2013.08.21 塚原正章
またしても引き伸ばしの弁
あまりに暑苦しすぎて、集中力が続かない。前回にお約束した「ワインのミネラル風味」について、調べながら考えをまとめる気力が萎えてしまった。むろん主題に関係する洋書や英文の参考文献類は手元にそろっているのだが、ジョージア出張の疲れも手伝ってか、頭が働くことを拒否しているもようなので(例のなまけ病?)、さらに次回に持込みさせていただきたい。もし、ミネラリティについて手っ取り早く知りたい方は、情報過多の現在、その気になれば誰でも優れた情報源にアクセスできるし、すでにヒントも差し上げてあるから、自習されてはいかが、などと居直ってはいけませんね。
「おまえは嘘つきだ」ですって? なにもまあ、この国の厚顔無恥な為政者のように、意図的にミスリーディングナな虚言を吐きまくっているわけではなく、ひとえに今夏の「太陽のせい」(カミュ『異邦人』)なので、お許しくださいな。いくら「ワインに真実あり」だとしても、ワインからどのようにして、どのような真実を取り出すかが問題なので、これにはちょいと頭を使わなくてはいけません。なのに、肝心の頭脳が休暇申請をしているので、たまには脳をワインから解放したいだけなのです。
「おまえの脳ミソは毎日ワイン浸しだから、使いものにならないのだろう。たまにはワインを飲まずに、脳の活動を正常化させなきゃ」ですって? たしかに連日ワインに明け暮れてはいるけれど、飲む飲まないにかかわらず、日頃ワインのことを考えすぎているだけのこと。だから、たまにはワイン(すなわち仕事)から離れて、のんびりしようという魂胆。それには、本か音楽に逃れるに如くはない。というわけで、読書談義にふけるつもりです。
旅中の友『マヨラナ』
この7月、ジョージアとシャンパーニュを駆け巡る旅のあいまに読みふけっていたのは、ジョアン・マゲイジョ著『マヨラナ 消えた天才物理学者を追う』(塩原道緒・訳、NHK出版、2013)というノンフィクションである。訳書では著者名の表記は「ジョアオ」となっているが、ここでは通常のポルトガル語の発音どおり、ジョアンと呼びたい(ピアニストのマリア・ジョアン・ピレスの名のように)。
個性的な著者マゲイジョは、俊秀をもって鳴る現役の原子物理学者。とくるから、1938年にイタリア(ナポリ~パレルモ間の航路?)で忽然と姿を消した、天才物理学者エットーレ・マヨラナの理論を説明しつつ、失踪の原因を追跡するのに、これ以上の適任者はいまい。知的で活気のある文章も興を添えているので、機内・車中・ホテルなどに肌身離さず持ち歩き、いっきに読み通してしまった。
じつはかなり前のこと、尊敬すべきシチリア人作家レオナルド・シャーシャによる『マヨラナの失踪 消えた天才物理学者の謎』(千種堅・訳、出帆社、1976)を読んでいたので、私にはお馴染みのテーマだった。それに、新著の筆者は私と同じく、シチリア出身のこれまた一筋縄ではいかない作家ピランデッロが大好きときていて、失踪事件をピランデッロの代表作『作者を探す6人の登場人物』になぞらえたりしているのも、うなずける。
本書をもってしても失踪の謎が解けたわけではないにしろ(追求すればするほど真実から遠ざかる、という皮肉なピランデッロの芝居と似ているが)、著者やマヨラナの家族が指摘するとおり、計画的に俗界から姿を隠したいというエットーレ本人の意向だけは確かであり、その意味でマヨラナの意図は達成された、と諦めるしかない。それにしても、猛暑の国からひととき失踪したいなあ。
エリオット・ポール『最後に見たパリ』
吉田健一さんがこよなく愛したことで知られる作家が、エリオット・ポールだった。マーティン・デイヴィースによる短い評伝によれば、米国出身のエリオット・ポール(1891~1958)は、ジャーナリスト・ピアニスト・映画の脚色家など、多彩な生活を経験した人物。1927年から共同編集人として実験的な文学雑誌「トランジション」(印刷は、かのシェイクスピア&カンパニー)を創刊し、ジェイムズ・ジョイスやガートルード・スタインらに発表の場を与えて、現代文学に貢献したことでもって知られる。たまたま、ジョージアからシャンパーニュに移動する際、長らく探しあぐねていたこの「トランジション」誌を一冊(第12号、1928年3月刊)だけ、パリにある馴染みの英米文学専門の古書店で入手できたのが、個人的には今回の最大の収穫だった。
