2012.05.28 塚原正章
現在、取り組み中のさまざまな問題について、この欄で触れることは正直言ってなかなか難しい。なにせ、実地作業または思考実験のさなかにあり、いろんな試行錯誤の連続なのだから、途中でのご報告はかえって、混乱や誤解を招きやすい。また、ラシーヌの仕事に限定して言えば、進行中の作業はどんな企業でも(ときには社内の他部門に対してですら)秘密を要するから、各プロジェクトが終ったあるいは目処がついた時点で、できるだけ早くご報告するのが、関の山である。
けれども、個人的に取り組んでいる事柄については、裁量の範囲内でお知らせすることが出来るし、実際にもエッセイの形でもって発表してきたつもり。たとえば、「ヌーディスト宣言」(『ラシーヌ便り』2010年12月号 号外)。海外でもヌード・ボトル賛美を説き、その場でささやかな実験をすると、すこぶる興味を掻き立てるとみえ、早く翻訳して欲しいという要望が強い。たぶん、マルクスの『共産党宣言』(Communist Manifesto)をもじったタイトルの英文“Nudist Manifesto”で、冗談半分に「ヌーディスト」という刺激的な言葉を用いたせいかもしれない。冗談は、災いのもとであるが、生来の癖は抜けそうにない。
それにしても、《ワインの味わいを、本来の姿に近づける》という目的のために私が試みている一連の工夫の結果は、――その一部はすでに当エッセイの中で紹介済み――意欲的な各地の生産者や飲食関係者から、なかば不思議がられながら、興味をもたれているようだ。予想外の作用や効果に驚いた海外の方々から、ときに魔術師扱いされるのは困りものだが、それは盟友であった故テオバルド・カッペッラーノを、ジョン・ファウルズの傑作小説にちなんで、『魔術師』(メイガス)扱いした罰かもしれない。
今なお続く私の試みは止まるどころか、いよいよエスカレートする一方で、なによりも本人が「ここまでやっていいのか」と呆れている始末。ちったあ、自粛したほうがよさそうな按配だ。それに、私の目からすれば、試み(オオゲサにいえば実験)の全貌と見通しがほぼ明らかになってきたので、そろそろ収束の段階なのかもしれない。いってみれば、年貢の納めどきが近づいた気配。なので、そろそろ一冊の本にまとめなければなるまい。
いまのところ、秘かに考えているそのタイトル案は、『ワインの素顔――本当の味を取り戻すために――』。ワインを美味しく飲むために編み出した、ささやかな工夫をご紹介しようという心積もりである。さあ、皆さん。ワインをもっと美味しく、もっと楽しく飲もうではありませんか。せっかく、有数の生産者が、腕によりをかけてこしらえたワインが、よく探せば身の周りにあるのですから。