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『ラシーヌ便り』no. 110

no.110

 新年おめでとうございます。 皆様のご多幸と平和を、心よりお祈り申し上げます。
 2015年は、ラシーヌ初、新大陸からチリのナチュラル・ワインでスタートします。1月14日に、その造り手ルイ=アントワーヌ・リュイットが来日いたします。量産型の安ワインという従来のチリワイン観を覆す、古樹の真価を発揮したワインの登場です。

 Natural Chilean Wines From Louis-Antoine Luyt
フランス人ルイ=アントワーヌ・リュイット(38歳)が、チリのサンティアゴ南部で造るナチュラル・ワイン

 Chile, Brave New World
図らずも訪れて開眼した新世界、チリ
 12月12日、パリから直行便でチリを訪問しました。これまで北米やオーストリア、ニュージーランドをふくむ新世界の産地を訪ずれたことはありませんでした。
 青々としたブドウの葉、古樹の樹勢の強さに圧倒され、たわわに実るサクランボやビワの素晴らしい味わいに驚き、この国の農業のはかりしれない豊かさを感じました。ここでは、なんでも大きく育ちます。コエルム村で見たオリーヴの樹はブドウと同じ頃、400年ほど前に植えられたそうですが、高さが15メートルを超えていました。クレタ島の樹齢900年と言われるオリーヴも、これほど巨木でありません。それにしても植物の葉が、どれも青々としています。
 ここに来るまでは、「チリまで行くの?遠いし、季節、時差は逆だし、12月で忙しいから、厄介だな。フランス人がマルセル・ラピエールから教えを受け、買ブドウで作っているヴァンナチュールなのでしょう?」程度に思っていました。しかし、来なければ彼のワインの一端すら理解することはできませんでした。点在する畑を、毎日数百キロも移動しながら、栽培する人たちに会い、車中でルイ=アントワ-ヌの話を聞き、書物では語られていないチリの現状を聞くうちに、彼が造るワインの素晴らしさを伝えたいと心から思った出張でした。

Louis‐Antoine Luyt,“Vigneron Contre Lui”?
ルイ=アントワーヌ、反逆児それとも自然児か
  【略歴】ルイ=アントワーヌは、ブルゴーニュ北部出身の名家である両親のもと、1976年にサン・マロで生まれ、トゥールに住む母方の祖母の家で育つ。長年サヴィニーで比類ないウィスキーを造ってきた奇才ミシェル・クーヴレイと、家族ぐるみでつきあう。3~4歳頃、ミシェルとはセラーでかくれんぼ遊びをしたとか。10歳から17歳まで、パリ郊外の全寮制の高校で教育を受けた。その後、大学にもパリ生活に馴染めず、旅心がうずき、スペイン語のブラッシュアップを求め、22歳の時にサンティアゴに飛ぶ。
 アルバイト先のレストランで出会ったワインに興味をおぼえ、よりワインを追求するために通ったワイン学校は、南アメリカ初のMWエクトール・ヴェルガラが開校したもの。そこで、さまざまなワインとチリワインを経験。3年後、本格的にワインについて学ぶため、フランスに戻り、ボーヌの醸造学校に通う。その間、独立後まもないフィリプ・パカレのもとでスタジエし、ボジョレーにあるルイ・ジャドのセラーで研修。2002年に、マルセルの息子マチュー・ラピエールと知り合う。8度の収穫をラピエールで経験。ラピエール家とは家族のように過ごす。
 フランスでワイン造りを学ぶに従い、チリの特別な栽培環境と、200‐300年を超える樹齢のブドウに、ますます魅せられる。フィロキセラ禍のない畑、エスカ(ブドウの幹に巣食う感染症)、ベト病、ウドン粉病など、あらゆるブドウの敵というべき病気がなく、美しいこの地を選ばないわけはない。また、樹齢の高い畑が猛烈な速さで無くなっていっていることも、大きな理由。ブドウの価値が存分に発揮されたナチュラル・ワインを造ろうと、果敢に挑戦するに至る。
 チリでのワイン造りを決意した時、マルセルは「君はクレイジーだ。フランスにはナチュラル・ワインを引き継ぐ若者が必要なんだ」と説教。それでもマルセルは、ルイ=アントワーヌが選んだチリの南部の地域でワイン造りに賭けるべきかどうかを確かめるため、はるばる来訪。「君は確かな選択をした」とお墨付きを与えた。
 ワイナリーを興す資金作りのため、一時期パリでワインバーを経営。サンティアゴのレストランで労働中も、パリでワインバー営業中も、料理に大変興味をもつ。いつも料理の後ろにあるものを知ろうとし、食材のクオリティを学び、農家、肉職人を質問攻めにした。かくして2006年、ワイナリー「Clos Ouvert クロ・ウヴェール」を興す。パートナーは、従兄弟と、ルイ=アントワーヌの友人シルヴァン・ポタン(現在アンヌ・ルフレーヴとアンジュでワイン造る)の2人。