エリオット・ポールの著作は、ノン・フイションと推理小説をふくめて三十冊。30年以上前から吉田健一さんのエッセイに触発されてポールの作品を集めていたので、うち十数冊が雑然たるわが書庫――海側にあるご本尊の金沢文庫(吉田兼好の原稿収蔵で有名)に対して、不遜にも「朝比奈の金沢文庫」(吉田健一の著作や訳書を多くふくむ)と称する――に眠っている。とはいえ、これらを読み通すには健一流の語学力と、俗世間から超然としていられる余裕がなくては難しい。
エリオット・ポールの既訳は、すこし前までは世界推理小説全集59『ルーブルの怪事件』(林髞・訳、東京創元社、1959)一冊しかなく、これは現在でも稀覯本としてもミステリー・ファンが血眼になって探している。この訳書『ルーブルの怪事件』は、たしか『ルーブル博物館のごたごた』として同シリーズから吉田さんの翻訳が予告されていたものだが、いつのまにか大脳生理学者であった作家・林さんの訳となって姿をあらわしたものだが、そんなことはどうでもよい。だが、ついでに付け加えると、エリオット・ポールの推理小説としては処女作にあたる『不思議なミッキー・フィン』(今本渉・訳、河出書房新社、2008、原作1938)も翻訳されているから、吉田健一とエリオット・ポール両人のファンには見逃せない。
さて、吉田健一さんが最愛したポール作品『最後に見たパリ』“The last time I saw Paris”(吉田暁子・訳、河出書房新社、2013)) は、両大戦間の1920年代後半を中心として、政治的にはナチスの勃興期からパリ侵入直後期までを時代背景とする。
場所は限定されたパリの下町「ユシェット通り」(Rue de la Huchetteだから、正確にはドゥ・ラ・ユシェット街と呼ぶべきか。小劇場のユシェット座がある)の、じつに多種多様で個性的な住民たちの人間模様と人情の機微を生き生きと描いた、実録的な作品である。語り手(エリオットと呼ばれる、作者とおぼしき人物)がたまたま住みついたのが、ユシェット通りにある小さくて汚らしい宿「オテル・デュ・カヴォー」。わたしもまた40年ちかく前、そこから遠くない短い街路「デュピトラン通り」にあった、狭苦しくて不便な安宿「オテル・デュピトラン」によく泊ったことがあるので、その近辺がなつかしい。いずれも魅力的で、実名でもって登場する人物のなかで、もっと実像と違うのが、たぶんエリオットその人(実際には、本書は当時の三番目の妻フローラにささげられているが、フローラは作中に登場しない)と、悲しい最期を遂げることになっている魅力的な才媛女優「イアサント」である。(その点で、ナチス時代のベルリン生活を描いた、クリストファー・イシャウッドの名作『ベルリンよ、さらば』[中野好夫訳、角川文庫・絶版]のなかの著者らしい人物イシャウッドを思い出させる)。
原題は訳者も断っているとおり、「最後にパリを見たとき」という意味で、オスカー・ハマーシュタインⅡ作詞による名曲(ジェローム・カーン作曲)の名に由来する。私の持っている原書(2冊とも1945年以前に粗悪な紙に印刷されたペーパーバック。うち一冊は、GIのために軍から無料で配られた携帯用の横判)には、その歌詞が全文載せられているが、今回の訳書からは省かれているのが、ちょっと残念。
本書では、いずれも個性的な庶民たちの人間模様が、ナチス勃興時代の混迷したフランス政局という時代背景の中で、さらりと描かれているだけに、急いで読み通せるような性格の作品ではないから、各人物のスケッチや行間に漂う情緒をゆっくり味読すべきだろう。また作中に、やや高級な文学や映画、音楽の長談義が交えられているのが、吉田健一のエッセイもどきの小説を思い出させてくれる。
ちなみに訳書等には記されていないが、訳者の吉田暁子さんは健一さんのご息女で翻訳家。河出書房新社刊・道の手帳シリーズ『「吉田健一 生誕100年 最後の文士」冒頭で、「父との時間」と題して健一さんの想い出を語っておられる。翻訳は緻密をきわめた労作であるが、本書の暁子訳の文体と、父・健一さんの文体との違いは、ひとくちにいえば流麗さの有無だろうか。この親娘の翻訳文体の違いは、中野好夫・好之の父子(二人とも名訳家である)の文体の差にちかい。たとえば、ギボン『ローマ帝国衰亡史』における父子による担当分の訳文を比べてみれば、父君が流麗にして簡潔を旨とし、ときに原文を自家薬篭中の個性的な名文に仕立ててあるのに対して、ご子息の文体は格調高く厳密にしてやや厳格な訳文なのである。
