2011.10.28 塚原正章
はじめに
ワインにも人間にも、欠陥はつきものである。欠点がない人間やワインはほとんど存在せず、逆に多少の欠点がその人やワインの特徴や愛嬌、はては長所になることすらある。けれども、少なからぬ金銭を投じ、あるいは短からぬ期間をセラーで熟成させたはずのワインが、鼻を覆うような異臭を放つことがよくあるのも事実。この問題には、すべからくワイン人は困惑し、潜在的な被害者だと思っている。もっとも、ときには、とうてい欠点とは見做しがたいワインが、潔癖すぎる消費者や自信過剰なソムリエ氏などから、可哀そうにも欠陥品扱いされ、インポーターの手元に戻ってくるのは、解しがたい。
それなら逆に、健全で無傷なワインは、はたして美味しいのだろうか、と問いただしたくもなるが、その議論は長くなるので慎もう。健全なワインと健全でないワインとは、どのように見分けたらよいか、ということにも深く立ち入るまい。ワイン界の問題児である「欠陥ワイン」について、問題の状況と原因をひととおり見渡したうえで、一インポーターとしての所感と対処法について述べたることにしたい。
Ⅰ.ワインの欠陥/汚染とは?
ワインには、さまざまな品質不良や欠陥が内在している。コンディションを含む品質不良は、大別すれば、栽培・製造段階で生じうる問題と、蔵元から出荷後の流通・保管・消費の段階で生じうるものがある。生産者は、えてして流通段階以降に不良品発生の原因があるとしがちだし、輸入・販売・サーヴィス・消費する側は、前者の責任を問いたがる。が、性急に責任のありかを論じる前に、いったい品質不良ワインとはどういうものか、なにがその原因なのか、について共通の認識を持ちたい。
そこで、ジャンシス・ロビンソン編のワイン大事典『オクスフォード版ワイン・コンパニオン』の登場である。
1.ワインの汚染(contamination)とは?
まず、ワインの汚染物質(“contaminants”)という項目は、次のようにはじまる。
「汚染物質または汚染源」:〈ワインに含まれる、潜在的に有害な物質。空気や水の汚染、ブドウ畑における処理の残存物、ワイナリーの不衛生、無知または変造/偽造がもたらすもの。〉…として、たとえば鉛やカルバミン酸塩、トリブロムアニゾール(TBA;木材表面処理剤)や、農薬・防カビ剤が挙げられている。が、ワイン汚染の本命が抜けていやしないか、という疑問が浮かぶだろう。が、心配ご無用。
なお、汚染(contamination)の動詞である”contaminate”という言葉には、「…を放射性物質で汚染する」という、特別な意味があることに、注意しよう(『ランダムハウス英和大字典』)。現代日本は、ワインの放射性物質による汚染の危険がいっぱいだろうから。
2.ワインの欠陥/過誤(faults in wines)
次なる項目は、「ワインの欠陥」である。”fault”には、通常(人間の有する〉〈欠陥、欠点、短所、きず〉などの意味のほかに、”~fault in ~“といった用法で〈落ち度、手抜かり〉といった意味があり、広い意味をもつ一般的な用語である。ここでは、後者の意味合いのほうが強い項目である。
まず、冒頭から引用する。
〈ワインの欠陥は、無論のこと、消費者のtaste(味覚、好み、嗜好)次第で変わる[主観的な(補訳)]問題である。食事客によっては、単に自分の好みに合わないという理由だけのために、ワインを店に「戻す」という間違いを起こす人もいる。好みは、個人個人で異なるというだけでなく、お国ぶり(あるいは国民性;nationality)によっても異なる。一般的にいって、イタリア人は苦味にたいして寛容であり、北米人は甘さに、ドイツ人はSO2に、フランス人は渋みに、英国人は(熟成しすぎたワインの)「老化風味(decrepitude)」に、それぞれ寛容である。しかしながら、ワインの生産者にとってワインの過誤とは、受容基準(acceptable norm)を逸脱した特定の兆候(specific departures)を指す。そのなかでも、最も定量化しにくい欠陥が、「産地に特徴的な風味」(typicality)の欠落[という客観的なもの(補訳)]である。〉
例によって、なかなか要を得た概説のあと、本論は「視覚上の欠陥」「嗅覚上の欠陥」「味覚上の欠陥」について述べているが、要旨だけを紹介する。
a) 視覚(外見)上の欠陥:
