ドイツワイン通信Vol.80
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
五月晴れに思うドイツワイン
5月下旬、爽やかな晴天が何日か続いた。暑くもなく寒くもなくカラリと晴れて、「絶好の行楽日和」と言う紋切り型の台詞が天気予報から聞こえてきそうな日だった。とはいえそれは週末でも祝日でもなく、ただ空を仰いで遠くに思いをはせるだけで過ぎてしまった。
私は横浜の自宅の窓からドイツの空を思っていた。もしもまだトリーアの町に住んでいたら、こんな日はきっと葡萄畑で写真を撮って、そのあと大聖堂近くの広場の真ん中にあるワインの立ち飲みスタンドに立ち寄っていたことだろう。今の時期なら広場にはホワイトアスパラガスを山積みした屋台も出ているはずだ。一束500gが一人前で、太さにもよるが大体12~3本入って4~8ユーロ(約500~1000円)だった。皮をむいて茹でたものにバターと卵黄を使ったオランデーズソースをかけて食べるのが定番だが、このソースは作るのに手間がかかる上にいつも成功するとは限らないので、個人的には少し歯ごたえを残して茹でたばかりの熱々のものにシンプルにバターをのせるか、細ければベーコンを巻いて炒めるのが好みだった。あわせるワインはジルヴァーナーかミュラー・トゥルガウ、あるいはヴァイスブルグンダーの辛口が定番だが、あの頃は地元モーゼルのリースリングをあわせることが多かった。甘味が強すぎさえしなければ、どんなリースリングでも合わないと思ったことはない。
ホワイトアスパラガスとヨハネの日
このホワイトアスパラガスが出回りはじめるのはだいたい4月中旬から下旬にかけてと幅があるが、シーズンが終わるのは6月24日のヨハネの日と決まっていて、その日を過ぎるとぱったりと見かけなくなる。実際にはその後も収穫は出来るらしいが、あまり続けていると翌年の収穫量が減ってしまうのだそうだ。
ヨハネの日のヨハネは周知の通りイエス・キリストに洗礼を授けたユダヤ教の修行者で、イエス・キリストの半年前に生まれたので6月24日が祭日となった。それは一年で最も昼の長い夏至(6月20~23日)の直後でもある。今でもヨハネの日の前夜に盛大なたき火を焚いたり、健康や恋愛成就を願って炎の上を飛び越えたり、太陽の象徴として火を付けた車輪を斜面から転がし落としたりする風習がドイツ各地に残っている。火を燃やす起源はキリスト教の浸透以前のゲルマン民族の自然信仰にさかのぼるそうだが、教会は民衆に根付いていた風習を容易にやめさせることは出来ず、ヨハネの日に結びつけることで異教の祭儀をキリスト教の行事にとりこんだのである。
復活祭と移動祝日
聖書と結びつけられた教会暦は、クリスマスや復活祭以外にも数多くドイツの生活の中に根付いている。教会の祝祭日のいくつかは月の満ち欠けと関係していて、例えば復活祭は春分の日(3月19~21日)の次の満月のあとの最初の日曜日なので、満月がいつになるかで復活祭の日付が変わってくる(3月22~4月25日)。そして復活祭から数えて40日目がキリスト昇天の祭日、50日目が聖霊降臨祭、60日目が聖体の祝日で、これらを移動祝日と言うが、教会の祭日であると同時にドイツの多くの州では法令による休日なので、公官庁や金融機関はもとよりレストランやガソリンスタンドと空港や駅の売店以外の商店は終日閉店しており、公共交通機関も休日ダイヤで運行する。
月の満ち欠けという自然現象がキリスト教の祝祭日を規定し、ひいては現代の社会生活に影響をおよぼしていると見ることも出来る。その意味で自然はドイツの生活に密接に関わっていると言えるかもしれない。
キリスト昇天の祭日と巡礼
復活祭から40日目の木曜日にあたるキリスト昇天の祭日(今年は5月10日)には、トリーアにはドイツ各地から巡礼達が大勢訪れる。彼らの目的はイエス・キリストの12番目の弟子である使徒マティアの墓がある、聖マティア修道院で行われるミサに参列することだ。4世紀にコンスタンティン大帝の母ヘレナによってトリーアにもたらされたというこの聖なる遺骸は、1127年に修道院の改築中に見つかり、それからというもの各地で聖マティア巡礼兄弟団が結成され、この時期にトリーアを目指すようになった。
現代の巡礼者は退職した民間人が多い。モーゼル渓谷を囲む山の中を仲間達といっしょに何日もかけて歩き続けて、キリスト昇天の祭日の前日にトリーアの町にたどり着く。そして何はともあれ広場にあるワインの立ち飲みスタンドに立ち寄って、喉を潤し到着を祝うのだ。巡礼達が皆こぞってスタンドを訪れる訳ではないけれど、中には顔見知りになった人々もいて、今年は会えるだろうか、私を覚えているだろうかと、少しどきどきしながらスタンドでワインを飲みながら待っていたこともあった。
聖霊降臨祭のワイン祭り
キリスト昇天の祭日の10日後の聖霊降臨祭は、イエス・キリストの弟子達に聖霊が下りて、様々な国の言葉で話しはじめたという聖書の記述にちなんだ祭日である。
「五旬祭の日が来て、一同がひとつになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が別れ別れに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、『霊』が語らせるままに、ほかの国々の言葉を話しだした」。(使徒言行録2章1-4節)
