『ラシーヌ便り』no. 103
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最終更新日:2014/12/17
定番エッセイ, 合田 泰子のラシーヌ便り, ライブラリー
no. 103
3月31日イタリアに発ち、ヴィニイタリーに寄ってからシャンパーニュを訪問し、4月17日に帰国しました。試飲会が次々と続き、過密な日程でしたが、充実した内容の訪問でした。
シャンパーニュ訪問
シャンパーニュでは、第5回を迎える「テール・エ・ヴァン」のサロンをきっかけに、今年は9つの試飲会が開かれ、「グラン・ジュール・ド・シャンパーニュ」と呼ばれる一大イベントとなっています。当然ながら「テール・エ・ヴァン」とジャック・セロスを中心とする「トレ・ドゥ・ユニオン」は、内容が高く大変なにぎわいでしたが、中でもブノワ・ライエの新作に驚きました。
ブノワがエルヴェ・ジェスタンに学びながら、新たな考え方で仕事をするようになってから9年。エルヴェ流の栽培と醸造を我が物とし、味わいにその真価が現れ始めたのでしょう。昨年の入荷の段階ですでに、著しい進歩を感じましたが、今年リリースのシャンパーニュはいずれも、別次元の作品となったと感じました。特に優雅そのものの美しさをまとったロゼは、ブノワ・ライエが偉大なシャンパーニュの造り手に仲間入りしたことを確信させてくれます。 1980年代にアンセルム・セロスが一人で始めたシャンパーニュの革命は、次の世代を刺激して新しい試みに挑戦させた結果、今や20名を超える次の世代が特筆すべき域に達し、ルネッサンス文化のように華開いてきています。レコルタン・マニピュランはより高みに向け、力強く前進していると感じました。
トスカーナ訪問
ヴィニイタリーの開始前の4月1日から、トスカーナを訪問しました。カーゼ・バッセは、2012年の暮れに起きた悲しい事件から2年が過ぎ、久しぶりにセラーに入れていただきました。セラーの木の扉、窓は厳重に鉄の格子で囲まれ、監視カメラが備えつけられていました。にもかかわらず、一切コンクリートを使わず、岩を組んだ壁で囲まれたセラーには、何時もの荘厳な空気が満ちています。空っぽになった大樽は3ヶ月おきに、SO2を燃やしてカビが出ないように管理されています。昨年秋のアリス・フェアリングの記事では、インタビュー中で悲しみのあまり涙で言葉がつまり、「もうすんだことだ…」と肩をだく父娘の様子が伝えられていました。難を免れた2009と昨年の収穫2013を、長大な樽からテイスティング。幸い2013は質量ともに恵まれたことを、ジャンフランコとモニカの父娘はともに大変喜んでいました。カーゼ・バッセの復活、再生とも言うべき、慶事です。ワインは生き生きとした躍動感に満ち、家族とともに試練を超えたジャンフランコの喜びと、前進への決意が感じられ、深い感動に心の底から揺さぶられます。「2017年には、今までのように全ての樽がワインで満ちる」とジャンフランコ。
続いて、ラ・ポルタ・ディ・ヴェルティーネへ。2012年の初入荷以来、いきなりラシーヌを代表するトスカーナワインとなった、ジャコモ・マストレッラが造るキャンティ・クラシコ。素晴らしく優美で、かつ土っぽさがあり、タニックな骨格と同時に、繊細な花のような印象がそなわり、サンジョヴェーゼ・ファンを魅了してやみません。風強く、標高500m を超える畑だからこそ生まれる味わいです。まもなくビン詰される2012年をテイスティングしました。2012年の8月は大変暑くて大雨にたたられ、9月になっても十分に気温が下がらず、ブドウは過熟ぎみとなりました。そのため2012年は、リゼルヴァを造らず、わずかのカナイオーロとコロリーノを入れ、すべてキャンティ・クラシコとしました。 明るく輝くような色調をおび、見事なバランスで、過熟による甘さがなく、みずみずしい果実味に満ちています。 歴史の浅いカンティーナであるにもかかわらず、あらためてジャコモの造り手としての卓越した感覚と技量を確信させる味わいでした。 夕食に用意していただいたワインは、ジュゼッペ・ラットから直接もらったというドルチェット・ダルヴァ・オリヴェ1987、ジュリオ・ガンベッリからジャコモが誕生日にもらったラモレ村の自根ブドウで造られた1997年、ジョヴァンナ・モルガンティが造ったというCetinaia1994。ジュゼッペ・ラットとジュリオ・ガンベッリという二人の特別なワイン人を思い出しながら、また貴重な経験を重ねさせていただきました。ジャコモのワイン観の背景にはこのような経験があることを知り、彼のワイン造りをますます頼もしく思いました。 ラシーヌでは、2009年の在庫が終わり、2010年の入荷を心待ちにしているところです。