濁りや曇り、沈殿物などで、安定化作業(stabilization)はこれらの除去を目的とする。濁りや曇りの一般的な原因は、微生物(酵母、バクテリア)の生成と活動。通常、結晶状を呈する沈殿物は、カリウムか酒石酸塩が溶出したもの(無害)であることが多い。目に見える気泡は、非発泡性の白ワイン造りを意図しているばあいは、しばしば欠陥と見做されている。が、ワインによっては(特に極辛口白ワインは)、新鮮な味わいを保つため、ビン詰めのさいに微量のCO2を添加する。たいがいの消費者は、曇ったワインを欠陥と見做しているが、色調についてはさほど意見が一致していない。ロゼがいくらか琥珀色を呈しただけで、自動的に減点するワイン審査委員がいるが、ワインの色合いは熟成するに従って琥珀色に変わる。早々に茶褐色の色調をもたらす酸化作用(oxidation)は、若いテーブルワインでは欠陥だが、それは嗅覚でもっと確かめられる。
b) 嗅覚上の欠陥:
異常にカビ臭い不快臭がして、テイスティングする気すら起きないワインの原因としては、「コルク汚染」(別項目・参照)に帰される可能性が高い。コルク臭以外にも広範な不快臭がある。酸化したワイン(平板でアルデヒド臭)や、酸敗ワイン(バクテリア、酵母など微生物の活動による酢酸)。酢酸エチル、硫化水素、メルカプタン、過剰なSO2や、特定のバクテリアから発生した臭気化合物などは、すべて欠陥ワインの原因たりうる。が、事情は込み入っていて、これらの化合物に対する感度はすべて人によって異なるし、化合物によってはある種のワインの場合には好ましいと受け入れられやすい(フィーノ・シェリーのアセトアルデヒド香など)。残留農薬などの汚染物質もまた、クリーンでない香りを引き起こすことがある。カビ臭さは、バクテリア汚染ないし不衛生な容器に由来することもある。ネズミ臭の原因としては、ブレタノミケス酵母の作用が大いに疑われている。乳酸菌や、イノコッカス、ペディオコッカスもまた、この不快極まるネズミ臭の原因たりうる。
c) 味覚上の欠陥
ほとんどの欠陥は嗅覚で察知されるから、味覚はその確認役でしかない。だからレストランでは、ソムリエが注いだ試飲用ワインを嗅いだだけで、用が足りる。金属汚染は、香りよりも味で検出しやすいが、渋みや苦味が過度にあるワインは、視覚や嗅覚では感知しにくい。
3.コルク汚染(cork taint, corked)
「コルク汚染(cork taint)」は、さらに重要な独立項目として『大事典』に掲げられている。大切な事柄だし、内容が整っているから、ちょっと長めに引用しよう。
「研究や調査によって数値は異なるが、コルクで栓をした全ワインの5%程度が、カビ臭(musty taint)を示す。この原因は、複数の強力な有機化合物であるが、もっとも重大な作用をするのが2,4,6‐TCA(トリクロロアニゾール)。汚染源であるこれらの化合物は、コルクに自生するカビが化学変化したものか、コルクのさまざまな処理過程で発生した化学物質である。当初、この現象はコルク樹皮を塩素含有漂白剤で洗浄したことに起因するとされ、その代替品としてペロオキシダーゼが用いられるようになったが、問題のコルク汚染の発生率に変化はなかった。これは、コルクの構造、すなわち空気の出入可能な微細気孔(皮孔)のなかに、汚染可能性を有するカビが常住していることによるとみられる。ダンカン、ギブスン、オブラドニクらによる調査結果は、ポルトガルのコルク樫の森林に植わるコルクの樹皮に、TCAが存在することを証している(クロロアニゾルの項、参照)。ワインに対するコルク汚染の特徴は、しばしば「不快」「カビ臭さ」「湿った段ボール」「濡れ犬臭」などと表現される。TCAは、果実風味を抑え、ワインの後口を短くするという悪さをする。軽微な場合には、コルク汚染はブケと味わいを弱める程度ですむが、悪くすると、激甚なコルク汚染はワインを飲用不可能に陥らせる。(以下、要約)
[TCAを除去するさまざまな試みにもかかわらず]完全にコルク汚染の可能性を排することはできなさそうである。TCA以外にもTeCA、PCA、MDMPなどがあるが、業界筋によるとTCAの強力な作用には及ばないとのこと。TBA(先述)もワインのカビ臭をもたらすが、これはワイナリーの環境(壁板材の被覆処理)による汚染が原因で、コルクを通してワインに二次感染する。が、いずれにせよ、圧倒的に多くのケースでは、コルクがコルク臭の主犯であるとみられる。」
ことほど左様に、汚染のなかでもコルク臭(いわゆるブショネ)の問題は深刻である。
