ワインの味わいとコンディション

2012.11.26    塚原正章

わたしは、どこまで行けるのかを知る手段を一つしか知りません。それは、出発して歩くことです。
                             アンリ・ベルクソン『精神のエネルギー』

前口上
 「ワインコンディションを考え直そう 1」と題する、田中克幸さんから受けたインタヴューの記事が、Wi-not?誌に載った(vol 3, 2013年1月号, p.61)。けれども、自説のなかでとりわけ抽象的な核の部分だけが、わずか1ページ足らずの紙面で「田中流」に紹介されているので、読者にはさぞかし判りにくいことだろう。と、同情するだけでは申し訳ないから、予定(「文学とワインと―丸谷才一・頌」後編)を変えて、コンディション論にする。が、長文で込み入っているので、あらかじめ議論の筋を明かしておこう。

 ワインはあらゆる品物のなかでも、とびきり要求度が高くてディマンディングな(手がかかる)存在である。フラジャイル(きゃしゃ)なこと、あたかも生き物のごとしだから、扱い方に特別な配慮を要する。のみならず、「官能的な存在」でもあるから、接する方も感覚の集中と解放がふたつながら必要。くだけていえば、ワインを生かすも殺すも人しだい。ワインは生けるがごとく敏感に反応するから、扱う側と飲み手の接し方に応じて、その見え方と味わい(官能の解放度)が違ってくる。ともかく、《ワインの味わいがどのように構成され、どのように感じとられるか》という大問題を、ワインと人間との関係において動学的に論じるのは、認識論と存在論もからむから、厄介この上ない。
 そこで大仰ながら、序説と本論という二段構えをとる。序説は、考え方の原点について。まず発想法を点検してワインを見る視点を定めてから(その1)、ワインのフラジャイルな特性からくる、コンディションの重要性を確認する(その2)。本論では、ワインの味わいとコンディションとのかかわり方を模式化し、人がコンディションをいかに変化させれば味わいが向上するかを模索する。

序説
その1. 足し算・引き算・掛け算、あるいは発想の諸形式について

 ――この世では、1+1+1は、1にも、3にも、5にもなること――

A. 減点法と加算法
 見方や世界観は人さまざまなはずなのに、意外にステレオタイプ化されていることが多い。ものごとを見たり考えたりする方式を「発想」way of thinkingと呼べば、典型的な発想パターンとして、減点法と加算法があげられる。どちらにも特徴と利点があり、いずれもスポーツの採点方式になっているのがおかしい。
 減点法の出発点は(100点)満点で、ここからネガティヴ・ポイント(失点)を引くから、明快ではある。対するに加算法では、出発点は0点。これにフェイズごと(たとえばワインなら、色・香・味・後味・その他総合など)に得られたポジティヴ・ポイント(成果点)を、いちいち足していく方式で、食品の官能検査やワインの評価でも用いられる。さて、これらが発想の方式となると、どうなるか。
 発想としての減点法は、完璧な状態や出来栄えからの落差でものごとを見るから、理想主義や完全主義のにおいがする。が、発想としての加算法は人間くさくて、人生肯定派や楽観主義の傾向がある。いってみれば、減点法型は機械や人工的な世界向きで、加算法型は人間世界向きかもしれない。

