Champagne Legrand Latour
シャンパーニュ ルグラン・ラトゥール
造り手: |
Thibault Legrand ティボー・ルグラン |
国・地域: |
Fleury-la-Rivière フランス / シャンパーニュ / ヴァレ・ド・ラ・マルヌ / フルーリー・ラ・リヴィエール |
主要な使用品種: |
ピノ・ムニエ(Pinot Meunier) シャルドネ (Chardonnay) ピノ・ノワール (Pinot Noir) |
ホームページ: | http://www.geologie-oenologie.fr/ |
ワイナリー詳細: | ダウンロード(PDF) |
取扱いワイン詳細: | ダウンロード(PDF) |
シャンパーニュ ルグラン・ラトゥールについて
現当主ティボーは四代にわたるシャンパーニュ生産者の家系に生を受けたが、始めは家業を継ぐつもりはなく、自動車産業の職業訓練学校を卒業した。彼の父は伝統的なレコルタン・コーペラトゥール(収穫したブドウを協同組合に持ち込んで醸造し、出来たワインを自身のブランドで販売する生産者)であり、ブドウ栽培よりも趣味の化石発掘に人生を捧げていた。ティボーのワインへの情熱を呼び覚ましたのはむしろ、フィリップ・ランスロやオーレリアン・ルルカンなど、才気あふれる友人の生産者たちだった。もともと自然への愛着が人一倍強かったティボーは畑で働きながらビオロジックやビオディナミへの造詣を深め、2016年から慣行農法からの脱却を進めていった。
意志の強さと行動力を併せ持つ彼はビオディナミのセミナーや会合に精力的に参加し、自身の理解を深化させるとともにビオディナミの啓発活動にも尽力。ACB(シャンパーニュ・ビオロジック協会)の理事も務めるほか、それまでオーブ県だけで開かれていたMABD(ビオディナミによる農業運動)のセミナーを自身の村に招聘するなど、シャンパーニュにおけるビオディナミの発展に貢献している。
◆貝殻のセラー(カーヴ・オ・コキヤージュ)
当主ティボーの父パトリスは熱烈な化石マニア。暇さえあれば地下のセラーを掘り進めること20年、公開されている部分だけでもその長さは300メートルを超え、発見された貝殻の化石は古代の海底さながら、壁に半ば埋まった状態で展示されている。中でも「カンパニレ・ギガンテウム」と呼ばれる巻貝の化石は長さ40センチメートルを超え、彼のコレクションのみならずシャンパーニュ・ルグラン・ラトゥールのシンボルともなっている。
2011年に一般公開されたこのセラーには年間一万人以上が訪れ、ティボーの母アンヌが切り盛りするシャンブル・ドットとともに今や観光名所の一つとなっている。もちろん本来の用途、つまりワインの保管・熟成にも使われており、一年を通じて気温12度、湿度95%という理想的な環境を保つ。それぞれの樽はティボーのパートナーにして今は亡きパスカル・ルクレールの娘、セゴが命名しており、ソレラ用の30ヘクトリットルの大樽は彼らの息子の名でもある「ジュード」、という具合。
パトリスの化石発掘への情熱は、地質学への関心という形で息子のティボーへと受け継がれた。シャンパーニュに広がる様々な年代の地層をワインに表現すべく、地層年代別のシリーズを2022年にリリース。各キュヴェにはリプレジアン、ル・カンパニアン、ル・リュテシアンなど、白亜紀から古第三紀にかけての地質時代の名が付けられている。
ヴァレ・ド・ラ・マルヌについて
マルヌ渓谷という名の通り、シャンパーニュ地方を横切るように東西に流れるマルヌ川沿いに、東西約80kmに渡って続く広大なエリア。主要な畑は川の北岸斜面、つまり南向きとなるが、川の南岸・北向き斜面にもブドウは栽培されている。土壌は石灰岩以外に、粘土質や砂質なども多様な土壌が現れる。川の主流およびその支流がかたち作る谷の地形によって、湿度が高く、また霜害も受けやすい。そのため、開花が遅く収穫が早く、病害に強いピノ・ムニエが作付けの8割近くを占める。グラン・クリュは、トゥール・シュル・マルヌ村と、南向きの急斜面を多く持ち優れたピノ・ノワールを生むアイ村の2ヶ所。
シャンパーニュについて
パリの北東約150km、北緯49~50度で、近年のイギリスなどの例外的な地域を除くブドウ栽培の北限とされる寒冷な地方。年間平均気温約10.5℃。約32,900haにおよぶAOC圏は319の村、240,000の区画にまたがり、栽培農家は約19,000軒。自社瓶詰め生産者も約2,000に達するが、全生産量の約3/4は、モエ・エ・シャンドンなど大手6社が占める。地質的には中生代白亜紀後期の白亜質石灰、およびジュラ紀キメリジアン階の泥灰岩、石灰岩が中心となる。1600年代末までは非発泡ワインの産地で、現在の瓶内二次発酵、およびデゴルジュマンを経る通称“シャンパーニュ方式”での製法を発見・定着させたのは19世紀、ヴーヴ・クリコの功績である。よく俗説に出るドン・ペリニオンは、実際は存命時の17世紀には邪魔ものとされた泡を、いかに抑制するかに腐心したとされている。またこの地は、寒冷地ながら、ブルゴーニュよりさらに多い10.4t/haもの法定上限収量が認められている。