さて、以上の3項目はジャンシス編『ワイン大事典』によるが、この問題だけを科学的でかつ平易に論じた専門書が最近出版された。その名はジョン・ハデルスンの『ワインの欠陥―原因、結果と対策―』(John Hudelson “WINE FAULTS”;The Wine Publication Guild)。著者は、アメリカの大学でワインの調査研究と講義をおこなうだけでなく、ハドソン・ヴァリーでワイナリーとワイン・コンサルティング会社を共同所有する実務家でもある。本書の対象は、ワインメーカーだけでなく、欠陥ワインに悩まされたワイン愛好家やブロガー、鑑定審査員など、幅広い。35年間のワイン醸造のあげく本書をものしたジョンは、自作のワインに少なからず欠陥があったことを率直に認め、「人は無知だから間違い、間違いから学ぶ」と述懐する。ワインの間違いについて多くを学んだのは、学校やワイン造りの実務経験よりも、外部評価からであったとか。外部に開かれた精神こそ、良いワイン造りに不可欠であって、あまりにしばしばワインメーカーは、他者からの評価や批判に耳を貸さなさすぎる。だから、「ハウス・パリット」(各ワイナリーに固有の偏った味覚)が生れると言い切る著者によれば、ワインの欠陥について(醸造家が)学ぶべき最上のモットーは、「自尊心など、ドアの前に捨ててしまえ」。そういえば、花田清輝の名セリフに、「自尊心など、とうの昔に犬に食わせてしまった私ではないか」というのが、ありましたね。卑小な人間ゆえ、間違いを認める勇気が、進歩の原動力になる、ということでしょうか。
Ⅱ.品質不良ワインの問題
1. 欠陥はワインの宿命か?
かくして、ワイン愛好家はワインの品質不良といういまだに解決不可能な難問から逃れることはできず、インポーターにとってもまた、コルク汚染に代表されるワインの「製品不良」は、永遠につきまとう問題となる。
一般的にいえば、ワインをふくむ大量消費型の商品を生産するメーカーにとって、「規格外」の製品は市場に流通することを許されない。その際、「不良品」はクオリティ・コントロールの視点から、品質の水準を乱すバラツキの問題として扱われる。基準からの逸脱を測定するためのメジャーは、厳密に工業的な「規格」(重量、形態、純度、成分構成、外観など)と、五感分野(臭い、味、触感その他)における官能検査的な基準である。前者における規格を維持するための科学的な手法として、統計学的な手法にのっとった抜き取り検査や全品チェックが生産工程に組み込まれ、内在化されていることは、ご承知のとおり。
なのに、文明の華であるワインの世界では、主要な原因がほぼ明らかなのに、品質不良を追放できないという、「近代以前」の情けない状況にある。ワインの味わい分野での問題解析は、ガスクロなどの最新式の化学分析機器と、それ以上に専門家による官能検査が頼りの綱なのだが、通常ワインを抜栓せずに検査や分析をするわけにはいかない。コルク臭だけをとってみれば、5%の発生率があるとして、ランダムに抜き取って「不良品」を見つけたとしても、そのケースやロット全体を「不良」と決めつけるわけにはいかない。経験的にいうと、不良品を含むロットに用いられたすべてのコルクが汚染されていることは、通常は起こりえないからである。いわば、不良ワインのボトルが、知らぬ顔をして、健全なワインボトルのなかに確実に紛れ込んでいるのだから、始末が悪い。ために、ワインパーティの幹事役やホストは、念のために「控えのワイン」を用意しなければならなくなる。
ともかく、コルクを打たれていったん製品化されたワインは、市場に到達するまえの段階で、不良品とおぼしきボトルだけを、徹底的どころかまったく排除することができないから、(X線や赤外線などによる)工業的な外観検査は、実際には無力である。
2.ヴァン・ナチュールの「不良品」問題
おまけに、難問にさらに追い討ちをかけるようなワインのタイプがあるから、ややこしい。手作り型のワインのなかでも、とくに自然派とかヴァン・ナチュールとよばれるワインは、量産型ワインとは対極的な存在である。見方によっては「特殊」なこれらのワインは、栽培と醸造のすべての過程で、人為(化学製品・薬物の散布や添加、あるいは電気式の設備・機器やコントロールなど)をできるだけ排するという思想の所産である。
