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ドイツワイン通信Vol.82

贅沢品とドイツ人の嗜好

 ドイツといえば質実剛健。リサイクル先進国で倹約優先、贅沢とは少し距離を置いているイメージがあるが、必ずしもそうとは限らないようだ。

 7月上旬、代官山ヒルサイドフォーラムで写真展が開催された。「ジャーマン・コンテンポラリー・エクセレンスGerman Contemporary Excellence」というテーマで、ドイツの手工芸の伝統が息づいた最高の製品とそれに携わる人々を、著名な写真家ジム・ラケテが撮影した作品70点あまりが展示されていた。

 贅沢品の生産者団体「マイスタークライス」

 主催はマイスタークライスMeisterkreisというドイツのベルリンに本拠を置く団体で、設立は2011年と比較的新しい。フランスのコルベール委員会の名を聞いたことのある人もいるだろう。1954年にゲランの創始者ジャン・ジャック・ゲランの主導で、「質と創造力のフランスの伝統の中から、最良のものを保存し、より多くの人々にその喜びを伝える」という理念のもとに設立された団体で、クリスチャン・ディオール、ブレゲ、ロシャス、シャトー・ディケム、バカラなど、いわゆるラグジュアリー・ブランドとして世界的に有名なフランス企業が参加している。

 マイスタークライスはコルベール委員会のドイツ版と言ってよい。加盟しているのはBMW、ポルシェ、メルセデスベンツといった一般にも良く知られている高級車メーカーや、日本にも愛好家の多いライカのほか、マイセン(陶磁器)、ベヒシュタイン(ピアノ)、コンテス(ハンドバック)、トーネット(家具)、モンブラン(万年筆)などの製品、さらにベルリンフィルハーモニー交響楽団、エルプフィルハーモニー(コンサートホール)、ピナコテーク・デア・モデルネ(美術館)といった文化的に意味のある団体・施設と醸造所――エゴン・ミュラー、ロバート・ヴァイル、Dr. ローゼン、シュロス・ヨハニスベルク、それにファン・フォルクセン――など、70以上のブランドが名を連ねている。ちなみにファン・フォルクセンのオーナー、ローマン・ニエヴォドニツァンスキーはマイスタークライスの7人の理事の一人でもある。

 マイスタークライス設立の意図

 今回東京で開催された写真展は、昨年出版された同名の写真集の発表展示会も兼ねていて、ドイツからマイスタークライス代表のクレメンス・プフランツ氏と、写真集を制作したゲアハルト・シュタイデル氏が来日した。2011年の創設の動機について「それまで業界の壁を越えた交流がなかったからだ。フランスにはコルベール委員会があったが、ドイツでは自動車業界、時計業界、服飾業界などの業界内でしか交流がなかった。それを何とかしたかった」と語った。プフランツ氏はマイスタークライスを設立するまでLVMHルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーのジェネラルマネージャーを10年間勤め、2007年からミュンヘンに本拠を置くコンサルティング会社ローランド・ベルガーに在籍している。

 「マイスタークライスに加盟しているのは有名ブランドだけではない。例えばブルメスターBurmester。小さな企業だが素晴らしいオーディオ機器を造っている」とプフランツ氏。ちなみにブルメスターのCDプレーヤーは日本国内価格100万円以上、フラッグシップマシンになると700万円の値がついている。他に自転車のストークStorck、水栓のドンブラハDornbrachtも知る人ぞ知るブランドで、既に日本には輸入代理店がある。「高品質な製品とは必ずしも贅沢品とは限らない。基本的な素材へのこだわりと、それを製品化するノウハウと技術がドイツを代表する優れた製品を生んでおり、その多くは中小企業が製造している」とプフランツ氏は指摘する。

 写真集を出版したシュタイデル社は文芸作品のほか写真集でも知られ、世界中の写真家達がここから本を出したいとあこがれる出版社だ。代表取締役社長のゲアハルト・シュタイデル氏はビジネスマンというよりは昔気質の職人である。今回の写真展は新聞に使われるような再生紙に作品を印刷して、持続可能な資源利用を重視する姿勢と、技術次第で上質紙に全く見劣りのしない出来栄えが可能なことを示した。会場にいた30代の日本人若手写真家――ライカM6を使っていた――は、シュタイデル氏の写真を撮りながら氏の制作する本のすばらしさを本人に直接伝えていた。そうせずにはいられないようだった。

