コルクのマジック

2013.02.26    塚原正章

要旨~忙しい読者のために~
 ワインは、ニュートラルな存在ではない。その誕生から消費までのあらゆる過程で、ワインはさまざまなものにかかわり続け、したがって変わり続ける。が、本質的にデリケートな生きものであるワインにとって、守護聖人があるとすれば、それは木の外にない(ワインの味方側には石とガラスが加わり、敵側に金属と合成化学物質が陣取っている)。木のなかでも、コルク樫の樹皮から作られるコルク栓は、ワインの強力な味方にもなれば、ブショネの原因物質をやどす残忍無比な敵にもなる。けれども、コルクの大いなる可能性について知る人は少ない。プルーストがコルク板を室内の床に敷き詰めたのは、単なる神経症のせいではあるまい。コルク栓の意外な作用に注目し、コルクの力を活かそうではないか。コルク栓は、ワイン本来の美味(が、あるとしての話)を引き出すために、もっとも手軽で効果的な補助線であり、工夫しだいで触媒のような役割を果たすことができるのだから。

仕事なのか、楽しみなのか
 ラシーヌでは、合田とともにワインの商品開発を担当しているだけでなく、品質管理の仕事もしている。だが、あまりに責任感が過剰なせいか(?)、扱い商品の品質と状態をチェックすると称しては、毎日のように試飲を重ねている―むろん自費でもって。目的は、ワイン本来の持ち味を再現し、あるいはいっそう向上させる可能性と方法を探ること。はたして、そんなことが可能であるか、と眉に唾をつける読者もいるだろう。そのような頭の固い方は、むろん続きを読むまでもないし、最初から拙文になど目もくれないだろうから、こちらが心配するまでもあるまい。

 さてと、本題に返るとして、そのように殊勝な志のもと、私はあらゆる思いつきや実験を試み、その結果による味わいの変化の有無と程度を測っている。が、念のためにいえば、測定するためには、当然ながら日頃からワインに対する味覚と嗅覚の感度を高め、良質なワインにたいする判断基準を養っておかなくてはならない。

 そのためには、およそ食品一般(の偽装)に対して真剣に注意を払い、人体に有害な可能性のある薬物や添加物はいっさい排したい。こと水と食材一般については、徹底的に放射性物質や化学調味料・化学合成品などの侵入を防ぎ、本物の純良な自然食品だけを選びぬき、調理は薄味を基本として、昔日の人類がもっていた嗅覚と味覚を取戻し、鋭い判断基準を培いたいものである。大げさにいえば、3.11以後のこの国で、健全な食生活と美味を堪能するためには、知的な判断力と大胆な実践力が必要条件となるだろう(そこで、本物で美味をそなえた自然派ワインの出番となるが、私説ではこれまた希少なのが悩みのタネである)。

 そこで観点をかえれば、健全純良で美味なワインを飲み味わうことは、(ワイン人にとっては)目的でもあれば、(ワインの判断力を養うための)手段でもあるから、ちとややこしく、議論は堂々巡りしかねない。ともかく、微妙な味わいの変化を探知できるような、健全な味覚を養成することが、先決であることは確かだ。

 いずれにしても、ワインの美味を取り戻すためのわが試行過程には、発見が尽きないところが面白く、ますます実験の深みにはまっている昨今である。

本当の味を知るために―阻害要因を探ろう
 さて、このような試行錯誤をするにつれて、ワインの本当の味とは、どのようなものなのか、疑問が深まってくる。はては、「だれが、そのワインの味わいを知っているのか?」とか、さらには、「生産者自身ですら、ときに自作ワインを正確には認識しておらず、過大評価や過小評価しているのではないか」としか思えないことすらある。だって、味わう際の環境設定と試飲方法によって、同じワインの味わいの差が、あまりに大きいのだから。たとえば、わけても感受性が高くてデリケートな自然派ワインの場合、グラスの衛生状態ひとつで、ワインの味わいが激変してしまうくらいなのだ。

 あるとき、工事中の優良ワイナリーを訪ねたら、味わいのレヴェルがいつもより著しく下がっていたのに、驚いた。けれども、すぐに元凶の目星がついた。工事に用いられた新素材が原因でないと見当がついたからには、吹付用のモーターが悪さをしているのに違いない。そこで試飲時にモーターを止めてもらったら、いきなり普段の味わいに戻った。これには、生産者自身が驚いた。おまけに、後述する簡単なやり方で、試飲ルームの環境設定を変えたら、ますますその生産者のワインの味わいが奥深くなったのだ。帰りがけに、「それに使ったギミックがほしい」と、ねだられてしまった。タネも仕掛けもないのに。

 

知見は広がる、どこまでも
 このように、日頃のささやかな実験から得られた知見と、実用の域に達していると思われる対策や用法については、一部は社内で公表したり、友人・知人にアドヴァイスをするだけでなく、必要なばあいには海外の生産者にも知らせたりしている。鋭敏な感性とテイスティング能力に恵まれた生産者のばあい、ミニマムな説明と簡単な実験だけでその効果を感得して仰天し、進んでカプセルやラベルの材質と形状を変更してくれることがあるのは、まさしくインポーター冥利につきる。もっとも、ときにマジシャン扱いされるのは、困るけれども。