五旬祭はラテン語でペンテコステと言い、ギリシア語で50番目(の日)を意味する。ユダヤ教では過越祭(=キリスト教の復活祭)の50日後に祝われる祝祭日をシャヴオットと呼び、本来は春の最初の小麦の収穫に感謝する農業祭でもあった。五旬祭に集まっていた120名ほどの使徒達はシャヴオットを祝っていたのだが、突如として様々な国や地方の言葉で話し始めた。その様子を見て、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者もいたというから、その頃は新酒が出回る時期でもあった。もっとも、ペトロは飲酒の批判に対して「今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません」と申し開きをしているが。
トリーアからバスで20分ほどのルーヴァー渓谷では、毎年聖霊降臨祭の日曜日にワイン祭りが開かれていた(今年はその一週間前の5月13日だった)。カーゼル村の見晴らしの良い葡萄畑の斜面の中腹には散歩道があり、谷の向こう側には遅くとも10世紀にはベネディクト派の聖マキシミン修道院が所有して葡萄を栽培していた山があり、その周囲にはトリーアの市街地とルーヴァー渓谷を隔てる山林が広がっている。祭りが開かれる散歩道の入り口で2ユーロの保証金と引き替えにワイングラスを受け取り、近隣の醸造所が設営したテントでグラス単位かボトルでワインを購入し、こころゆくまで楽しむことが出来る。
友人達と行ったほうが何種類もティスティング出来て楽しいが、一人でも退屈したことはないし、ほろ酔い気分で葡萄畑に佇むひとときの幸福感は、ほかの何物にも代えがたい。醸造所のテントを渡り歩くうちにいつしか日は暮れて、それから間もなくささやかな花火が打ち上がって祭りはお開きになる。
約10年間、ほぼ毎年通っていたが、不思議なことにその日は雨が降ったことがない。そういえば確か一度、ものすごい強風でテントが吹き飛ばされそうになったことがあったが、使徒言行録にあるような聖霊は降りてこなかった。
ドイツの五月
ゲーテは聖霊降臨祭の季節を、フランスの民話を翻案した詩『ライネケ狐』の中で次のように描写している。
「 胸もときめくおまつりだ、聖霊降臨祭のときが来た。
野にも森にも草萌え花は咲きみだれ、丘に山に、茂みに垣に、
目覚めたばかりの鳥たちが、たのしげな歌をきそい合う。
靄たちこめる谷あいの、どの草原にも花さきこぼれ、
天空は晴れがましげに澄みわたり、大地は色あざやかに照り映えた。」
(生野幸吉訳、ゲーテ全集2「詩集」潮出版社203頁)
1794年に出版されたものだが、ドイツ人にとっての5月のイメージがよく表現されている。5月1日はキリスト教の祭日ではなくメーデーの休日だが、多くのドイツ人達は野山をただひたすら歩きに行く。見渡す限りの草原や鬱蒼とした森の散歩道はドイツの至る所にある。都会の喧噪を離れた自然の中で、家族や友人達と和やかに語らいながら歩き続けることは、健康的でお金をかけずに味わえる身近な非日常であり、巡礼と通じるものがある。ドイツ語でヴァンダルングWanderung、英語ではハイキングあるいはウォーキングだが、ヴァンダルングには放浪という意味があり、仲間との絆を深めるとともに初めての土地で未知なるもの、神秘的な存在との邂逅を心のどこかで期待している部分がある。そして18世紀末頃に興ったドイツロマン派の精神は、今も5月の野山を歩く人々の内に生きているのではないかと思われるのである。
聖体の祝日と町中の祭列
復活祭を基準にした移動祝日の最後の一日は、60日目の聖体の祝日だ。この日もほとんどの州では休日となる。トリーアでは大聖堂から祭服をまとった聖職者達と熱心な信者達が大通りを行進して、所々で立ち止まってミサを行う。祭列の中心にあるのは聖体-聖餐の秘蹟でキリストの肉に変化すると信じられているホスティア(種なしのパン、丸くて薄いウェハースのようなもの)-が入った聖遺物入れで、その上には天幕が張られ、天幕の支柱を持った射手兄弟団員たちに囲まれて行進する。路上のミサでは司教がホスティアを両手に持ってうやうやしく天に掲げ、祈りを捧げる。その周囲を見物人がとりまき、参列者として見守る。祭列はやがて大聖堂に戻り、荘厳で華やかな鐘の音が祭儀の終わりを告げる。それは大抵昼頃なので、私はそのままワインの立ち飲みスタンドに向かい、ソーセージをはさんだパンとワインでミサの余韻に浸るのが常だった。
今に生きるキリスト教と自然観
ドイツでもミサへの参加者が減り、教会税を納める人も少なくなったというが、キリスト教の行事は現在も社会生活の中に息づいている。信仰のライフスタイルを拘束する強制力は、数十年前に比べればずっと弱まっているとはいえ、宗教行事は公的にも私的にも身近なものであり、意識するとしないとにかかわらず、キリストの教えは多くのドイツ人の行動の規範となっているように思われる。
そして彼らの自然観もまた、移動祝日が月の満ち欠けで決まり、森や野原を歩くことを好むことに見てとれるように、自身の内部の奥深くに根付いた根源的な欲求として、常に自然に立ち返ることを求めるのではないだろうか。ドイツワインがそういうメンタリティを背景として栽培醸造されていると考えると、その味わいも少し違って見えるかもしれない。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。