B.乗算法による発想
 一見すると減点式と加算式の発想は正反対のように見えるが、じつはどちらの思考法も同次元であることは、次の2式が例証している。
 a) 加算法:1+1+1=3, b) 減算法:3-1-1-1=0
ここで、a式の左辺を右辺に移項すれば、b式になる。Q.E.D.(証明終り)
 だが、世の中には、厳密な加算減算とは違う、いい加減(?)なc) 1+1+1=5になる世界があるから面白い。要素の組み合わせ方しだいで、思わぬ作用(±の効果)が生まれることがあるのだ。
 たとえば、ステレオ装置の3要素は、プレイヤー・アンプ・スピーカー。これら3要素を具体的に組み合わせるとき、メーカーや機材しだいでもって、音質がぐんと向上しもすれば、逆に歪みが出ることもある。これはステレオの世界の常識である(麻倉怜士『オーディオの作法』、ソフトバンク新書。名著!)。
 これは、掛け算式の見方と世界の、ほんの一例。化学の実験では、ある種の試薬や溶液は混ぜても化学変化をおこさない(足し算の世界)。が、試料(の組み合わせ)によっては、触媒の存在や高温高圧など特定条件のもとで化学反応が起こり、いわば量から質への変化(新たに異質な化合物)が生成される。乗算型は、いわば、反応や相乗効果のある世界と考えればよい。
 もうひとつの、身近な乗算型の発想が、例の品定めである。容顔(「平家物語」の言葉だとか)を評価するとして、顔立ちの要素が目・鼻・口・眉からなり、各要素の評点が得られるとしよう。それらを単に加算するか、それとも総合的(あるいはゲシュタルト的)な印象として要素点の「かけ合わせ法」をとるかでもって、総合点(最終的な印象評価)は違ってくるが、これは冗談。
 固定して平安な和の世界には加算法が当てはまり、各要素が平和共存し、それらが並列した影響を与えて、総合評価になるのかもしれない。が、不安定で流動的、あるいは感覚が支配する世界では、各要素が混然一体となって複雑に影響・反応しあうとすれば、乗法的な観点と行動の仕方が実情に即しているかもしれない。
 ここは、環境=世界の安定度と、評価対象の質、それに評価の目的によって、ふさわしい評価法を選べばよい。肝心なことは、どちらの方式がより対象に迫ることができ、論理性を失わずに、実感的な印象にちかい評点が得られるか。さて、ここまでが世界観と発想法をめぐる序説である。

序説 その2 コンディションの重要性
 ワインのテイスティング能力が高いはずのさる業界人が、「コンディションよりも生産者のほうが重要だ」と断言するのを耳にして、仰天したことがある。ワインのコンディションが、その味わいにとって決定的に重要なこと、言うまでもないのに。
 コンディションが同程度に良いワインなら、より優れた生産者が造るワインのほうに味覚勝負の軍配が上がるかもしれない。けれども、おなじ生産者のおなじキュヴェどうしで比べたら、コンディションの上下しだいで、おなじワインとは思えないほど味わいに差がでる。ワインの品質を鑑定する専門家にとって、コンディション劣悪なワインを試料にして、元来の品質を正確に判定することなど、まずもって不可能。
 というわけで、生産者とコンディションのどちらが重要かという二者択一の議論は、そもそも筋の立て方がおかしい。ともにワインの美味に欠かせない重要な要素であるのだが、あえてどちらをより重視するかといえば、わたしはコンディションを優先させる。
 産地をふくむ多くの国で、市場に流通しているワインのなかに、コンディションが不良または劣悪なものを、少なからず見かける。これはなにも、わたしが神経質で見聞が偏っているから、そう感じるのではない。フランスやイタリアに在住する、良心的で経験の深いワイン専門家たち(生産者や流通実務者)も、じっくり話せば意外にも、実際に流通しているワインのコンディション劣化を嘆く始末なのだ。
 そこで、ワインの味わいに対するコンディションの役割と、ひいてはワインの味わいを左右する条件(コンディション)一般について、以下の本論で仮説を提出してみたい。なお、手元のロングマン『現代英英辞典』によれば、“condition”という名詞には、「存在(するもの)の状態」「一般的な健康状態」「(機器などが)使える準備が整っている」「病状」「(of, forなどとともに)必要あるいは望ましい条件」などの意味があるとされており、わたしもここでコンディションという言葉を多義的に用いることにする。

本論
Ⅰ.ワインの味についての旧説(減点法による)