  たとえば、「手の効用と、利き手の活かし方」にかんするわが知見や、ラベル(エチケット)についての考え方は、うれしいことにすでに一部の方々やワインバーのあいだで認知され、実践されている。旧知のワイン雑誌編集者によれば、『ヌーディスト宣言』の要旨は、イギリスのさるワインライターにも伝わっているとか。もっとも、悪名かもしれないな。

 ともかく、以下に述べることがらはオリジナルであり、この数年間にわたって私自身が実地におこなった、無数の遊びと実験の結果だけに基づいており、いかなる他人の説をたどったこともない。だが、これまでも、私のささやかなファインディングスについて、その考え方と内容をあまりに単純化したり、はては卑小に歪めて伝えているようなふしがあった。そこで、あえて誤解をおそれずに、わが実験結果の一部を要約し、考え方の基本をお伝えしたいと思って、あえて筆をとってみた。

 

ワインの一生――万物は流転する
 ワインの生産から流通、消費にいたる全体を眺めわたすと、ワインの世界は資本主義社会におけるあらゆるコモディティのように、ひとつの循環系とみなすことができる。けれども、ワインにかかわるシステムは、他の世界から独立して自己完結するような、いわゆる「閉じた世界」(クローズド・サーキット)ではない。

 ブドウ栽培はもともと土地と気候という自然環境に大きく左右され、ワイン造りも人為的にコントロールできるものではなく(というよりむしろ、人為的なコントロールをできるだけ排すべきであり)、流通と販売は個別文化のシステムしだいだが、移動・保管もまた外界からの影響を完全にシャットアウトできない。消費、すなわち最終的な飲用にいたっては、ワインはビンという安全な収納環境から解放されて、別種の物理・化学・心理的な飲用環境におかれ、結果的に飲み手の楽しみを豊かにもすれば、期待を損ないもする。こういう具合に、ワインは本質的に環境の影響をこうむるという意味で、環境の産物なのである。

 この過程を、もっとワインに即してながめよう。サイクルの前半あるいは上流にあるワイン造りについて、かつて浅井昭吾さんは、他の酒類生産とちがってワインは「農業と工業の接点にある」という巧みな表現をした(『比較ワイン文化考』;中公新書)。つまり農業加工品のなかでもワインは、自然の名残を多くとどめる「生きもの」であるといえる。次のステップとなる、サイクルの中央部(流通と販売)において、容器に閉じ込められていたワインは、移動・保管する間に気温・湿度・日光・振動などの物理的な負の影響(いわゆる劣化)から、逃れられない。その意味では、極度に環境依存的である。

 最終ステップの消費段階では、ワインは物質としては物理的な影響やショックを一段とつよく受ける。まず抜栓によって、コルクという扉つきのボトル牢獄に長らく収容されていた「生ける液体」は、いきなり外界に引きずり出される。文明人は通常、あらゆる液体をいきなり口や手ですくい取るわけではないから、ワインはこれまでとは違和感がある、グラスという名のオープン容器に移され、変な回転振動(スワーリングとかいう)を加えられたりしながら、唇と舌のまわりを経由して人体という生温いチューブの中に吸収・分解されて変身をとげ、主成分である水の大部分は体外に排泄され、ようやく外界に戻る。

 その間、人間というチューブ構造体にそなわる感覚器官は、プラス・マイナスの心理的な影響をも無意識に、しかし最大限に受けつつ、「これが、このワイン(の味)だ」と自分を納得させながら、飲みこんでいる(参照『チュビスム宣言』parco出版)。

 

ワインの特徴
上記のような一生をたどるワインに、特徴があるとすれば、少なくとも優れたワインの特徴と望ましい環境として、次のような点が事実または仮説として挙げられる。

  • (1)ワインは生きものである。加工度の低いワインほど、生きものにちかい。ことに、ビオロジックやビオディナミー農法で栽培され、近代的な醸造機器や工程を経ず、培養酵母やSO2などの添加物が極少な「自然派ワイン」は、加工食品というよりは生鮮食品にちかい農産物である。
  • (2)ワインは、生きものに近いほどデリケートな存在となり、「フラジャイル」である(輸送・保管・飲用などの扱い方に、厳密な注意を要する)
  • (3)ワインはニュートラルな存在とはほど遠く、さまざまなものから影響を受けやすい。ために、その誕生から消費までのあらゆる過程で、ワインはさまざまなものにかかわり続け、変わり続ける。
  • (4)ワインの味方は、第一に木である。木製品は、注意深く用いられれば、栽培・醸造の段階から、保管、はては飲用の環境と状況にいたるまで、あらゆるプロセスにおいて、ワインの味わいにプラスの作用をもたらす可能性 がある(拙稿「ワイン原論―ある統一理論の試み―」参照)
  • (5)ブドウ果から造られるワインにとって「母」はブドウ樹であり、その深く張る根が地中で果たす役割は限りなく大きい。テロワールは、単なる土壌でないとすれば、ブドウにとって自然環境の可能性にすぎず、ブドウ/ワインの栽培醸造家はテロワールをワインの形に実現させるために不可欠な、触媒のような存在である。
  • (6)ブドウ樹にとって、添わせる支柱の材質が根と樹木に与える悪影響は大きく、木製(栗)が好ましく、コンクリート製支柱や金属製支柱(鉄棒)はおぞましい。一般に、金属成分と金属製の容器や食器は、衛生的でコントロールが容易であるとしても、ワインの風味に対してネガティヴな影響を与える。
  • (7)ワインの味わいは、味わう人の身体状況によって変わり、身体状況は身に着けている衣服や装飾品(ことに金属アクセサリーの装着など)によっても、室内環境(電磁波や磁界の状況など)によっても、大きく変わる。