見逃せないジョージアの画家・グディアシビリの版画集
ジョージアからフランス経由で帰国したあと、ようやく寸暇を得て、神田の古書街をうろつくことができた。お目当ては、ジョージア文献の発掘であるが、そう簡単にいくわけもない。自宅の「朝比奈・金沢文庫」には、800年前の叙事詩、ショタ・ルスタヴェリ作『虎皮の騎士』の翻訳(理論社・刊)があるので、絵画作品集か写真集を物色したところ、すばらしい版画集に出会った。『わたしのラド グディアシビリ版画集』(同じく理論社・刊、1972、限定1500部)で、力のこもった解説と構成は同社の社主・小宮山良平による。
画家ラド・グリアシュビリ(1896~1980)は、トビリシ出身の反骨の画家で、パリの修業時代にはモディリアーニやピカソ、レオナール・フジタと厚誼を結んだとか。権力と権威に屈することを拒み、ファシストやコミュニストを含むあらゆる権力の醜悪な姿を、嘲笑とユーモアすら交えながら遠慮会釈なく描いて、「ジョージアのゴヤ」と称えられたとか。
版画集を飾る一枚一枚の作品には、たんなる描写技術を超えた、画家の個性と思慮がすみずみにまで込められている。
小宮山さんの出身地の上田に氏が設けた「編集者の博物館」editor’s musiumには、グディアシュビリのオリジナル作品が掲げられている。小宮山さんは惜しくも昨2012年に95歳で世を去ったが、こよなくジョージアとジョージア人を愛し、10数回も同国を訪れたとか。
ちかごろ、ジョージアのさる産品を日本人ではじめて発見したとか、はては、生産者を誰それに紹介したとか、(事実に半ば以上反することを)大々的に宣伝している人たちがいる。が、たとえばクヴェヴリ製ワインは島津奈津子さんが10年以上前に現地で味わい、すぐれた見聞記を雑誌に発表されている。いうまでもなくグディアシュビリの絵には、そのクヴェヴリがさりげなく、ときにユーモラスに描かれている。およそ先駆者はいるものであって、ただ、先に努力した無名の人の名を知らないだけのことが多い。
とかく先陣争いは滑稽で醜くて、無用の技でさえある。卓越した作家や知性人は、自分が遅く生まれすぎたと嘆くのを常とするのはなぜか、考えてみればよい。常に、そしてどこにも優れた先人がいるのである。北アメリカを発見したのはコロンブスではなくて、外来人としてはスカンジナビア人の方がはるかに先に到達していたことは、周知のとおり。「発見者」と称する一群の欧米人は、火器をはじめとする武力と、宗教の力を借りながら侵略と支配を正当化し、談合してアメリカ大陸を植民地にした。
肝心なことは、あらゆる対象を深く愛し、理解することであって、自分が最初で最大の理解者であると喧伝することではないと知るべきである。
慶事:奇書『コルヴォーを探して』、ついに翻訳される
A.J.A.シモンズの『コルヴォーを探して』が、ついに翻訳された(河村錠一郎・訳、早川書房)。訳者は、つとに評伝『コルヴォー男爵――知られざる世紀末』(小沢書店、1987)を著した多才な英文学者で、コルヴォーの『ヴェネチア書簡』(白水社)の訳者でもある。著者のシモンズは、古書愛好家にして大変なワイン通としても名高い人物で、私も彼のワイン事績をたどって小文にしたことがある、まぎれもない奇人。その偏執狂的な知性人シモンズが、世紀末イギリス文学界でも比類なき奇人コルヴォー男爵(自称。本名はフレデリック・ロルフ、1860~1913)の作品に出会って愕然とし、たんねんに作家の知人や関係者に接触し、ついに自筆の書簡類を入手して人物像を明らかにしていく経過そのものをまとめたものであるから、本書は世の伝記や評伝のスタイルとはまったく異なる。
毎日新聞の「今週の本棚」で、わが尊敬する富山太佳夫さんによる書評のタイトルは、「◇丸谷才一の愛した゛詐称と異形の英作家″を追う」。丸谷才一さんもまたコルヴォーがお気に入りの作家であったらしいが、いかにもゴシップ好きな丸谷さんらしくて、思わず笑ってしまった。明晰に考えたプロセスを文章にすればエッセイや哲学書になり、個性あふれる人物の跡を仔細にたどる過程もまた伝記になりえることを証明している。これまた原書は早くから手に入れていたが、なかなか読みにくいので諦めかけていたので、すぐさま読了にこぎつけたが、近年入手した分厚い英文のコルヴォー伝(ミリアム・マンコヴィッツ著『フレデリック・ロルフ:バロン・コルヴォー』1977、未訳)をまえにして、はたまた前途を案じている次第である。