シャンパーニュの基本に立ちかえる

2013.10.29   塚原正章

シャンパーニュが泡ではなくてシャンパーニュであることは、ワインがアルコールでないのと同じである。*

*注:吉田健一をもじったつもり。だが、意味が分かっている人にしか通じない文体ではある。

シャンパーニュの可能性―エルヴェ・ジェスタンの革命的な役割
 いきなりシャンパーニュの可能性を論じるとすれば、エルヴェ・ジェスタンの名を逸するわけにはいかない。エルヴェは、根本からシャンパーニュのあり方を問いつづけ、R.シュタイナーをふまえてビオディナミの発想を醸造の世界にまで拡げた。あげく、「レゾナンス」(宇宙~ブドウ樹~人~ワインの相互間における響きあい)をキーワードとする前人未到で独自の技法を編みだし、コンサルティング活動を通じてエルヴェ流のシャンパーニュ造りを広めている。その意味で、エルヴェはシャンパーニュの世界に革命をもたらしつつあるといっても過言ではない。
 けれども、独立して初めて自作した唯一の作品、「シャンパーニュ ジェスタン ヴィンテッジ2006 エクストラ・ブリュット」は、世界に先駆けて先週ようやく日本市場で発表されたばかり。ビン内で熟成中の7年分にわたる後続ヴィンテッジは、いまだにセラーで眠り続けている。くわえて、エルヴェが昨年入手したクロ・デ・シャンピオン(キュミエール1級。「クロ・ド・キュミエール」と改称する予定)は、最終製品を世に問う段階からほど遠い。という点では「革命いまだならず」であって、つねに進化してやまないエルヴェは、むしろ永久革命を運命づけられているといってもよい。
 というわけで、エルヴェ・ワールドの全容はまだ姿を現していないから、上に記した評価はいわば先取りコメントのようなものである。

シャンパーニュの二面性
 ならば、エルヴェ・ジェスタンの〈醸造におけるビオディナミ〉が全面的に結実して、シャンパーニュ界を揺るがす前段階(?)である現在、さしあたりシャンパーニュをワインのなかでどう位置づけたらよいだろうか。シャンパーニュの特徴は、相反する二面性を帯びていることである。
1 シャンパーニュは、なによりもまず、ワインであって、単なる発泡性ワインではない。
2 シャンパーニュの製法は、ワインよりも人工的な技法を凝らした文明の産物であること。
 つまり、シャンパーニュには一般的なワインとの共通点があるのと同時に、おおきな相違点があるが、重要なのはともにクオリティワインたりうる資質を備えていること。そのうえ、栽培段階はもとより醸造段階においてもビオディナミの精神と技法を導入することが可能ならば、シャンパーニュは確実に変容を遂げるであろう。が、今のところ一般のワイン造りにおいて、醸造におけるビオディナミ―精神的な肌合いをもつエルヴェ流の技法―は、ほとんど開発されていないとみられるので、シャンパーニュはスティルワインの一歩先を歩んでいるといえるだろう。

シャンパーニュは、なによりもまずワインであること
 いきなり自明の理を述べれば、シャンパーニュはワインである。より正確にいえば、シャンパーニュは、シャンパーニュである前、すでにワインでなくてはならない。とすれば、クオリティワインに求められるべき条件が、優れたシャンパーニュにも求められることになる。これをかりに、シャンパーニュ=ワインと呼ぶことにする。
 ならば、優れたシャンパーニュ=ワインが備えるべき〈味わい〉とはどういうものか?
たとえば、マット・クレイマーが『ワインがわかる』第一章で、高品質ワインの要素として挙げた〈複雑さ・バランス・均整・フィネス〉である。ワイン・コニサーたらずとも消費者は、このようなワインの判断基準を自覚的に身につけ、経験を重ねながら、味覚と嗅覚だけでもって、シャンパーニュに接すればよい。そうすれば、あいにくシャンパーニュもまたワインと同じく、高品質なものが少ないことに気づくはずである。

コンディションという要件(再説)
 ここで、マットの「高品質ワイン」が、暗黙のうちに前提としている条件があると私は思う。それは、ワインのコンディションが良いこと。例の公式を持ち出せば、
         ワインの実際の味わい=「本来の品質」×「コンディション」
 ある程度以上の質のワインなら、コンディションさえ良ければ、それなりに特徴を発揮するだろう。逆に、いくら専門家筋のあいだで評価が高くても、そのワイン(ボトル)の調子が悪いと、本来の姿とは著しくかけ離れ、味わいは個性を失って凡庸で濁りはて、なにを味わっているのか分からない。
 「業界が流通保管などに努力した結果、最近ワインのコンディションが大幅に上がった」という説が流布されている。が、さまざまなワインが並ぶ試飲会場を一巡すれば実情を悟ることができるはずで、シャンパーニュもまたその例外ではない。から、ワインの評価や点数、アペラシオン名、栽培醸造法の詳細などの知識を詰め込むよりも、日頃からコンディションのよいワインに接して、ワイン本来の持ち味を体得し、正確な判断基準を養うように努めよう。

