ミネラル風味
―この不思議なるフレーバー・センセーション

2013.09.26   塚原正章

はじめに―ミネラルとミネラリティ
 およそワインの味わいを形容する用語のなかで、「minerality;ミネラリティ、ミネラル風味」という言葉ほど重宝なものはない。その言葉を見聞きしただけで、ただちにそのワインの風味が連想できるほど、イマジナティヴな作用が強いのだ。おまけに、その原義である「mineral;ミネラル」という言葉には、ネガティヴなイメージがまったく伴わないだけでなく、健康維持に欠かせない微量栄養素とされている。というわけで、ミネラリティというワイン用語はあまりに便利で効果的な言葉だから人気が高く、プロもアマもつい多用しすぎる。
 しかし、万事がいいことづくめなどということはない。ミネラリティという言葉を用いると、連想のトリックに引っかかるおそれがあるのだ。それは、なにか。人間の嗅覚は、嗅覚原因物質に対する反応であり、特定の嗅覚細胞は、特定の化学物質のみに1:1で対応する受容体である。たとえば醤油を焦がした匂いは、加熱によってメラノイジン反応をおこしたアミノ酸の変性が原因であり、この化学物質が特定の嗅覚細胞の受容体に入り込むと、反応結果が脳に伝達されて、カラメル臭のような香しい匂いが嗅ぎわけられる、といったぐあい。だから、ミネラル風味を感じたと思ったばあい、ワインに含まれるミネラル成分が原因である、と単純に思い込んでしまいがちなのだ。これが、官能のトリック、あるいは誤作動である。
 ところで、ワインに特有なアロマ&フレーバーの分類としては、故アンヌ・ノーブル教授の考案になる、「ワイン・アロマ・サークル」(アロマの輪)が有名であるが、その車輪状をしたカテゴリー分類図にはミネラリティは出てこない。また、ジャンシス・ロビンソン編の『オクスフォード版ワイン事典』には、「ミネラルズおよびミネラル成分」という独立項目はあっても、「ミネラリティ」というフレーバーについては独立した言及がなく、まして定義などあるわけがない。
 要するに、ミネラルとミネラリティとは峻別すべきであり、科学的な見地からすると、ミネラリティは独立したアロマないしフレーバーとして認知されていない、といって差しつかえない。おおかたの科学者によれば、ミネラルを感じさせるような嗅覚反応に対応するミネラル由来の原因物質は、ワインのなかに充分な量だけ存在していないとのこと。むろん、ミネラルといっても多種多様なのだが、ワインのなかにそれらが存在するとしても、各ミネラルがあまりに微量なうえ閾値が高すぎるため、人間には感じとることができない。 ワインにごく微量ふくまれるミネラル成分が、ミネラル風味を感じさせるわけでないとは、すなわち両者の間に直接的な因果関係がないということ。だとすれば、ミネラル風味とは、一種の官能連合的な反応であるかもしれない。もしかしたら、ミネラル風味という独特なフレーバー・センセーションは、嗅覚反応ではなくて味覚反応かもしれない。要するに、ミネラリティは実感としてはわかりやすい表現であるが、分析しようとしたら厄介きわまりない相手なのだ。

テロワール説の誕生 ~アダム・スミスからマット・クレイマーまで~
 ブドウが植わっている土壌の化学的な組成分が、そのままブドウの根をとおして吸収されて果実に体現され、できたワインの風味のなかに現れ出る、という素朴な考え方がいまだに根を張っている。これを端的に表すのが、“gout de terroir”(大地の味)というフレーズである。
 テロワールとワインを最初に関連づけたこの表現は、17世紀のフランスにはじめて登場したとされるが、当初は褒め言葉ではなかった(土臭い味、泥味という感じか?)。けれども、ブルゴーニュの裕福な土地所有者であるモレロ博士が著した、『コート・ドール県のブドウ畑総覧』(1831年)のなかで、「グー・ド・テロワール」に対してはじめて肯定的な意味が与えられた。ブルゴーニュではすべてのワイナリーが本質的に同じ造り方をしているのに、ワインによって味わいがはなはだしく異なるのは、テロワールのせいであり、わけても表土を下支えする基盤土壌ゆえである、とモレロはみなした。ワインの風味は、畑の地質構造、要するに岩石から生じる、と考えたのである。
(マッギー&パターソン『土地よ、語れ』“Talk Dirt to Me” 2007.05.06、ニューヨーク・タイムズによる)
 ちなみに、それより早く、かのアダム・スミスは『国富論』(1776)のなかで、テロワールという言葉を使わずして次のようなテロワール観を述べていて、じつに興味深い。
「果樹のなかで葡萄はとくに土壌の影響を受ける。ある種の土壌では独特の風味のあるワインができ、耕作や手入れによっては同じ風味はだせないといわれている。こうした風味が評判だけのものか本当にあるものなのかは別にして、ごく少数の葡萄園だけに独特のものだとされていることもあり、また狭い地域の大部分にわたる特徴になっていることもあり、また大きな州のかなりの範囲にわたる特徴になっている場合もある。」(山岡洋訳、上巻、P.165。日本経済新聞社。名訳の誉れが高い。)