 ドイツ的な贅沢とは

 ドイツの大学図書館の書架に並んでいそうな、地味なベージュ色をした布張りの写真集は限定2000部で印刷され、イベント初日の招待客に贈呈された。ジム・ラケテがドイツ各地を訪れてライカSLで撮影したモノクロームの写真に、そのモチーフとなった製品を愛用している著名人や作家、詩人、ジャーナリストのエッセイが添えられている。

 掲載された製品やそのメーカーの多くは、私には初めて知る名前だった。とりわけファッション関係のブランド名――エスカーダEscadaは聞いたことがあるけれどドイツ発祥とは知らなかった――アルードAllude、コンテスContesse、ドロシー・シューマッハーDorothee Schumacher、アイリス・フォン・アルニムIris von Arnimは初耳だった。他にもオッキオOcchioの照明器具、ヴァルター・クノルWalter Knollの家具、宝飾品のヴェンペWempe、ヘメーレHemmerleなど、これほど多数のラグジュアリーブランドがドイツにあるとは、ちょっとした驚きだった。

 「見た目の豪華さと贅沢であることは関係がない」とプフランツ氏は言う。「ほんとうの贅沢品は長持ちする。それは単純に高価であるが故に大切に扱われるからという理由もあるし、丁寧な仕事で造られているからということもある」。例えばベヒシュタインのピアノやマイセンの陶磁器やグラスヒュッテの時計、あるいはライカのカメラは、たとえ何十年前に製造されていても製品が持つ機能(整備は必要だが)と魅力の輝きを失わない。逆に時代を経ることによって独特の風合いが加わり、価値を高めていることさえもある。

 おそらくドイツの贅沢品は基本的に、長い間使いこまれることを前提として造られている。だとしたら、これは質素倹約を重んじる、いかにもドイツ的な考え方が反映されていることにならないだろうか。伝統を担いつつ革新をいとわない、才能と情熱をもってその製造に携わる人たちが、注意深く選びぬいた素材を、長年の経験と試行錯誤を経て編み出された知恵と技術を用いる熟練の職人が、最高の製品へと仕上げる。それは例えばファン・フォルクセンや(マイスタークライスのメンバーではないけれど)オーディンスタールなどのワインにも言えることだ。ライカのMシリーズならば堅牢な造りや精緻で味わいのある描写だけでなく、シャッターボタンの感触やフィルムの巻き上げレバーの絶妙な手ごたえ、ファインダーの見え方まで、すべてが一貫して説得力をもっているそうだ。

 一方でそうした製品は相応の対価を得なければ事業を続けることが難しい。そのために一般的な水準を超えた、贅沢品と呼ばれることがふさわしい価格がついてるものの、逆にいえばその値段でも買い手が後を絶たないが故に、完成度の高い製品が長年造られ続けている。

 贅沢品と知性

 ドイツの贅沢品を考えるとき、もう一つ気づくのは製造者と消費者の知性かもしれない。ドイツには教養主義の伝統が今も息づいている。それは19世紀に近代化が遅れていた当時の、フランスやイギリスに対する劣等感の裏返しとして芽生えたものだと言われるが、今でも古典や芸術に対して造詣の深いことが一種のステータスシンボルとして認められている。

 贅沢品の嗜好はドイツ人の場合、見た目や機能、値段だけではなく、それが知的であるかどうかも判断基準の一つのような気がする。あからさまな豪華さはかえって安っぽく、落ち着いて生活と馴染んだ、ある意味身分相応なものに囲まれていることが、彼らなりの贅沢さであるような気がする。裁判官や大学教授といった、ある程度社会的な地位のある人々の住まいを何度か訪れたときに垣間見た、さりげなく上質な居間や書斎の内装は知的で居心地がよく、生活と心のゆとりを感じさせた。ドイツの贅沢品はおそらくそうした、知的で身分をわきまえた裕福な人々に支持されているように思う。

 一方私の生活はそんな人々には遠く及ばず、気温40℃に迫る猛暑の中、冷房もない部屋で扇風機の風にあたりながら、キーボードを汗で濡らしつつこの文章を書いている。心頭滅却すれば火もまた涼し。幸運なことに上述のマイスタークライスの写真集を一冊分けていただいたのだが、そのまま触ると汗や脂がついてしまうから触るときは手袋をはめているのでますます暑い。身分不相応なものを手に入れた男の、当然の帰結というべきか。

 (以上)

 

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

 
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