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Sac a vinのひとり言 其の四十四「やさしさ」

 Hospitality、おもてなし、Accueil、etc。

 各国には訪れた身内や仲間、顧客をもてなすという考えを表す言葉がある。そこに含まれるニュアンスは温度差や捉え方の違いはあるが、根底には共通する「優しさ」が存在するように思われる。温泉旅館でくつろいでいただくのに心を砕き、アフターヌーンティーでくつろいでいただく為に茶葉や器を厳選したり、感謝祭の大切なディナーの為に準備に何日も時間をかけたり、遠い国からやってきた観光客に自慢のスペシャリテを提供する。全て自分たちが自信をもって他者に勧めることが出来るものを最大限のパフォーマンスで提供しようとする優しい心情の発露である。我々接客業の依って立つところであり、醍醐味でもある。
 全てに共通するのは「来客を喜ばせる」という目的があることである。勿論業種や国籍などにより手段や目標到達点や及第点は違ったものとなるが、基本となるベクトルに大きな差異は無いと考えて良いだろうし、またそうあるべきだと信じている。マクドナルドだってホテルリッツだって、エノテーカピンキオーリだってかっぱ寿司だって元々の根源は同じはずなのである(企業理念やレベルの違いは勿論あるが)。

 ここで一つ問題の発生原因となりえるのが、この種のサービスが多種多様になる原動力でもある、「来客を喜ばせる」という目標である。対象となる人物に満足してもらう為に何をすればよいのかを考えるのは、サービス業に従事する人間の永遠のテーマではある(コロナの影響で何時以前の状況に戻るかはわからないとはいえ)。しかし交通網と情報網の発達で、20世紀初頭とは比べ物にならない程多種多様な客層に接遇することになった現在、ある程度のテンプレート的な、口さがない言い方をすれば、ある種機械的な対応もしないと多種多様なお客様に満足してもらうことすら正直なところ難しい、と言わざるを得ない。
 簡単に言えば、ファーストコンタクトでは、ある程度最大公約数的な「分かり易い」サービスを提供することが多くなる。更にそこに国籍や年齢、立ち居振る舞いなどのバイアスをかけたうえでの「分かり易い」サービスで臨み、そこから徐々に目の前にいるお客様のパーソナルを分析して、実際に現場に立つ人間が目の前にいるお客様(達)に微調整したサービスを行うというのが、現代における我々サービスマンが現場に立って接客をする意味だと思う。

 少しかみ砕くと
 「やさしさ」には「易しさ」と「優しさ」の2種類がある。

 「易しさ」は、共有可能で再現性が高く、個人の能力にパフォーマンスは左右されない。
 ある程度の大きな母集団(国籍、性別、年齢etc)の分析と分類を行い、データを分析した上で、そこから有益な情報を翻訳して顧客に提供する。分かり易さは裏付けのあるデータからもたらされるものであり、またスタッフの能力にはあまり左右されず業務上のオペレーションで対応する性格のものである。
 マニュアル化は可能であり、サービスごとのパフォーマンスのブレ幅は基本的に少ないと言えると考える。ある程度のレベルと規模を持つサービス業であれば、トレーニングなどを行いスタッフに周知を徹底するものである。
 ワインであれば、名産地、著名な生産者、グレートヴィンテージなどの、ある程度共通認識として付加価値があるものと見なされる(見なすことのできる)ものをオペレーションに組み込んで提供する、具体的にはグラスで出すと高額でなかなか手の出ない銘醸をペアリングに組み込んで提供することにより、オーダーされたお客様の満足度の平均値の向上を狙うことなどあげられるだろう。

 「優しさ」は共有が難しく、且つ瞬間に対して対応しなくてはならない性格の為再現性は低い。個人の能力で効果は劇的に変動する。
 一般的なバリューやお値打ち感など、他者との満足の共有を計りやすいものではなく、対象となる顧客の好みや感情などに対して自分なりの解釈を施してアプローチする性格のものであるため、他のスタッフに指導して再現させることは難しく、また他の顧客に同じようなサービスを提供しても喜んでもらえるとは限らない(寧ろクレームにつながるリスクさえ孕んでいる)。
 このような個人の感情や感傷に訴えかけるものは、金銭的なバリューには良くも悪くも無頓着になりがちな側面があるので、どこまでやったものかを判断するのは中々に困難である。
 例えば10年前に来店されたお客様にその時と同じワインを提供したとしたら、その方は自身を覚えてくれていたという承認欲求と過去の思い出に対するノスタルジックな感傷を満たすことが叶い満足するだろう。
 しかしながら同じサービスを他のテーブルに提供したところ、割高であるという意見や今のシェフの料理には合わないのではないか? などというクレームを賜る可能性は少なからずあるだろう。また当時と同じスタッフが提供をするのであれば、過去の再現になって感動を生むことは出来るだろうが、もし違うスタッフが同様のことを行った場合、「ずっと同じことをやっているのか?」「代り映えしないな」などと感じる顧客がいたとしても不思議ではない。
 ※同じことをやり続けることにこそ意味と意義を見出している素晴らしい店舗を否定するものではない。

 このように理屈上同じ仕事を行っているのだが、周囲の環境やスタッフなどでお客様の受け取り方がかなり気ままに変化してしまう。皆様にも知り合いに素晴らしい店だと進められて期待して訪問した店で、「特に問題はなかったのだが何かしっくりこない、楽しくない」などという経験はあるのではないだろうか?紹介者のパーソナルとその店のスタッフのパーソナルは上手くシンクロしていたのだが、被紹介者である別のお客様とは周波数が合わない、なじまないということは往々にして起こりえるものだ。こればかりは数値化できるものではないので仕様がないとは言いたくないが、紹介した人間としては切ない気持ちになるものだ。周波数が合わない人間には、「優しい」サービスの店より「易しい」サービスの店を紹介する方が、お互いにとって幸福な結果になるのかもしれない。

 ワインの場合で考えると、自分と趣味が合うかどうか疑問があるのならば、外面的価値が担保されている「易しい」ワインを共に飲んだ方が気まずい思いをすることはないであろうし、ある程度の面目は立つであろう。
 しかし、もし自身と価値観や目線を同じくする者であると信ずるのならば、自分なりの「易しい」ワイン、内面的、精神的価値を共有することのできるワインを選択するべきであると考える。「とっておきの一本」というものがどのような意味で「とっておき」なのかは相手によって変動するものだし、させるべき性格のものである。

 飲食というサービス業に従事する以上、我々には「易しさ」も「優しさ」もどちらも必要なものである。フランスでは自身が所属するレストランのことをMaison、「家」と表現する。
 自身のテリトリーに入ることを許可した人間に対して、「やさしい」気持ちをもって接するのは当然であるし、快いものである。そしてその我が「家」に招く機会が人一倍多い我々は、その「やさしい」気持ちをどれだけ保ち続けられるかが生命線なのだろう。
 皆が厳しい状況だからこそ、どれだけ「やさしく」あれるか。プロとしての在り方が問われていると言えよう。

 

~プロフィール~

建部 洋平(たてべ ようへい)
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー


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