ドイツワイン通信Vol.78
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
ドイツの量産ワインと日本市場
去る 3 月半ば、とある輸入商社の試飲会に行く機会があった。ここでは仮に A 社としておく。A 社は大 手ビール醸造会社 B 社の傘下にあるワイン専門の輸入商社で、主にフランスとイタリアの世界的に名の知 られた中規模以上の生産者のワインを扱っている。取引先は専門店やレストランが多い。試飲会場の某ホ テルの宴会場は、招待客で静かな賑わいを見せていた。
さて、私にとって気がかりなのはドイツワインである。試飲会場を見渡すと、約 150 品目の中にかろう じて二銘柄が見つかった。ひとつはドイツではスパークリングワインといえばこれ!という、知る人ぞ知 るブランド。「トロッケン」はワインでは残糖度 9g/l以下の辛口だが、ゼクト(=スパークリングワイン) は 17~32g/lとやや甘味の残るスタイルなのは、このブランドを製造する大手醸造会社が主力商品に「ト ロッケン」の語をどうしても使いたかったからだ、と言われている。もうひとつは 20 年以上前からリープ フラウミルヒとともにドイツワインを代表するブランドで、黒く円筒形をした独特のボトルに入っている 白ワインだ。ライン河畔に立つ城塞の塔を模したといわれるボトルは、18 世紀末以来の英国人が抱くライ ン川の憧憬が反映されており、それはそれでロマンティックな味わいのあるデザインではある。どちらも 1000 円台半ばから 2000 円弱で手軽に買えるワインだ。
フランスやイタリアのワインは希望小売価格 3500 円以上の価格帯の商品が充実しているのに比べると、 ドイツワインの品ぞろえの薄さ、形だけ一応は置いているだけの付け足し感は、そのまま多くのレストラ ンやワインショップのワインリストを彷彿とさせた。さらに言えば、輸入ワインに占めるシェアが 1.5%(2016 年)、という、日本市場におけるドイツワインの現状をも、A 社の試飲会は象徴しているように 思われた。
・一般消費者のドイツワインの認識
この状況はどういうことなのかと試飲会場にいた A 社の経営に携わる方に聞いてみたところ、普段ワイ ンを飲まない普通の日本人は、たまに飲む時は赤を選ぶのだという。OIV 国際ブドウ・ワイン機構によれ ば 2015 年の一人当たりのワインの年間消費量は 3.2l、つまり約 4 本である。そして総消費量に占める赤 ワインの割合は約 3 分の 2 で白ワインは約 4 分の 1、残りがロゼだ(VINEXPO 調査 2014 年)。だから、 生産量では白が多く(DWI ドイツワインインスティトゥートによる 2016 年産の統計では約 60%)、しか も甘口がメイン(実際には甘口は約 32%、同 DWI 統計)というイメージがいまだに根強いので、ドイツ ワインはなかなか売れないのだそうだ。
さて、上述の通り A 社は大手ビール醸造会社 B 社の傘下にある。B 社の傘下には A 社とともに、自ら国産ワインを醸造しつつ、チリワインをはじめ主に日常消費用となるワインを輸入・販売し、国内のスーパ ーマーケットなどに幅広い販路を有するワイン専門商社 C 社がある。C 社の品ぞろえは明らかに A 社の扱 う中・高級路線とは一線を画している。A 社よりも幅広い購買層を抱える C 社は 2009 年に一般消費者向 けのワイン情報サイトを開設し、「ワインを探す・知る・楽しむ・買う・語る」をテーマにした総合的なサ ーヴィスを提供している。インスタ映えする写真を多用したり、タレントを起用したコラムやワイン選び のコツを紹介した漫画を掲載したりといった力の入れようだ。
そのひとつ「ワインの知識」のコーナーには各国の産地紹介があるのだけれど、ドイツの項目は端的に 言って情報が古い。気候変動の影響で近年ドイツでは意味をなさなくなりつつある「糖度を基準にした独 特のワイン法」が独自のスタイルを確立していると指摘し、EU の地理的呼称保護制度に関する記述は一応 補足されてはいるものの、引用しているドイツ語にはスペルミスや文法上の誤りがある。産地はラインヘ ッセン(「特にヴォルムスの聖母教会の修道士が造ったといわれる『リープフラウミルヒ』は有名です」)、 モーゼル(ドイツワインのラベルの例として「ツェラー・シュワルツ・カッツ」を採用)、そしてラインガ ウ(「“ラインガウはワインガウ(ワインの里)”とも呼ばれる名醸造地となっています」)の三地域のみを主 要産地として紹介していて、近年品質向上の著しいピノ・ノワールの主要産地であるバーデン、ファルツ、 アールは言及がない。