 さて、ワインのなかに岩石や土壌の味わいを感じとれるというコンセプトは、近年ますますワイン関係者のあいだで受け入れられようになる。たとえば、マット・クレイマーもその一人。類を絶する名著『ワインがわかる』(塚原&阿部訳、白水社)の序文のなかで、マットは「ワインは自らの出生の地を、精妙な輪郭の語り口でもって表現する。ワインに耳を傾ければ、大地のつぶやきがおのずと聞こえてくる」と詩的に表現した。
 大のブルゴーニュワイン好きが昂じて、テロワールの擁護者になった趣のあるマットは、この英語には存在しないテロワールという言葉を“somewhereness”(その土地らしさ)とやさしく呼びなおした。以来、“somewhereness”という絶妙な造語は、ワインを考える人たちの間に定着した。なお、テロワールの別の英語表現である、“sense of place”というしゃれた言い回しもまた覚えておいてよい。いずれにせよ、新らたに登場した一群の《ワインのテロワール重視派》は、テロリストをもじって「テロワーリスト」と呼ばれるようになった。
 なお、フランス語のテロワールに匹敵する言葉として、スペイン語には“terruno”「テルーニョ」という重要な言葉があり、この言葉の背景には「土地が人に属すのではなく、人が(出生の)土地に属す」という素晴らしい含意がある、とのことである(アルゼンチンのサンチャゴ・アチャバル氏の説)。
 いまなお栽培醸造家のなかには、グー・ド・テロワールという月並みな言葉や発想によりかかって努力を怠り、ワインのミネラル風味は、土壌に含まれるミネラル分の直接的な結果である、と単純素朴に主張する者がいるようである。いずれにせよ、テロワールという(たぶんに誤解を招きやすくて安易な)考え方が、ミネラリティという発想の背後あるいは隣にあることは確かである。

 ちなみに、かねてから私は、テロワールとは畑や大地、あるいは岩石そのものに由来するのではなく、逆にワインの味わいのなかに表現された大地や気候などの環境の総和であると考えている。いってみれば、テロワールとは「大地の気」のようなものであって、その土地に特有な可能性としてしか存在せず、可能性を具体化させるためには人間(造り手)という媒介者がいなければならない。《テロワールには人間的な要素がある》という点では、先走っていえば、私はジェイミー・グードら“Authentic Wine” (後述)の考え方と共通しているようだ。

ミネラリティ(ミネラル風味)の登場
 さて、プロのテイスターたちが、「ミネラリティ」という言葉を用いるようになったのは、比較的に新しい現象である。スティーヴン・スパリエやミシェル・ベタンヌが口をそろえて述べているように、この言葉は1970年代にはテイスティング用語には存在せず、1980年代なかば以降になっておおいに用いられるようになった。
 その背後にある事実としては、「それまでのフランスワインでは面積当たりの生産量がべらぼうに高く、シャプタリザシオンなどの水増しも横行していたので、土壌に由来するミネラリティなど皆無だった」(スパリエ)。あるいは80年代の半ば以後、「有機栽培生産者の『介入を控えた』ワイン造りがもてはやされ、異国風の果実風味やアロマは、操作過剰か出所不明のあかしという風潮のなかで、自分にとっては果実味とバランスする塩味やミネラルの基調、ミネラルウォーターのようなカルシウムやマグネシウムに富む(白)ワインの味には、そのような表現こそ似つかわしかった」(ベタンヌ)という現実があったのだろう。
 このようにワイン界の状況とワイン自体の味わいが変化したのに応じて、あまりにミネラリティという表現が乱用されだした。それに嫌気がさしたジャンシス・ロビンソンにいたっては、できるだけその言葉を避け、「湿った石」などの言葉を好んで使うことにしたが、スレート調の味がするモーゼルに対し、あるいはワインにあまりフルーツ風味や青臭さや獣臭などの際立った風味がないときには、ミネラルという形容詞を用いる、と語っている(ジェイミー・グード「ワインのミネラルティ」、『ソムリエ・ジャーナル』2012, 未訳)。