Travel with Louis‐Antoine toVinyards in Chile
チリの畑の旅、ルイ=アントワーヌとともに
 サンティアゴから、ひたすら南へ移動する道路際には、巨大企業のワイナリーの広告が延々と続きます。道路際のブドウ畑は1区画1500ha、収穫量も160hl/haとか。そびえ立つ500hlのステンレスタンクが、何基も目に映ります。チリには、500haクラスのワイナリーが200社もあるということです。このような大手メーカーが昔からの栽培をやめ、機械化へと変わってきました。また先祖から受け継いだブドウを耕して生計をたててきた農民たちは、ブドウ栽培をやめ、麦やモミの木の植林に転換しています。それほどブドウの販売価格は低価なのです。が、各地に飛び地のように残されたブドウ畑を選びぬいて契約しているのが、ルイ=アントワーヌなのです。
 実際に行ってみなければ、ピペーニョ・ワイン(農民が作るワインのこと) とひどい国策の隙間で、もくもくと鋤で耕し続ける栽培家(農民) のありようはわかりません。スペインと先住民族を先祖に持つ農民たちは、何代にも渡り、同じやり方でブドウを耕してきました。ルイ=アントワーヌは、ひたすら車を走らせ、遠くからブドウ畑を見つけ、会いに行って、ある時は道に迷って偶然畑を見つけ、時間をかけてブドウを買えるようになってきました。彼は車からでも、道で会うどんな人にも丁寧に挨拶をする。大手や協同組合よりブドウ代を高く払うから、ブドウが買えているのではないのです。
 後継者がいないので、10年後この国の、斜面に残る畑はどうなるのでしょうか? 「イタリアからも有名な造り手たちが畑を見に来てワインを造ろうとしている。けれど、年に2回くらい来るだけで、ワイン造りが出来るものでもない。人間関係ができていない人は相手にせず、値段が安くても協同組合に1キロ60ペソで売るほうを選ぶ」と、ルイ=アントワーヌ。
 山奥の地震で壊れた古い家を修復して住い、車も持たず街に出ることもなく、自給自足の70年余りの人生を生きてきた人のブドウが、アントワーヌの手によってワインになることに、これまでとは異質の大切さを感じました。農業とブドウとともに生きてきた人たちに会うことができて、「この人のブドウで造ったワイン」と心から紹介したいと強く思いました。ですから、ルイ=アントワーヌは、アッソンブラージュせず、畑ごとに造ります。キュヴェの数は多く、毎年変わりますから、インポーターとしてはちょっと面倒です。でも、大切な意味があります。

Work in Villages
【村の畑】
 ビオビオ地方ユンベル村のティトさんは、一族で30haの農地を所有し、3haのパイス種を栽培しています。この村では1560年代に栽培が始まりましたが、間違いなく400年を超える樹がたくさん残っています。
 コエレム村の山奥にひっそりこもるアリシアとマルガリータは、300ー400年を超える畑を鋤で耕し続けていました。たくさんの造り手と会ってきた20年余りでしたが、握手した時のマルガリータとアリッシアおばあちゃんの手を思い出すと、胸が一杯になります。握手した一瞬にこれほど多くのことを感じたことはありません。ルイ=アントワーヌがアリッシアを地震の一週間後に訪ねて行ったら、家は崩れているのに助けを待つこともなく、鋤を持って耕していました。
 カウケネス村では、今もティナハ(アンフォラ)で醸造していました。皆さんとても若く見えて、年齢を聞くとびっくりします。
ティトさんのブドウティトさんと畑アンフォラを開けるアンフォラを開けたところ

