口元と栓

2013.03.26    塚原正章

【口上】
 おかしな世界や制度、固定観念や幻想が、内外のいたるところにまかりとおっている。けれども、現状の追認と権力への追随は愚かしい。堅固をほこる体制やシステムも、いずれは無力化して自壊し、状況は流動化するはず。だから、なにごとも諦めず、すこしでも現状を合理的に変えていきたいと思っている。

 ところで、ワイン。飲み手の立場に立って、なんとかワインを美味しくしよう、という私の無謀な試みには、どうやら際限がないらしい。ひとつの問題を解決してホッとしていると、いつのまにか別の問題が姿を現す、といった具合。はた目には無意味な試行錯誤は、まだ終わりそうにないけれど、またしてもお付き合いをお願いするしだい。

Ⅰ.口元について
 まず、口ではなく、口元から行こう。といっても、人の口の話ではない。よりによって口と唇が、ワインの味わいに悪さをすることについてはすでに触れたし、ワインの味を害する他の要因については、このエッセイでしつこく書き連ねてきた。が、なぜか大事なことを忘れていた。ビン口の周りに付着している汚れである。こやつ、相当な曲者であって、ふつう外見からだけでは汚れの存在と程度は見分けにくいし、ましてどのくらい悪影響を及ぼすのか、事前に推し量ることはむずかしい。

 けれども、もし、ワインにたいしてネガティヴな作用をする物質がビン口に付着していれば、ビンの縁を通過した瞬間にワインは確実に汚染されるだけでなく、繰り返しワインを注げば縁の汚れが広がるせいもあって、味わいはいよいよ劣化して当然。だから、同じワインなのに普段とは違う異な風味を感じたばあい、もしブショネ・タイプの根本的な異臭でないと見当がついたら、まず疑うべきは、グラスによる汚染(要するに汚れたグラス)のせいでないとしたら、ビン口からの汚染である。

 グラスとビン口のどちらが原因かを探ることは、簡単である。まず、別の清潔なグラスを用意しよう。問題のグラスに入った同じワインを、そのまま新しいグラスに移し替えてみる。味がよくなったとしたら、それはもとのグラスに汚れがついていたせいと知れる。清潔なグラスに移し替えて風味が改善しなければ、次の手は、清潔な布(トーション)やティッシュ・ペッパーなどで、ビン口をそっと拭ってから、清潔なグラスに注ぎかえること。その際、ビン口一帯を覆っている、アルミニウムなどの金属やプラスティック・フォイル、あるいは蝋封などは、面倒でもすべて外すこと。清拭作業が徹底しやすいだけでなく、ワイン自体の風味も向上する。もし、頑固な汚れがこびりついているときは、布や紙片に水を少し含ませてから拭えばよいだけ。どちらのやり方も功を奏さなかったら、あらためて別の原因を探しだすしかない。

 その際にもっとも疑われるのは、酒質不良である。とかく大量生産型のワインは、品質を均一安定化し、大衆受けする風味をつけるために、さまざまな物質や薬品を添加され、あるいは(加熱・冷却・圧力型濾過その他の)物理処理を施されがちである。しかし、このような人為的な処理をミニマムないしゼロにした、良心的なワインやヴァン・ナチュレール(いわゆる自然派ワイン)は、生き物や生鮮食品も同然であるから、風味に個体差(このばあいにはビン差)が付き物あるいは宿命なのである。ただし、どこまでが通常(許容)範囲内の「バラツキ」であるかを見極めることは、プロといえども簡単ではない。ともかく、良心的な造り手にとって避けがたい酒質不良については、見つけても鬼の首でも取ったようにあげつらうのではなく、生きている液体の感受性がもたらしたものだ、と生類憐みの気持ちで接してほしいものである。

 さて、本題に返れば、格式のあるレストランでは、抜栓したボトルの口の周りを清潔なトーションなどできれいに拭ってから、おもむろに客にサーヴィスを開始するから、ビン口汚染の心配はまず無用だろう。けれども、気取らない街場のビストロやワインバーでは、ていねいにボトルの口元を清拭しないで、いきなりワインをグラスに注ぎはじめるのがつね。だが、心配はご無用。机上に置かれたボトルのビン口を、自分でそっと拭うだけでよい。店がしてくれないのなら、ビン口汚染の駆除は客がひと仕事するしかない。

Ⅱ.栓(クロージャー)について
 良質なコルクが、ワインと人間のどちらにも好都合な効果を与えることについては、前回くわしく説明した。けれども、他の材質の栓がどのような作用をするかについては、全く触れなかった。ともかく、コルク樫の樹皮から作ったコルク栓が、あまりにも素晴らしい働きをするから、ほかの代替品について触れる気がしなかったのである。とはいえ、それは、コルクが良品であって、極微量でも致命的な影響を及ぼす2‐4‐6 TCAとTaCAに汚染されていないかぎりの話である。思うに、両物質による汚染率が伝えられる以上に広範にみられるからには、いかにポルトガルの自然林保護に理解のあるワイン業界といえども、他の代替品の利用を検討する動きは、理の当然である。

 だが、これまた私見によれば、汚染されたコルクを無害化するのはきわめて困難であって、現にコルク片の集成材を用いた栓によるTCA汚染について、ピーター・リーエムもそのブログのなかで写真入りで報じたくらい。だから、集成コルクは論外とすると、プラスティック栓、金属(王冠)栓とガラス栓が残るが、これらは汚染源にはなりにくいとしても、ワインに対してポジティヴな効果を生むわけではない。いかにもガラス栓は、ビンと同じ材質だから、ワインに悪さをするとは思いにくい。また、密着性と見栄えが良いのは取り柄とはいえ、栓の材質がクリスタル製のうえ、液漏れを防ぐためのパッキンに使われているプラスティック製のリングが悪さをすることは、どうやら否定しがたい。

 各種の代用栓のなかには、ワインの寿命を延ばすものもあるとされる。たしかに延命効果は悪いことではないにしても、生きていれさえすればよいものでもあるまい。逆にいえば、ワインのビン内熟成を促進しないといえなくもないのだ。

 それでは、これらのコルク代替栓を用いたボトルのワインは、救いようがないのだろうか。そんなことはない。私の最近おこなった実験(遊び?)によれば、元の代用栓を抜いた後、健全なコルク(もちろん、使用済みのものでよい)をしばらくの間ビンの口に挿しておけば、ワインの味が向上するのだ。嘘だと思ったら、ご自分で試みてごらんなさい。

 かくして、不自然な代替栓のしがらみから逃れて、多少とも天然コルクの恩恵に浴することのできたワインは、おずおずと復活しはじめ、健気にも自己主張をしはじめる。恐るべきは、天然コルクの力量である。あらためて、天然コルクに讃辞を呈したい気持ちでいっぱいになる。

 ともかく、ここでもまた、ワインを美味しく飲むためには、自分で工夫するしかないのだ。

【結論】
 自然なワインには、とくに敵が多いから、心して外敵から守ってあげること。ビン口の汚れなど、拭けばとれるはずだから、恐れるに足らない。問題なのは、ビン口やグラスの汚れに無神経な人間のほうである。天然コルク以外の栓(クロージャー)で封をされ、いわば失神させられていたワインには、ビン口にコルクを挿してわずかのあいだ養生してあげよう。気脈があれば、復活をとげるであろう。本物のワインは、生きているのである 。

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