シャンパーニュ特有の条件―人工的な技巧の極致
 発泡性の点だけからいえば、一般的にスパークリングワインは清涼飲料ジャンルにおける発泡性ドリンクのような位置づけにあって、開栓すれば炭酸ガスの強い内部圧で泡を吹きだす、通常はやや甘みを帯びた心地よいのが取り柄の飲料である。他方、シャンパーニュはワインであるだけでなく、比類のない特徴をもったワインでもある。スティルワインとは無論のこと、他のスパークリングワインと比べても、アペラシオン規制(テロワール発揚)と、二次発酵(伝統的シャンパーニュ法)にともなう作業方法がまったく違う。
 一般にクオリティワインは、できるだけ有機栽培にもとづき、薬剤を畑とブドウ樹に散布せず、収量を抑えて健全なブドウ果を得たあと、醸造過程では手出しを控えることが必要条件と認識されている。じじつ、(実態はどうあれ)ほとんどの生産者は、耳にタコができるほど異口同音に以上のようなことを実践していると繰り返す。
 が、シャンパーニュ製法の特徴は、プレスの仕方からはじまって、醸造方法全体がえらく複雑で技巧的なことに特徴があり、黒ブドウから白ワインを造ることや、異品種/異産地ブドウ産ワインのブレンドなど、そのごく一例にすぎない。伝統的製法(メトード・トラディショネル)と呼ばれるシャンパーニュ独特のやり方―リクェール・ド・ティラージュ(ワイン、砂糖と酵母の溶液)添加によるビン内二次発酵、ルミュアージュ(動瓶)またはジロパレット機作業、スュル・ポワント(爪先立ち)、デゴルジュマン(澱切り)、ドザージュなどの詳細については、ワインブックをみてほしい。 このような意味で、シャンパーニュは、非発泡性ワインには不要な、洗練された技巧の極致をつくした産物である。

シャンパーニュに求められる味わい―洗練されたエレガンス
 その結果が端的に、シャンパーニュ特有の泡立ちの様子と味わいの表情に出ている。もしシャンパーニュのなかに、クレイマーの4要素に加えるべき別種の味わいのカテゴリーがあるとすれば、《優雅さ、エレガンス》だろう。シャンパーニュの、細かく穏やかに立ち上る泡立ちと、黄金に輝く液体とが醸しだす「文明の味わい」こそ、他のワインにまねできない芸当であり、優雅なヴェールに覆われた洗練そのものである。
 シャンパーニュ=ワインに求められる味わいの要件とコンディションだけでなく、美意識をも追及すれば、現代風のエレガンスをそなえた個性的なシャンパーニュを、必ずや探し当てることができる。飲み手が「技術的に上出来なワインと、本質的に優れたワインを峻別」(クレイマー)することができ、そのうえコンディションが良好であれば、優れたシャンパーニュはクオリティワインのなかでとびきり美味で、おまけに割安なのである。

シャンパーニュに自然を求めることとは―RMにならって
 シャンパーニュ=ワインであることと、複雑で人工的な製造技巧という異質の要素を組み合わせて、賢明なバランスをとることが、シャンパーニュ造りの課題である。味わいのレヴェルでの課題は―私の視点からすると―クオリティワインのより自然な味わいを生かしながら、シャンパーニュ独特の洗練されたエレガンスと共存すること。
 この平和共存を実現するのに、今のところ最適だと思われるのが、レコルタン・マニピュラン(RM)の流儀であろう。一般的なクオリティワイン造りの要件として認められている方法である、狭い畑(注意深い管理を可能とする)、徹底したビオロジックまたはビオディナミ農法、SO2使用の抑制、ブドウ樹の精密な仕立てと手入れ、馬による耕作(重量トラクターの不使用)、収量抑制、自然酵母による小樽発酵と熟成、温度コントロール不可などの実行。これにくわえてシャンパーニュ造りに特有の要件としては、リザーブワインの非使用、二次発酵時におけるビオディナミ―用の培養酵母(「クォーツ」)の使用などの手法が、心あるRMでは採用されている。
 こうして結果的に一部のRMが、主張と個性あふれるシャンパーニュ=ワインを造りだすことに成功している。とくに世代交代に奏功したシャンパーニュ=ワインの味わいの水準と個性的な表現は、旧世代のころとは面目を一新しつつある。
 たとえば、ジャック・セロスと彼に学んだ者たち(ジャローム・プレヴォー、ユリス・コランなど)のRMグループがあり、また、エルヴェ・ジェスタンが主導するビオディナミ醸造の影響をうけた生産者たち(ブノワ・ライエ、ブノワ・マルゲ、ヴエット・エ・ソルベ、フルーリーなど)も進境が著しい。
 NMもまた近年の現象として、エルヴェ流に学びながら、量産規模での応用を図り、より自然な製法と優雅な味わいの両立を目指しているところがある。ちなみにエルヴェが最初に就業して醸造長を務めたのもNM(10大ハウスのひとつ)であって、エルヴェにとってNMとは無縁どころか、学びの地でもあった。
 このように、シャンパーニュの製造法と味わいの両面において、いまや自然と人為とのバランスが実現の途にあるとみえることは、シャンパーニュ愛好家の一人である私にとって、嬉しいかぎりである。

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