Ideal Cellar Discovered
ルイ=アントワーヌ、理想的セラーを発見
  チリに来て、3日目の朝、ブドウが素晴らしいことはよくわかったけれども、醸造と保管環境については、一抹の不安を拭えないでいました。ルイ=アントワーヌは、醸造施設を持っておらず、チヤン村に10年前に建てられたスイス人、ルドルフの醸造施設を借りています。近代的な簡素な醸造環境はそれなりに十分なのですが、ブドウの真価を発揮させるほどのセラーではありません。
 その日の午後、チヤン村から遠くない、コエレム村にある畑を見に行きました。畑はイタリアでも見たことがないような、美しく広大なヴィッラの中にありました。大富豪が所有するフォンド(荘園)は、300年前に建てられた建物に、時代ごとに手が加えられて、今の形になりました。幸運なことに、2014年からルイ=アントワーヌは、ここのブドウを買えるようになり、ここで醸造もできるようになりました。暑さ2メートルを超える厚い壁にまもられ、セラーは冷んやりとしています。その日は何人もの農民が庭の手入れをしていました。10haの畑は樹齢250年を超え、馬で耕されています。コンクリートタンクは健在で、2014は《ピペーニョ》(パイス種・1リットルビン)をここで醸造しました。
 ルイ=アントワーヌは2006年にワイナリーを興し、異国の地で様々な苦労と幸せな出会いの果てに、チリに残る歴史的かつ理想的な醸造環境と縁が出来たのです。この3日間彼の歩んできた道を聞き、大地震に見舞われ一旦は築いたものを失い、またどれほどの苦労や裏切りを超えてきたかと思うと、このセラーとの出会いを知って祝福の気持ちでいっぱいになりました。乾燥気候のためか、セラーに傷みは少なく、大樽や木製発酵槽も使えそうです。少しづつ手入れをして活用していくというルイ=アントワーヌの目は、輝いて見えました。このセラーの歴史は、詳しくはまだ聞いていませんが、チリの400年の歴史の中の、巨大な富の部分を強く感じます。 
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Thought after Travels
旅を終えて

 ワインは不思議な飲み物、どこかの小さな区画で実ったブドウが、人の手で美味しくワインになって、ビン詰めされ、輸送され、グラスに注がれる。ちゃんと輸送されれば、どこにいてもどこかの地で生まれたワインが、大変な距離を離れて、美味しく目の前に登場してくれる。美しく熟成して、何年後かにまた別の姿を見せてくれる。ビンに詰められて、時空をこえる、ワインは素敵で、不思議な飲み物。

  まさか、チリワインを輸入するとは、ついこの間まで考えてもみませんでした。サロンでテイスティングしただけでは、絶対にわからない世界、それがルイ=アントワーヌのワイン。訪問する大切さをこの度ほど感じたことはありません。今度訪問したチリの山奥のブドウ栽培は、たくさんのことを振り返らせてくれました。
 インポーターは、縁あって選んだワインを日本のマーケットに案内するための、黒子役にすぎません。が、インポーターの仕事は、ワインの後ろにある部分を伝え、オリジナルの味わいを届けることに専心することです。実際のワイン造りに携わらないインポーターには、彼らのような重労働の過酷さは、身に染みて分かることはできませんが、感得することはできます。いろいろな思いとやり方でもって、精いっぱい誠実に仕事をしていることが、ひしと伝わってくるのです。
 ルイ=アントワーヌのワインは、消費地と遠く離れた感覚の世界に生きる、孤高を恐れない栽培家の人生が詰まるブドウからの作品。彼と二人三脚で、よりよく、楽しまれるワインとなって、たくさんの方に喜んでもらえるよう、届けたい。チリが歩みきた400年の時とともに。

合田 泰子


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