 《ワインの持つ「オリジナルの味」を、できるだけ損なわずに目的地(輸入国内の顧客)に届けることが、インポーターの役割である》と、かつては考えていた。今でもその考えは、基本的に間違っていないと思う。実感的にいえば、生産者のセラーで飲むような味を、輸送と保管の条件を整えることによって、可能なかぎり維持することが、ワインビジネスの実務上の課題であることに、変りはない。
 この考え方の底にあるのは、複雑な要素を捨象してごく単純化すれば次の方程式になる。
        ワインの味=f(ワインのコンディション)           …………〔1〕
        ワインのコンディション=f(輸送保管条件)          …………〔2〕
 つまり、ワインの味は、コンディションによって左右され(〔1〕)、そのコンディションは、輸送保管という管理条件によって左右される(〔3〕)。さらに単純化すれば、〔1〕は
        ワインの味=f(輸送保管条件)                …………〔3〕
となる。つまり、輸送保管がワインの味の決め手になる。
 さて、ここで、ワインに本来の持ち味があると仮定し、それを「オリジナル・テイスト」と呼ぼう。上の考え方からすれば、オリジナル・テイストを支え、規定しているのは、オリジナル・コンディションである。また、蔵元から出荷されたあと、さまざまな流通経路をたどり、最終的に飲用される場面での味を、「ラスト・テイスト」と呼ぶことにする。ラスト・テイストは、最終段階(飲用直前)でのコンディションである「ラスト・コンディション」によって規定されている。とすれば、〔1〕を変形して
        ラスト・テイスト=f(ラスト・コンディション)        …………〔4〕
が成立する。
 オリジナル・コンディションとラスト・コンディションは通常、つまり生産者のセラーで飲むばあいを除くと、一致しない。そこで両コンディションの落差を「⊿コンディション」(⊿はデルタと読む)と表せば、
        ラスト・テイスト=f(オリジナル・コンディション-⊿コンディション)……〔5〕
になる。理想的な輸送保管条件がもし整えば、⊿コンディション=0で、ラスト・テイストはオリジナル・テイストに等しいことになる。

 【余談】流通段階で最大のコンディション規定要因は、多くの重要局面にかかわっているインポーターの作業(の質)である。とすれば、インポーターの使命は、
       ⊿コンディション=オリジナル・コンディション-ラスト・コンディション≒0
(限りなくゼロに近づける)ということになる。
 そのためには、《生産地国内・海上・日本国内にまたがる全ルートを通じて、あらゆる局面の輸送と保管について、厳密な温度・湿度コントロールを施す》という、コンディション維持作業が不可欠である。インポーター各社も厳しい品質管理を謳っていると聞くが、この方式を徹底して実行することは、言うは易くして行うは難しい。実務上、必要とされる好ましい輸送機材の調達が困難なうえ、指示・実行・チェックのために膨大な手間と経費がかかり、しかもその経費を価格に転嫁しにくいからだ。もちろんラシーヌでは、当然のこととして(やせ我慢しながら)実行しているけれど。
 その作業に完璧はないが、実務上はほぼ実現できていると、ラシーヌでは考えている。なぜ、「ほぼ」という副詞句が付くのか? 大量の物体の移動にかかわる輸入&保管作業には、意図的な行為または偶発的な状況にともなう、事件や事故が避けがたいからだ。インポーターの内部だけで完了する作業は少なく、ほとんどが外部との連携・委託作業なので、万全の配慮をしたところで、輸送&保管業者とその実作業者がこちらの指示どおりに行動しない可能性があったり、行動を妨げられる事由が発生したりするからだ。【余談・終り】

発想パターンによる再整理
 さて、以上のような考え方と方程式〔4〕の発想法は、典型的な減点法である。が、じつはわたしは、およそ減点法的な発想には懐疑的である。勝手に幻の理想像を設け、その対極に現状を置く、という都合のよい図式が気に食わないのだが、それは措くとしよう。
 減点法をワインの味にあてはめたとき、
        現状=理想(100点満点)-阻害要因(理想からの落差)≦理想(100点満点)……〔6〕
となる。
 ここでまた麻倉怜士さんの説をひけば、ステレオ本来の目的は音楽を楽しむことだが、再生装置では音波形の歪みが根本的な問題である。ノイズやダイナミックレンジの狭さをいくら改善したところで、クリアな「高音質」にこそなれ、音楽性が高まるわけではないとか。そこで、音質≠音楽であるように、ワインのコンディション(または品質)≠ワインの味わい(または喜び)、なのではないか。
 輸送保管条件の向上が、コンディション劣化をくいとめ、ワイン本来の品質を維持し、結果的に良い味が実現する、という考え方はのんきな予定調和説のようにひびく。のみならず、輸送保管(の不完全)という客観的な条件を重視しすぎている。
 そこで、ワインは官能を基本的属性とする、感性ある生き物のような存在である、という立脚点に戻ろう。ワインには、環境やコンディションに応じて味わいが変わるという可塑性があり、飲み手側もコンディション(体調)しだいで反応の質(受けとめ方)が変わる。そのような主体の条件をふまえて、先の味わいの模式を修正し、ワイン―人間の相関関係を探ろう。

