ヴェネツィアの一杯のグラスワインから

2012.04.27    塚原正章

 「芝居は血を荒らす」と言ったのは、文学座の発起人の一人、久保田万太郎であった。演劇の魅力と恐ろしさを、これ以上は短くできない文章に縮めてみせた、芝居と言葉の玄人・久保田による職人芸のような表現には、舌を巻くしかない。かつて演劇にうつつを抜かした覚えがある私が、いまなおブレヒトの『三文オペラ』(たとえば、演出家ストレーレルに導かれたミルバの絶唱CD)に血が騒ぐのは、しかたがないのかもしれない。
 ヴェネツィアもまた、人を魅して虜にする点で、芝居の世界にちかい。だからして、海に浮かぶこの古雅あふれる都市は、芸術家を虜にしてやまない。その魅力の一端は、ターナーの幻想的な水彩画に明らかだし、フェリーニの『カサノヴァ』もまた、ヴェネツィア生まれの「遊冶郎」ことカサノヴァの世界を、フェリーニ流にひねった表現でもって、楽しませてくれた。
 一見、芸術とは縁の薄そうなワインを商う私もまた、機会がありさえすれば、この都を毎年数回訪れるのは、すでにヴェネツィア病なのだろう。

 それでは、はたして、ワインとヴェネツィアは、関係があるのだろうか。
 答えは、イエス――少なくとも、私たちにとっては。ヴェネツィアがハプスブルク帝国の属領であったときから、ひろく当地(フリウーリ・ヴェネツィア・ジュリア)産のワインは、首都ウィーンで持て囃されていたと聞く。そんな昔の話を持ち出すまでもなく、現在のヴェネツィアには、世界中の優れたワインが集まっているから、ワインの目利きが営んでいるトラットリーアやワインバーに行きさえすればよい。ヴェネツィアを、単なる観光都市で料理もまずいなどと貶すのは、そういう所にしか行かないからであって、それならばパリも東京も変わりはない。(おっと、筆がすべった。東京は世界的な観光都市でもなければ、極上の料理にあふれかえっているわけでもない。)以前にも書いたことがあるが、フレッド・プロトキンによるイタリア・グルメガイドのたぐいを開けば、見方が一変するだろう。
 「観光の聖地」ヴェネツィアは、料理とワインの聖地でもあるのだ。世界中から集まる、暮らしに余裕があるグルメ族や、この島に住まうヴェネツィア人たちが、うまい食事と無縁な訳がない、と見当をつけるべきなのです。もちろん、島嶼部や天然の生簀でとれた、とりわけ小魚や甲殻類などが、リアルトの市場に並んでいるから、自分の目でしかとお確かめあれ。魚には味がのっているし、むろんのこと放射性物質の汚染からも免れているから、いまや化学物質まみれが横行している日本の食材(と輸入ワイン)に閉口している者には、天国のよう。

 そういえば、ワインの話でしたっけ。
 なぜか、ヴェネツィアには、素晴らしいワインの目利きがいるし、それが分かるマーケットがあるのですね。というわけで、しかるべき店を訪れれば、ワインを選ぶ力と勘、テイスティング能力があって、偏見から自由でありさえすれば、きわめて面白いワインに出会う確率が高いのです。
 だから、私たちも、ふとヴェネツィアで巡りあった、たった一杯のグラスワインに感動し、仕事が始まったことが、何回もあったし、これからもあると思っている。たとえば、(じつは旧知だったと後に知れた)サルヴォフォーティがエトナで造る《ヴィヌペトラ》や、《ボルゴレット》のソアーヴェが、そうでした。

 たった一杯だけで、わかるかって?
 もちろん、わかるし、それが仕事じゃないですか。
 そういえば日本でも、ジュゼッペ・ラットのワインに出会ったのは、いまや伝説の名店「ラ・ゴーラ」で、グラスの底にへばりついていた、僅かな飲み残しだった。
 そして、つい先ごろもまた、類を絶するようなワインに出会ったので、ヴィニタリーの直前に生産者を訪ねた次第。予想どおりというか、いや、期待をはるかに上回るような、よく考え抜かれた味わい深い一連のワインには、ほとんど度肝を抜かれてしまった。
 最近よく合田と話すのだけれども、年齢を問わずに世界の達人たちは、常に本当にすべきことを自分で考えて、当たりまえのようにして迷わず本質にたどり着くのですね。

 その名はですって?
 まだ秘密。だけど、M****とだけ、お知らせしておきましょうか。ヴェネツィアの、サンマルコの船着場近くにある、見かけは観光客用のリストランテと誤解されそうな店での出会いが生んだ、今年ラシーヌがご披露する驚くべきビオロジック・ワインのひとつです。ぜひ、ご期待のほどを。

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