 なお、テロワールとミネラリティの関係については、これ以上深入りしないが、両者のコンセプトとは重なり合っていると考える、『真っ当なワイン』(“Authentic Wine”、ジェイミー・グード&サム・ハラップ、2011、未訳)の周到な考究を参考にしてほしい。
 ちなみに、科学者出身のグードと、現役のワインメーカーでMW(マスター・オヴ・ワイン)であるハロップによる共著は、もともと『ナチュラル・ワイン』という仮題のもとに構想された。が、ナチュラル・ワインというややイデオロギー性のある呼称から離れて、より大きな視点でワインのあるべき姿に迫ろうとして、“authentic wine”という、あまり馴染みのないタイトルにした由。炭酸ガスによる地球温暖化や、あるべきワインのマーケティング作法にまで説き及んだ、視野の広い力作である。叙述の仕方は、盾の両面を見るという客観主義と、実際のワイン造りの状況に即して考えるというプラグマティズム(あるいは現場主義)に貫かれていて、観念的な臭みが一切ないところが読みどころでもあれば、優等生的でやや歯がゆい思いに駆られもする。

ミネラリティは大地に由来するのか?
 やっと、本論にはいる準備が整ったようである。だが、ここでは、「ミネラル風味」が、どのような風味をさすのかということについては立ち入らない。現実のミネラルは、ブドウ畑の岩や土壌のなかに化学化合物として存在し、ミネラルイオンや栄養基はその成分にあたる。ブドウ樹は自身の成長のために16種類のミネラルを毎年必要としている。正確にいうと、ブドウ樹は根をつうじて、ミネラルそのものではなく、ミネラル成分をイオンの形で吸収する。吸収されたイオンのごく一部が果実の成分となり、それがマスト(潰した果汁と果肉)のなかで発酵中の酵母の栄養に供される。結果、ワインのなかの無機ミネラルの割合は、計0.2%にすぎない。たとえばワイン中の銅の濃度は1.5マイクログラム/リットルという低さに対して、銅の閾値が3㎎/lだから、2000倍の量と強さがないと感知不能ということになる。

参考:岩の匂いは枯草の香気?
 ミネラリティの例として、よく夏の降雨後の「湿った岩」という比喩が登場する。ベア&トーマスによれば、もともと清潔な岩には匂いがない。岩の匂いに相当する成分はペトリコールpetrichorで、これは乾季に植物が作りだす有機化合物。草が倒れて岩や土壌の上にまとわりつき、その成分が降雨時に枯草から遊離・放出されてぺトリコールとなる。ゆえに、漂う匂いは岩の匂いではありえず、これらの岩の周辺にある枯草の成分であり、これが岩の匂いと誤解され、グー・ド・テロワールに結びつけられたという、おもしろい説明である。
 また、ミネラル風味という官能的な印象(すなわち味わい)と、ミネラル以外の物質(たとえば高い酸)の含有率や、還元現象あるいは硫化化合物やメルカプタンとの関連性もあるだろう。いずれにしても、ミネラリティという表現がもっとも妥当するような味わいが、良いか悪いかは別にして、実際に多々感じとられるが、ミネラルはそういう印象を生み出す原因物質ではありえない。