Ⅱ.乗算的なワイン観
A.概論

 まず、暗黙の前提を考えなおすために、次の仮説を立ててから検討にはいる。
a) 味は客観的に判断できず、好みと判断基準や閾値が人によって異なる。ゆえに、評価はあくまで評者の主観的なものである。
b) “subject”の質の問題。主観的と主体的の差はなにか。味(客観的)と味わい(主観的)には、質的な違いがある。

味わい、この主観的なるもの
《味は客観的な存在であって、計測可能である》という考え方を、客観主義と呼ぼう。これに対して、《味は主観的に感じとれる感覚であって、計測不可能である》という見方を、主観派と呼ぶ。これは、経済学における《幸福は計測できるか》という永遠の議論と似た、根本的な立場の問題でもある。わたしは後者の主観説に立って、あらためて味を考えたい。
 そこで、主観的に感じとられた味を「味わい」、客観的に計測可能な味(があるとして)を「味」と表記する。味わいは、ある主体が、感覚器官(鼻と舌)にある嗅覚細胞と味蕾が感じとり、脳に伝達された情報をもとに判断された、感覚的印象の総体である。
 これは主体(subject)のなかで発生した、一種の《S刺戟-R反応》行動であるが、“subject”には主観的であるという受動的な側面と、主体的であるという能動的な側面がある。たとえば、能動的・主体的な味わい方のばあい、意識を集中して味わう訓練を繰り返せば、味覚と嗅覚の受容=感覚能力は強化され、いっそう研ぎ澄まされる。
 ワインのばあい、受けとめた感覚にたいして(ワイン界の「専門用語」あるいはジャーゴンなどを用いて)名前をつけると、言葉をとおして経験は蓄積されやすくなり、経験の交流も容易になるため、感覚判断尺度に磨きをかけることも可能になる。
 なお、別のもっと重要な《能動的側面》については、後で触れる。

味わいの構成:ひとつの仮説
 もともと味わいは、味覚と嗅覚という要素の各論に、単純に分解できるわけではないし、それらを再構成したところで全体像になりもしない。ワインの呈味状態を、いくら「ソムリエ用語」やジャーゴンを使い、あるいは「風味のリング」の該当する箇所を列挙したところで、しょせん群盲像をなでるたぐいで、味わいの核心と本質に迫ることは難しい。
 そこで味わいとコンディションにかかわる、第Ⅰ章の方程式①を思い出そう。その際、コンディションは味わいにどのように作用するのか? 味わいは単にコンディションの従属変数であるのではない、という見方に立ってさらに考えれば、別の方程式が浮かび上がる。
 そこで、まず、問題提起。味わいは、ボトルの中で「オリジナル・テイスト」として固定していないのではないか。オリジナル・テイストが固定的につかまえにくいのは、単に味のボトル差が大きいとか、飲用時点におけるワインのevolution(成長・興隆状態)といった、変動のせいだけではない。そもそもオリジナル・テイスト(という言葉)は、幻想にすぎないのではないか。逆にいえば、味わいは、ボトルの中でさまざまな可能性として存在しているのだ。この可能性としての味わいを、プロト・テイスト(a)と呼ぼう。
 さらに、味わいの可変性をみれば、飲用条件―たとえば容器や飲み方―と、飲むにいたるプロセスや作法、それにワインをとりまくさまざまな環境(目に映るものも、映らないものもある)によって、味わいはプラス方向にもマイナス方向にも、驚くほど大きく変わりうる、とわたしは実感している。
 そこで、ワインの状態、飲用条件環境をすべて含む多義的な「コンディション」という言葉を使えば、可能性として存在する味わいを具体的に実現するのが、コンディションである、と規定できる。
 味わいを具体的に感得するのに必要な、一連の作業ステップの総体は、コンディション(状態と条件・環境)の操作プロセスでもある。そのプロセスは意識的ないし無意識的であるとしても、目に見えるグラスなどの器具や道具というコンディション(条件)だけでなく、グラスの置かれたテーブルや店内環境と、飲み手の身体的なコンディション(体調、状態)もまた劣らず、味わいに大きく作用する可変的な要素である。器具類や道具立てなどは直接的にワインの味わいに影響するコンディション(条件、環境)であり、店の構造や設備、カトラリーなどもまた、間接的に人間の体調(コンディション)に影響を及ぼして、結果的にワインへの感度を変え、味わいを変える。
 そこで、ワインと人間を主眼とすれば、コンディションは、ワインのコンディション(b)にかかわるものと、飲み手のコンディション(c)にかかわるものとに、分解できる。
 そこで、味わいの発生と構成を図式化すれば、a×b×cの乗法として、次のように定式化することができる。
 ワインの味わい=プロト・テイスト×ワインのコンディション×飲み手のコンディション

