を目指して、格付けされたブドウ畑からの高品質なワインを造ろうという動きはあったのだが、積極的に取り組んでいたのはファルツ、ラインヘッセンとラインガウの一部の生産者で全体の足並みはそろっていなかった。2000年にはDWIの肝いりで「Classic」「Selection」などの辛口ワインに対する呼称も制定されたがあまり浸透しなかった。

 転機となったのはモーゼルの醸造家ランハルト・ルーヴェンシュタインが2003年10月7日付の全国紙フランクフルター・アルゲマイネに寄稿した「エクスレからテロワールへ」と題した長文である。1971年の果汁糖度を基準にしたドイツワイン法による格付けを批判し、醸造技術を駆使して工業的に製造されるワインによる世界的な画一化が進行しつつある状況に警鐘を鳴らし、産地の個性すなわちテロワールを反映した真正なワインこそ必要なのだと訴えた。2003年の欧州は記録的な猛暑で、温暖化とともに特定のアロマを強調する培養酵母、逆浸透膜やスピニング・コーン法による香味の操作でワインの未来が真剣に危惧されていた。そんな中でルーヴェンシュタインのこの一文は生産者の目的意識を明確化し、ブドウ畑の個性を辛口で表現することに取り組むモティヴェーションを非常に高めた。とりわけ各地で結成されつつあった若手生産者の醸造家団体は、自分たちが受け継いできたブドウ畑のポテンシャルを確信し、お互いに助け合いながら急速に品質を向上させていった。参考までに2014年産の約67%を辛口(trocken)もしくはオフドライ(halbtrocken, feinherb)が占めている。

テロワールの表現の定着

 一旦決断すると行動が早く、しかも徹底しているのはドイツ人の国民性である。ブドウ畑の土壌の個性を反映した辛口や中辛口が増えて、「シーファー」(スレート)、「ブントザントシュタイン」(雑色砂岩)、「バザルト」(玄武岩)と言った土壌の名前を冠したリースリングが雨後の竹の子の様に登場し、土壌名は一般名詞か商標登録が可能かが議論されるほどのブームになった。各生産地域の州政府は地質学の専門家に依頼して、ブドウ畑の土壌構成を綿密に調査してその成果を発表した。VDP.プレディカーツヴァイン醸造所連盟でも冷涼な気候なので辛口だけのグラン・クリュはいかがなものかと渋っていたモーゼルが、辛口以外も表記可能なブドウ畑の格付け「エアステ・ラーゲ」の導入を条件に他の生産地域と足並みをそろえた(2006年)。そのブドウ畑の格付けはドイツでも19世紀から行われていて、1900年頃、つまり現代的な栽培醸造技術が普及する以前、ドイツ産リースリングはボルドーの一級シャトーと肩を並べて賞賛されていたことを根拠に、100年前の栽培醸造のリバイバルを標榜する生産者も現れた。除草剤や化学合成肥料を用いずに有機肥料を撒いて、土壌を鋤き起こして空気を入れ、手作業でブドウの世話を行い、分析値ではなく味覚で生理的完熟を判断する。醸造には伝統的な木製の大樽と野生酵母を使い、温度調整をせずにゆっくりと時間をかけて醸造することでブドウ畑の個性を表現した辛口系リースリングの味わいは、ファン・フォルクセン醸造所をはじめとする野心的な醸造所のグラン・クリュで我々の知るところだ。

 かつてはブドウ畑の生態系の回復を目的として取り組まれたビオロジックは、現在は土壌の微生物の活性化とブドウ畑の個性の表現が目的となっている観がある。プレパラートと呼ばれる調剤を何種類か用いて天体の運行に配慮して農作業を行えば、収量が安定してより質の高いブドウが得られると体験的に認めてビオロジックからビオディナミへ移行した生産者もいるが、近年は在来農法からいきなりビオディナミを始める生産者もいる。1924年にルドルフ・シュタイナーが提唱し、20年前は胡散臭い似非科学として距離を置くのが普通だった農法に、ブルゴーニュのトップクラスの生産者が真剣に取り組み到達したワインの質と世評の高さに、ドイツの一部の生産者は好奇心をそそられたのである。それが大体2003~6年頃のことだった。

尽きない好奇心と新たな動き

 ブドウ畑の個性をなるべく伝統的な手法を用いて――なるべく、というのは、1990年代までに木樽からステンレスタンクに切り替えた醸造所が多く、彼らは野生酵母は用いても木樽には戻らない場合が多いのが一つと、合理的な理由から完全には昔のやり方を復活させる訳ではないからだが――辛口で表現することが定着し、ドイツは伝統的ワイン生産国としての自信を取り戻したと言える。現在ではそこからさらに一歩進んで、とりわけ醸造手法の面で多様化が進みつつある。それはビオディナミを実践する生産者に多いが、やはり国外の、イタリアやフランスやオーストリアの生産者の影響を受けてアンフォラ(つまりジョージアのクヴェヴリ、スペインのティナハ)を導入したり、フランスで開発されオーストリアでも一部の生産者が採り入れているコンクリート製の卵型タンクを試したり、白ワイン用ブドウを赤ワインと同様の手法で発酵したオレンジワインや、亜硫酸無添加で醸造・瓶詰めを行う醸造所も登場している。これは大体2011年頃からの動向で、このドイツワイン通信vol. 28 (2014年2月)やヴィノテーク誌2015年3月号でも報告しているので、よろしければご参照下さい。

 これらのアヴァンギャルドな醸造手法への取り組みは、ドイツワインにこれまでになかった新しい側面と可能性を提示していることは間違いなく、それは例えばルドルフ・トロッセンの亜硫酸無添加リースリング「プールス」シリーズの、混沌とした中からエネルギーがほとばしるような鮮烈さに端的に表れている。ただ、こうした新しい醸造手法が伝統に根ざしたものではない以上、ドイツワインの本質を表現しうるものなのか、あえて取り組む価値があるのかどうかという点では、これからの浸透あるいは淘汰を待たなければならないが、短期的に見るならば、他の生産者からの差別化やマーケティング上の意味はある。ドイツワインの本質というテーマについては、機会を改めて論じることにしたい。

 念のため補足すると、こうした目新しい手法はごく限定的なもので、ビオロジックによる栽培面積がドイツ全体の約10%とするならば、ビオディナミはそのうち数パーセント程度で、さらにアンフォラ醸造やオレンジワインとなるとざっと思いつく限りでは10人いるかどうかといった規模である。ただ、彼らは先駆者であり、先駆者の経験や成果から学ぶべきことはあるだろう。近年はフランケンにそうした生産者が増えているという情報もあり、いずれ現地を訪問したいと考えている。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

 
PAGE TOP ↑