2012.06.28 塚原正章
Ⅰ.書くつもりだったこと
締切日に原稿を書くのが、長年の慣わしになっている。なにも、最新の情報や意見をお届けしよう、という健気な親切心に発するわけではなく、どうしようもなく怠けくせがついてしまい、締め切りが近づかないと書く気が起こらないだけのことである。といっても、テーマ選びは、前回の執筆が一段落したとたんに始まり、常に念頭に重くのしかかっている。そこで今回は、「ブランドを斬る」というテーマにする予定だった。
「斬る」といっても物騒な話しではなくて、衣類に付いているブランド名を明記したタグを切るだけのこと。なぜ衣類のタグや、素材・原産国・洗濯表示の類いをすべて鋏で切り取るかという理由は、簡単。私がO-リング・テストを実地に教えていただいた豊岡憲治医師による、一連のエッセイ(故・邱永漢主催「ハイハイQさんです」の掲載終了記事に収録されているはず)から、学んだから。要するに、タグの大小や材質にかかわらず、異なる素材の組合せそのものが、電磁波を発生させて身体に悪さをするらしいのだ。もっと興味がある方は、自分で該当する記事を探り当てて欲しい。なぜ、このような不親切な物言いの仕方をするかといえば、すべてを説明するのは、かえって依存心を助長して当人の為にならない、というのが表面的な理由。ありていは、そこまで調べて懇切に書いている余裕がないだけのことである。とにかく、なにごとにも好奇心を抱き、自分で探ることが肝要というのが、私の口癖になっている。「無関心は敵だ」というのが、オフィスに掲げてある、今年のスローガンである。
さて、タグから発して、ブランド一般を疑うのは、必ずしも『堕落する高級ブランド』(ダナ・トーマス女史)なる好著を、旅先で読み終えたからではない。たしかに女史が明かすように、企業が醸成をもくろむイメージ像と、実際に送りつけている安物の量産品とのあいだのギャップは、空恐ろしくなるけれど。問題は、世間にはびこるブランドよりも、無意識なブランド依存心が、趣味を歪め、健全な判断力を損なっていることのほうだろう。
およそ依存心なるものが、これまた敵なのだ。たとえば、専門家とはほど遠い自称「ワイン評論家」や、内外のワイン雑誌がつける評点やコメントなど、鵜呑みにすべきではないこと、いうまでもない。まして、広告掲載の見返りに、著名ソムリエによる評価の対象にすることを約するワイン雑誌があるとしたら、読者を馬鹿にしきった話しである。それはともかくとして、現地での丹念なフィールドワークを怠り、経験と見識の不足を孫引きと勘で補うような手合いは、ライターではなくて引用家と呼ぶべきだろう(ラシーヌでは、尊敬すべきパーカー氏が与えたポイントですら、参照も引用もしないのが決まり)。ポイント、つまり肝心な点は、自分自身の判断力と想像力を蔑ろにするような、依存心から脱却すること。情報の蒐集分析をつうじて、隠された事実(の仮説)にたどりつくことほど、面白いことはない。
Ⅱ.書かないつもりであったこと
以上は、書くつもりであったことの粗筋の紹介であるが、つい力が入っていつもの口癖が出てしまった。おまけに、本論であるべきはずの「書かないつもりであったこと」を書きつける時間すら、無くなりかけてきた。ので、これまた、粗筋をスケッチするのがせいぜいというところか。それはさておき……
今どき、出版記念パーティでもあるまい、とかねがね思っている。バブル期には、わがワイン界でも出版記念パーティが盛んに開かれていた(特定の著者や訳者によることが多かったけれど)。著訳者の友人が自発的に呼びかけるパーティならば、むろんケチのつけようがない。なにしろ、本を著したり約したり訳したりすることは――特にワイン出版物のばあい――労多くして実り(販売部数、したがって著作収入)少ないのが常なのだから。
しかし、出版社が販売促進をもくろんで催すパーティとなると、政治家の資金集めパーティと同断で、話しは別である。まして、そのために、インポーターに無償でワインの提供を「呼びかける」のは、筋違いも甚だしい。とくに、一万円前後の高額な会費制の出版記念パーティを企画し、関係者やワイン愛好家にその告知したあとになって、インポーターに対して、しかも「掲載されている」特定生産者の高額なワインを指名し、その無料提供を求めるとしたら、空いた口がふさがらない。本来、パーティに振舞うワインは、会費でもってまかなうのが筋ではないか。会費ではまかないきれない(あるいは会費を値上げできない)のなら、あらかじめ主催者側が「予定している」ワインのインポーターに企画趣旨を説明し、了解をとりつけてから、企画を公表すべきなのだ。後出しジャンケンなど、ごめん被りたい。
現に、私がロバート・パーカーJr.の『ブルゴーニュ』(飛鳥出版)を監訳したさい、高名な友人たちの音頭とりで開いていただいた会費制の出版記念パーティでは、格別なブルゴーニュワインを振る舞ったが、莫大な赤字は当然ながらすべて私が自主的に負担した。
そのワインはといえば、故・坂根進さんから気前よくご寄贈いただいた2本のダブルマグナム(DRCのラ・ターシュとロマネ・コンティ1976)を別としても、こちら側で選んだアラン・ロベールのシャンパーニュ(メニル・レゼルヴ)、DRCエシェゾー1989(Ⅰケース)やコント・ラフォン、コシュ=デュリーなど、枚挙に暇がないほど銘酒にあふれ、今となっては思い出に残る宴ではあった。が、私が合田と二人でパーティを企画したとき、インポーターにワインの寄贈を求めることなど、思いつきもしなかったし、頼るつもりもなかった。まあ、福澤諭吉をもじれば、やせ我慢の独立自損というところであろうか。
それとは逆に、インポーター各社にワイン生産者を指名し、(書物には掲載されているが)指名外のワインは拒否し、無償供与を求めるとすれば、主催者側の勇気には感心せざるを得ない。おねだりはしたものが勝ち、というわけだろうか。