A.プロト・テイスト(あるいは、ウル・テイスト、原味)
〔1〕ワイナリーが、ボトリングする前の、貯蔵容器(カスク、タンク、槽など)に納められているワインが有する味が、プロト・テイストそのものではなく、そのイメージにちかい。プロト・テイストを推測・判定するにしても、ワインのさまざまな段階があり、熟成段階や、月の相や暦によっても、状態が異なる。
 プロト・テイストは、いわば仮説として抽象的に想定されたものであるが、幾何学の補助線のように思考補助用に仮りに設けられる任意の線ではなく、実在するものへのネーミングである。
 それはともかく、人は裸のままの液体を空中で味わうわけにはいかない。だから味を具体化するための手段として、セラーでは通常、樽などからピペットで液体を移してグラスに注ぐ。このように、試飲プロセスには樽、ピペットやグラスなどの媒体が不可欠だが、それらの介在がワインとその味わいに必ず一定の作用を及ぼす(ハイゼンベルグ流にいえば、味を測定するための測定方法[器具類]が、必然的に測定結果=味わいに影響する)。
 いずれにせよ、プロト・テイストは可能性として実在するが、同時に抽象的な存在でもある。その味をイメージするためには、樽試飲のような方法しかないが、セラー内で試飲する未完成段階の仕掛品はむろん参考試料にすぎず、本来の評価対象ではない。

〔2〕オリジナル・テイストとボトル(内)テイスト
 プロト・テイストを有するワインは、ワイナリーが選んだ消費用の最終容器(ボトル)に詰められ、コルクまたは王冠などの物質で密封され、生産者情報を示すラベルを貼られる。その過程で、
〔1〕ステンレス・タンクなど大型容器への「樽寄せ」が通常おこなわれる。
〔2〕ボトリングの前後で、ファイニングや冷却処理、SO2添加、濾過などさまざまな処理が実行されることが多い。
 いうまでもなく、コルクの材質と汚染状況、ラベルの材質やデザインといったボトル近縁の要因と、生産者のセラー環境(セラーの構造・形状・素材と温度・湿度など)が味わいに作用するため、ボトリングされたワインは、プロト・テイストの一表現形態をとる。
 生産の現場で上記のプロセスが組合されていちおう完成した結果が、フェイズⅠの段階(後述)における、本来の味わい=オリジナル・テイストである、と規定すべきである。が、前述したとおり、これまた固定的にとらえるべきではない。セラーで貯蔵中のボトルは熟成の段階もさまざまだし、ボトルの外観もカプセルやラベル付きのものも裸のボトルもあって、それら状態や状況が、すべて「オリジナル・テイスト」に影響するから、それは可変的なのだ。
 ワイナリーでボトリングされたワインは、必要な流通・販売過程をへて、最終的に消費されるが、どの段階でどのような影響をこうむり、どのように飲用されるかによって、ボトルド・ワインの味わいが異なる。

B.ワインのコンディションを左右する状況と段階―ワインの味に影響を与えるもの(1)
 ワインが生産者の手元から最終消費者の手元に届き、飲用されるまでには、多くのステップが踏まれる必要があり、各ステップの状況がプロトタイプの有する味(プロト・テイスト)に影響を与える。
  フェイズⅠ:生産者段階
  フェイズⅡ:輸送(流通)段階
  フェイズⅢ:販売店・購入者・飲食店の保管段階
  フェイズⅣ:消費・引用段階
フェイズⅠはすでに説明済だから、フェイズⅡ以降をみよう。

フェイズⅡ:輸送(流通)段階での問題点は、
〔1〕輸出国=生産地の国内における輸送(車輌:常温・定温トラックとプラグ・オンの有無)と、
   保管倉庫の条件
〔2〕海上輸送の方法:コンテナの種類とサイズ・機能と、積み替え時などの状況
〔3〕輸入国における取り扱い方法:コンテナ・ヤードから保管倉庫までの
   輸送条件(MG車かどうか、プラグ・オン、冷却機能)、
   デバニング(ドック・イン・シェルターの有無と使い方)、
    検品・受け入れの手順、保管倉庫の条件(建物の構造・壁材・サイズ)、
    冷却・過失・送風装置の設計・機能・運転方法
〔4〕 出荷体制:ピッキング・荷造り・一時置き場(室内・定温状態または、路上)、
   トラックの種類など、多様である。