公開は 2016 年と比較的新しいが、項目の作成者が参照した文献が古かったのかもしれないし、サイトの 制作そのものを外部に委託しているのかもしれない。だが、それを看過してサイトに掲載していること自 体、ドイツワインの現在が十分に知られていないこと、そして C 社にとってドイツワインはその程度のも のであることを如実に物語っている。
・今飲むべきドイツワイン
数十年前から時間が止まっているかのようなドイツワインに関する認識と記述は、上記の C 社のサイト に限らない。日本のスーパーマーケットやディスカウンターなどで販売される量産・低価格帯のドイツワ インは、現在もリープフラウミルヒやシュヴァルツ・カッツ、あるいは複数の村で収穫された葡萄を使っ ているにもかかわらず、単一畑と紛らわしい名称のグロースラーゲ(総合畑もしくは集合畑とも訳される) を名乗るワインが重要な商品であり、そうした量産ワインを扱う輸入商社のサイトも C 社と似たり寄った りである。
問題は、量産ワインの生産者であるドイツの大手醸造会社の日本側のパートナーは、知名度が高く市場 への影響力の強い中規模以上の日本の輸入商社であることが多いことだ。一方で小規模家族経営の生産者 が手作業で栽培し時間をかけて醸造したワインや、ドイツワイン法では規定されていないか大枠の制限し かないけれども、ワインの品質とは無関係ではありえない葡萄畑の土壌や立地条件、収量の削減に自主的 に取り組んだ高品質なワインは、自社で扱う商品とは関係ないものとして、消費者に影響力を持つ輸入商 社から十分な関心を持たれていないように見受けられる。
A 社と C 社の違いに見られるように、一般に大手輸入商社は市場規模の大きな量産ワインを扱い、少量・ 高品質なワインの生産者は専門の系列の子会社に任せる例が多いが、その子会社の扱うワインは、実は親会社の扱う量産ワインを醸造するドイツの大手醸造会社の中のワイン輸出部門のポートフォリオにある生 産者を扱っているにすぎず、独自に探し出して輸入紹介しているわけではないケースもある。本当に高品 質な、ドイツワインの現在を反映したワインは、親会社・子会社のしがらみなく、独立した意思決定が可 能な志の高いワイン輸入商社が、現地に足を運んで探して選び抜き、自信を持って日本に紹介している。 今飲むべきドイツワインはそうした輸入商社のワインであり、(株)ラシーヌはその一つだ。
・山を動かす
私見では、低迷が続く日本のドイツワインの状況が変えようとするならば、市場への影響力の大きい輸 入商社から発信される旧態依然とした情報を、まずはアップデートする必要があるように思われる。ドイ ツワイン法で規定されている果汁糖度に基づく基準からテロワールを表現したワインへ、甘口主体からオ フドライを含む辛口系主体へ、ワイン単独から食事とともに楽しむスタイルへ、そして高品質な辛口赤の 産地へといった、ドイツの近年の変化をまずは認識してもらわなければならない。
同時に、大手輸入商社からはドイツの大手醸造会社に対して品質要求を厳格化し、取扱う商品もトレン ドを反映したもの――少なくともラベルデザインだけでも――に切り替えるか補っていったならば、評判 や売り上げも伸びてドイツワインをとりまく状況も元気になっていくのではないだろうか。かなり希望的 な観測ではあるが不可能ではないし、取扱量の多さから言っても出すべき要求はしっかりと出せば通るは ずだ。実際、ドイツのとある大手醸造会社では日本の大手輸入商社とともに、品質向上にむけて前向きな 取り組みを行っているそうだ。そして向上の余地は十分すぎるほどにある。何しろ輸入ワインに占めるド イツワインの現在のシェアは 2%未満なのだから。
とすると、猫の首に鈴をつけに行く――大手輸入商社に情報のアップデートの必要性を自覚してもらい、 アクションを起こさせる――のは誰かが問われることになるが、ここはひとつ、ドイツワインの公式な広 報を担っている日本事務所に是非、お願いしたいところだ。3 年前の再開以来力を入れていて実際成果を あげつつあるという、新しくドイツワインを取り扱うインポーターを増やすことも重要だが、まずは各輸 入商社のサイトから発信されているドイツワイン情報をチェックして、各社の広報担当者に提案するとこ ろから始めてみてはどうだろうか。DWI ドイツワインインスティトゥートから日本での広報活動を委託さ れているソペクサの、「ワインズ・オブ・ジャーマニー日本オフィス」という肩書が役立つのは、そんなと きかもしれない。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。