石を舐めてワインを想う愚
 つまり、端折って結論から先にいえば、岩石やミネラル風味は大地、なかんずく岩石(ロック)からもたらされるのではない。が、洋の東西をとわず、畑の地層構造のなかでも岩石類をもって、ミネラル風味の原因物質であると連想し単純化するワイン評論家やライターが、いまだに多い。はなはだしくは鉱物質を偏愛するあげく、ブドウ畑の石を舐めて、その畑産ワインの味との共通性を称える御仁すらいるらしいが、微笑ましいロマンティシズムとでも呼ぶべきか。
 ともかく、地質学者や科学者はほぼ一様に、ミネラリティ=大地起源説を根本的に否定している。たとえば、最近目についたのが、ロイ・ウィリアムズ氏の一文(“Pondering the question on minerality in wine”, Roy Williams; Wine Press, July 11, 2013)。同氏は、一年前にも同様の趣旨の文章を発表し、ミネラル=ワイン内実在論者の考え方を、「エノバブル」とからかっている。

アレックス・モルトマンの決定的な大論文
 しかし、同趣旨の英語文献が山のようにあるなかで、私がもっとも感じ入ったのが、わがお気に入りの一人、アンドリュー・ジェフォード氏による明快極まる文章である。題して「パーティは終わった」。掲載されたのは、ウェブ版『デキャンター』の名物「ジェフォードの月曜エッセイ」“Jefford on Monday: The Party’s Over” (2013.06.03、お楽しみは終わった、という意味もある)。そこに引用されたのが、アレックス・モルトマン教授の決定的な説である。
 モルトマンは、厳密に科学的な思考を駆使する、元ウェールズ大学の地質学教授であり、博学の士である。沖積土壌を専門的に研究して出版するかたわら、ワインについて40年も読み漁り、30年間もブドウ栽培とワイン造りに精を出す、練達のワイン人でもある。教授はミネラリティに関するワインライターたちの妄言や想像に業を煮やしたあげく、40年間の沈黙を破って2003年以来、非科学的なワイン論を木端微塵に論破する挙に出た。あいにく、クレイマーもジェフォード(『新フランスワイン』)も、誤った思考法の例にあげられているが、ジェフォードはそのような些事にこだわって大事を誤るような小人物ではない。
 ちなみにその名もモルトマンなる教授は、ワインとビール、ウイスキーの造り方を比べて、ビールは使用する水の化学成分と地下水の出所のため、ワインよりもはるかに地質の直接的な影響を被るよし。ちなみにウイスキーは蒸溜などの理由と、蒸溜後に添加される水が脱イオン化されているので、予想とは異なって地質とは縁が薄いとか(ジェイミー・グードの“More on Terroir”による)。
 彼の論文は、JWR(“Journal of Wine Research”)に続々と発表されたが、その35ページにのぼる代表作がインターネットをつうじて無料で読めるから有難い。題して“Role of Vineyard Geology in Wine Typicity”(「ブドウ畑の地質がワインの特徴に果たす役割について」、2008)。いかにも厳密に科学論文の体裁をとっているし、専門用語が飛びだすので、素人の私にはなじみにくかったが、内容があまりに興味深いのと、世界のクオリティワインに対する教授の造詣の深さに驚愕狂喜して、なんとか読み終えることができた。

 要をなす章、“Geological tastes in wine: gouts de terroir”(ワインにおける地質の味わい:いわゆるグー・ド・テロワールについて)では、おおよそ次のようなことが論じられている。
 …地質(土地)の味わいという(ありえない)極論が、ポピュリストたちのあいだで横行しているが、実際に地質を味わえるという説は、以下の諸々の理由からして支持できない

1 「地質の味」実在説は、「ミネラル」という言葉の三つの意味を混同した、想像上の教説に基づくことが多い。岩石や土壌は地質学的な意味でミネラル(無機化合物、たとえば炭酸塩やケイ酸塩など)から成り立っている。が、これらから生じる可溶性のイオン(nutrients;栄養基)もまた、一般にミネラルと呼ばれる。おまけに、ある種のワインを“mineral taste”(ミネラル風味)があると記述するのがファッショナブルになっている。
 けれども、あらゆる岩石や土壌は地質学的な意味でミネラルを含有しているから、特に岩石が多い畑や、深い基部岩石にまでブドウの根が達しているから産するワインに、顕著なミネラル風味があるという俗説には根拠がない。