 

私説:コルクの特徴
 いうまでもなく、コルクは(2-4‐6TCAやTaCAフリーの)健全なものでなければならない。しかし、完無欠なコルクの割合は驚くほど低いのが実情。かつて記したことだが、私はブショネ臭過敏症なので、レストランなどで離れた他のお客さんの卓上にあるグラスやボトルから、ブショネ臭を感知して、気分が悪くなることがある。抜栓していないボトルを見ただけで、ブショネ臭を察知することすらある。というわけで、私はラシーヌ社内で心ならずも、ブショネの判定役を仰せつかっている。そこで、オフィスやワインバー/レストラン、あるいは海外の生産者のもとで、毎日コルクチェックに携わっている経験からすると、厳密にいえば平均的なコルク欠陥率が5%程度だとはまったく信じられない。

 ちなみに、イタリアのとある生産者のところで、彼が提供された各地のさまざまなコルクブローカーからのサンプル(約20アイテム)を幅ひろく実見してみて、あまりのひどさに絶句したことがある。特定のサンプル群(20本単位)にいたっては、全滅、つまりブショネ可能性100%であったが、幸いその生産者は当該サンプルを使わなかったと、言明していた。

 シャンパーニュでも、事情は変わらない。最終的にマッシュルーム型に成形される、大型の三層構造をした高価なコルクは、三層ぶんだけ余計にブショネ発生確率が高いことが、論理的にも現実的にも、証明される。

 だが、ブショネの元凶である2-4‐6TCAやTaCAが、ワイン(とワイン・ビジネス)にとって悪魔のごとき存在だとすれば、ブショネ・フリーのコルク栓は、ワインにとって守りの天使のごとき存在である。

結論
 そこで、理想的、つまり健全なコルクに話を限定する。健全なコルクは、ワインを注入したビンに密栓したとき、単に密閉機能と熟成促進効果があるだけではない。私の実験からすると、コルクにはワインの風味へのポジティヴな作用が認められる。たとえば、プラスティック・コルクや王冠コルクを抜栓したあと、それらの口元にただコルクを挿しただけで、味わいが向上することがあるのだ。とすれば、どうしたらよいかは、一目瞭然ではないか。

 コルクは、ワインの味わいに影響するだけでなく、ワインの保存環境と飲用環境に対して、ポジティヴな影響がある。その原因は、科学的には解明されていないようだが、なぜかコルクには、ワインと人体に対して、ともに効果的な作用をするらしい。少なくとも、私自身と、国内外の友人・知人の間では、その効果があまねく確認されているし、まるで 自分が発見したかのように、その効果を吹聴している人すらいるらしいのだ。しかしまあ、そのようなエピゴーネンの話は、どうでもよい。

 実用的な観点からして、コルクをどこにおけばいいのか、ヒントをお知らせしよう。
原理は、《電磁波と金属製品からの影響をシャットアウトするために、コルクでサンクチュアリーを作る》ことである。
その際、コルクを立てるか、横にするかは、自分で試みて判断すること。

《実践的なコルク栓の活用指針》
a.部屋の四隅に置く(マクロ環境を整える効果)
b.机の足元に置く(特に金属製の脚のばあい。中環境を整える)
c.机の上(隅または両端に置く。ミクロ環境を設定する)
d.机上の金属製食器とワイングラスの境目など、要所に。
e. 卓上にある抜栓されたボトルに、栓をする(電磁波対策)

 

 あとは、応用問題。その場で、設置ポイントを変えながら、いちいち味覚効果を確かめつつ、最適な場所を選べばよい。

 いずれにせよ、 コルクは用い方によっては、人体とワインの双方にとっての環境をポジティヴに整えることができるから、ダブル効果があると心得ること。

 小さな円筒型をしたコルクの木片には、極小の空気室ともいうべき細胞質が極度に密集しており、各セルがまるでディズニー映画『白雪姫』に登場する小人のように働きまくっているとしか、思えない。ともかく、コルクには感謝の念あるのみである。

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