フェイズⅢ:販売店・購入者・飲食店の保管段階
〔1〕販売店の保管・管理条件(定温管理)→試飲・販売へ
〔2〕購入者・購入店・レストランの保管・管理条件(専用セラーの有無)

フェイズⅣ:消費・引用段階
〔1〕飲食店
〔2〕非飲食店(購入者・宅など)

 【余談】各フェイズの検討から察せられるように、フェイズⅡが各種の重要な必要業務を担っているため、輸入ワインについてはインポーターの役割が多大なことは、前述のとおり。逆に言えば、インポーターはオリジナル・テイストを損傷破壊する危険性もまた高い。だから、酒販店と飲食店だけでなく、最後につけを払わせられる最終消費者もまた、インポーターの言葉ではなくて事実、すなわちインポーターが現場でどのような方針で仕事を進めているかという実態を、把握しなければならない。難しく聞こえるかもしれないが、じつはワインのコンディション(=結果)を正確に判断できさえすれば、傷み方の有無と程度から、扱い方(=原因)についておよその見当がつく。正しく推測するためには、既存の情報や先入観、歪みや偏見を拭いさり、テイスティング能力と帰納的な思考力を高めること。帰納的とは、経験から学ぶ方法であり、結果から原因をただしく推測する合理的な思考方法である。【余談・終り】

C. 飲み手のコンディション―ワインの味に影響を与えるもの(2)
 これまで、あまり注目されてこなかったのが、飲み手の受け入れ態勢=身体状況である。こう書くと、健康状態のことかと短絡的に受け止められそうだが、それだけではない。人体そのものではなく、人体に影響するさまざまなものごとがあり、それらがこぞってワインの受け入れを快適にしたり、不快にしたりするのである。

1.快適な受け入れを阻害するもの(例)
〔1〕電磁波(発生装置):携帯電話、電気製品、照明器具、大型換気装置(天井の環状ドーム)
〔2〕金属製品:カトラリー(柄が金属のもの)、栓抜きや「ソムリエナイフ」
〔3〕テーブルの材質および支柱:金属材の量・サイズ・構造
〔4〕椅子の材質:金属フレーム
〔5〕床の構造と材質:コンクリート床(鉄筋などの使用)で、被覆のないもの
〔6〕座席位置(建物の開口部や窓の近辺、食器洗浄機・冷蔵庫内蔵カウンター、シンク近辺。
   座席の方向[店や居宅の構造によって異なる])
〔7〕テーブル上のもの(木・布製品を除く。テーブルマット[材質しだい]、食器[形状による]、
   抜栓したボトル、カラフ)
〔8〕唾液:飲み手の口からグラス内に還流すれば、とたんに味わいが変る。
〔9〕スワーリング:変質を加速化するから、試飲はともかく飲用には不適。
〔10〕汚れたグラス:洗浄不良品は、不快臭があるだけでなく、味わいを阻害する。
〔11〕装身具(金属製のイヤリング・指輪・ネックレスなど)

2.快適な受け入れを促進するもの
〔1〕木製品(カトラリー、食器など、すべて)
〔2〕ヌード・ボトル(ただし、ビンにはすべてコルクで栓をすること)
〔3〕電磁波をカットないし無害化することに役立つものすべて。

 以上の1と2の例示は、あくまでヒントにすぎず、書きだせばきりがない。参考までに記せば、あらゆる木製品や各種の石などをテーブルの上下や身辺に置いて、身体に好適な環境を築けば、人体の状況を驚くほど大幅に好転させることができる。あきらめずに、常に各種の実験をすれば、各人に最適な方法が発見できるはずである。生産者とその関係者でない以上、最終消費者は通常、オリジナル・テイストを変えることはできないとされている。が、オリジナル・テイストですら、たとえばヌード・ボトルにするなどの方法を講じれば、ワイナリーで味わう時よりも、美味しく味わえることがある。まして、人体のコンディションを整え、あなたに適した手でもって注いで飲み、好適なミクロ環境をその場で構築できれば、これまでに味わったことがない官能の世界が広がること必定。ともかく、つねに好奇心と疑いを持って実験し、聖域を設けずに常識や通説から脱却することである。

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