ワイナート74号 「フランソワ・モレル インタビュー」(74ページ)
「おいしさの伴う知的な秩序・それこそが、ヴァン・ナチュールの神髄」 このインタビュー記事をご存知ですか。フランソワ・モレルさんとは、ブルグイユの洞窟で開かれた「第一回ディーヴ・ブティユ」でお目にかかって以来、いつもサロンでお目にかかると、優しく声をかけていただき、2009年にはギリシャワインの試飲会に呼んでいただきました。ラルース大辞典の美術史の著者であり、長年『ルージュ・エ・ブラン』の主筆をされています。1985年から13年間パリでヴァン・ナチュールのワインバーを経営し、今日のパリにおけるヴァン・ナチュールのビストロ・ワイン・バーの原点を築いた人物です。誰よりもワイン造りの現場に精通し、造り手の苦労を分かちあえる、ヴァン・ナチュール最大の応援者だと言えるでしょう。写真のとおり、大変温和なお人柄で、多くのジャーナリストに感じる「権威」という言葉からほど遠い方です。
日本にヴァン・ナチュールが定着して十数年がたち、近年は極端な悪臭や揮発酸まみれの酷い品質のワインは少なくなりました。しかし、ヴァン・ナチュールに対する敵意や反対意見と、それへの反論が、最近めだってきたように思われます。 インタビューの中で「議論や討論の激しさは、ひとつの疑問がイキイキと波打っている証拠だ」とモレルさんは語っていますが、日本のマーケットではビオ・ワインとヴァン・ナチュールの違いはあいまいであり、またヴァン・ナチュールの広がりに対して、誤解だけでなく悪意に満ちた攻撃も多くみられます。そんななか、先日、FACEBOOKでドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦さんのこんな投稿に感銘しました。 世界のトップ企業が会社や国の威信をかけ探しだした市販ワイン酵母を巧みに操る醸造家。 地元の優良なワイン酵母を独自に探しだし、それを巧みに純粋に発酵させる醸造家。 ブドウや蔵に付着している訳のわからんワイン酵母を巧みに操る醸造家。 でもね、自然界にいる訳のわからんワイン酵母を安定して操るには、ブドウのポテンシャルが高くなければなりません。ポテンシャルの低いブドウを多く扱う蔵では、優秀な酵母と最先端の技術が必要なのです。だから、僕は醸造家でなく、ブドウを栽培する農民になりました。 良い場所で良いブドウを栽培する農民であれば、魅力的で複雑な質の高いワインを醸せるのですから。僕は訳のわからん酵母に魅力を感じています。 「生産者から始まり、消費者にまでつながる信頼の連鎖」 私たちラシーヌでは、ファイン・ワインは「栽培が有機農法であることが最低条件」だと考えています。が、「ヴァン・ナチュールのなかにも、従来のワインのなかにも、ファイン・ワインとそうでないものがあり、ラシーヌはファイン・ワインを紹介するインポーターでありたい」と考えています。インポーターという仕事は、造り手に環境が整っていて、腕が確かであれば、ナチュールなワイン造りを提案できることもあります。私自身、「クオリティーの差は、味わいの底にある純粋さの差」だとますます感じるようになってきました。また、ラシーヌでご紹介してきた数々の無名なワインは、消費者の方々が購入という支援をしてくださることによって、造り手たちが造り続けることができたのです。ですから、日本のマーケットへの彼らの感謝の気持ちは大変大きく、「信頼の連鎖」が築かれてきたと感じています。 「ごくわずかの真のヴァン・ナチュールが生み出す、重要なムーヴメント」「EUのビオ・ワイン規定は抜け道が多く、ヴァン・ナチュールを擁護するものではない。大量生産のビオ・ワインを市場に流すもの」 この記事は、長年ヴァン・ナチュールの造り手を見守り続けてきた、一流のワイン・ジャーナリストとしての視点から、ヴァン・ナチュールの本質が語られています。この記事が広く読まれ、狭い派閥で反論しあうのでなく、優れた真のワインが広まり、日本のワイン文化が花開いていくことを心から楽しみにしたいと思います。
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