2 塩化物や稀な複合塩を除けば、大地を形成する物質は文字どおり無味である。からして、ミネラル風味やミネラリティという言葉には、意味がない。あらゆる石灰石のミネラル成分である方解石(白亜を含む)や、ケイ酸塩の岩石形成物は、いずれも無味無臭である。クォーツ風味への言及に至っては噴飯ものであって、むろん無味無臭であるのみならず、クォーツ(二酸化ケイ素)はワインボトルやワイングラスの原料ではないか。

3 岩石が地質学的な起源によって分類され、化学的な特徴よりも、物理的な組成や石理(岩石を構成する鉱物の形・大きさ・配列状態などによって示される諸特徴)に帰されることから生じる誤解。外観がさまざまに異なる岩盤も、化学的には同質であって、潜在的な栄養基もほぼ同質である。

4 火成岩の岩石に富む地域から産するワインには、典型的特徴があり、しばしば“fiery”(ヒリヒリ感)、スパイシィ、“pungent”(刺戟的)な味などと形容されるが、多分に火山灰からの心理的な影響からだろう。「火山性のサントリーニ島産ワインには、大地の猛威が味わえる」というロマンティック記述(ジェフォード)も見かけるが、火成岩の組成はケイ酸塩であって、他の岩石同様やはり無味無臭である。活火山地帯では硫黄や硫化化合物の匂いや風味を感じるにしても、火山地帯であろうがなかろうが、どこの産地のワインもsulfite亜硫酸塩を含むし、下手な造りのワインに硫化水素の臭いがするかもしれないのだ。

5 ブドウ畑の地質を、文字どおりワイングラスのなかで味わえるという考えることは、機構的にいって不可能。岩石という結晶構造の集合固形物を、ワインのなかに取り込み、転送することができるだろうか。おびただしいスレート(粘板岩)土壌のモーゼルの畑から産するワイン、わけてもリースリング酒には「スレートの味わい」があると称されることが多い。スレートは、無機質のケイ酸塩が複層集合をなすため、劈開面にしたがって薄層に割れやすいという性質をもつが、このような劈開面性の複合固形物がワイン中に忍び込むなどと考えるのは愚の骨頂である。たしかにモーゼルワインには特有の風味があるが、不幸にしてそれが抽象的に記述されず、畑の岩石タイプ名でもって表現されるから、地質が風味の特徴の原因であるという誤解を招くのだ。

 以上に加えて、地質学にまつわるテイスティング用語の誤用が、それに輪をかける。たとえば、
“earthy”(土臭い)味といった形容。だが、この実質は、無臭の大地に起因するのではなくて、腐植土や分解中のコンポスト、マッシュルームなどの有機物が発する臭気に由来する。“acidity”酸味は、ワインにも岩石や土壌についても用いられる。ワインの中では固定/遊離酸などの量はpHで測定表現されるが、土壌でもpHが用いられ、岩石では二酸化ケイ素の量で計られるが、この二種はまったく別物。酸性岩は、酸味のあるワインに関与する場合もあれば関与しない場合もあるわけであって、両者の間に直接の因果関係はない。

結論として、畑の地質がワインに固有な特徴を付与するという通説は、批判的に検討すれば誤解に帰されるのだが、誇張された意味づけを与えてしまう。実際には、ブドウ畑の物理的な立地の諸要素が、風向パターンや、斜面の特徴、温度関与物質、表層水や地下水の利用可能性などに影響を与え、それらが結果的にブドウ樹の成育やブドウ果の成熟に影響する。このような物理的な諸要素が、成熟中のブドウ果に含まれる風味の先駆物質(プリカーサー)の発育に影響を与え、間接的で未知のやり方でもって、最終的なワインの特徴を形成するのである。

以上、モルトマン教授の考え方の大筋を紹介させていただいたが、未消化な部分も多々あると思われるので、当エッセイの不備を補うために直接ご参照いただければ幸いである。

【独白】
ああ、約束を果たすために真面目に勉強しすぎて、ちょいと疲れた!
ミネラル風味にあふれるテロワール・ワインでも、飲まなくっちゃ。

▲ページのトップへ

トップ > ライブラリー > 塚原正章の連載コラム vol.75