こういうワインの生産者のなかには、自らを「生産者」扱いされることすら拒否して、農民とか農夫と称するくらい。ワインの造り方も、技術的に洗練あるいは平準かされてもいない始末だから、最新機器を駆使し、添加物を総動員した量産ワインの製造マニュアルからはほど遠い。いくら造り手どうしが情報交換をしているとはいえ、技術と状況判断に個人的な色彩がつよく出るから、造り手によるクオリティの差が大きい。わけてもビオディナミ(バイオダイナミック)を採りいれている栽培家は、占星術と錬金術が渾然一体になったような、一見「魔術的」な処方にのっとっており、近代的なワイン造りとは根本的に異なった発想をしている(じつは、このビオディナミの流儀にも、思慮に欠ける宗教的な信奉者がいて、凡庸愚劣な作が後を絶たないのも、事実である)。このような途方もない労苦の産物であるワインのビンごとに、ある程度の「品質差」や「味覚差」があるとしても、まったく不思議ではない。
ただし、未熟な生産技術・管理や、造り手の味覚音痴に由来する、いわゆる「ビオ臭」の存在は、無個性や品質不良以前の初歩的な問題である。「自然派ワイン」にありがちな、還元臭めいてドブを思わせる異様な不快臭を発するワインを、(あたかも自然な造りの象徴であるかのように)偏愛したり擁護したりする業界人やライターがいるようだが、その見識が問われるべきであろう。少なくとも見識のあるインポーターならば、これらのワインを扱うべきではあるまい。
3.消費者にとってのブショネと品質不良の問題
最終的な消費者である「まっとうな」ワイン・ドリンカーにとっては、ワインの楽しみは味わいにかかっている。彼あるいは彼女たちが悩まされる最大の問題もまた、ワインの絶対的な不良(たとえば、コルク臭)と、品質のバラツキの大きさである。2,4,6-TCAなどに起因するブショネの場合は、理屈としては経験豊かで味覚の鋭いエキスパートならば判別できるはずだが、世の中にはブショネを判断できないばかりか、ブショネとそれ以外の原因による品質不良との区別ができない人が、自称プロのなかにすら少なからずいる。が、いうまでもなく、ごく微量でもワインの味わいに致命的な影響を及ぼしうる化学物質が、ボトル中に存在するかどうかと、品質のバラツキの問題とは、無関係である。
さて、次は、品質不良の問題。消費者が、そのワインを毎年のようにケース買いしていれば、おのずと味わいの特徴や熟成曲線だけでなく、いわゆるボトル差にも気づく筈である。が、こういう欧米型の本格的なワイン愛好家はこの国では例外にちかく、ほとんどの消費者は特定のワインとしょっちゅう対面しているわけではない。とすれば飲み手が、その味わいに違和感を覚えたり、イメージや固定観念と違ったばあい、それが「正常」の範囲内なのかどうか、見分けがつきにくい。生来のプラグマティストでもないかぎり、人は固定観念や(特定のワイン評論家やライター、さてはマンガから)植え付けられたイメージでもって、ワインを見がちなのだから。
醸造学を専門に学んだワイン教室の講師ならば、技術的な欠陥の存在を容易に指摘できるかもしれない。が、彼らはえてして、技術的な欠陥のない(面白みのない非個性的な)ワインを良しとしがちだから、これはこれで問題である(Ⅰ.の末尾参照)。
ともかく、ワインのクオリティとコンディションの双方を判断できるよう、消費者自身が感覚を研ぎ澄ませながら、健全な判断力を身につけるよう、努めていただきたいものである。
4.品質不良の責任は、だれにあるのか
ブショネと品質不良の問題が、多発していることは、消費者にとっても、インポーターにとっても、悩みのつきない大問題である。なぜ、この二者を挙げたかというと、消費者は最終的に代金を払って(つまり、自分の責任において)ワインを選び、自宅あるいは店で「体を張って」飲んでいる。その際、「異様にまずい」と実感するワインに出会い、飲むのに窮するとしよう。味わいが甚だしく不快で、その原因が飲み手やサーヴィスの仕方のせいでなく、ワイン自体にある客観的な欠陥のせいであったとすれば、消費者が代金を払う必要はないと考えるのも無理はない。
レストランやワインバーなど、ワインを提供する店の側は、客から「正当な」クレームがくれば、もちろん対応せざるを得ない。が、えてして店側は、仕入れ代金の倍を上まわる高額な料金を客に請求しているにもかかわらず、クレームの処理をインポーターに持ち込んで、自分だけ損害を回避しようとしがちである。
他方、インポーターは、販売先から持ち込まれたクレームがもし正当であれば、対処せざるを得ない。それでは、いったいブショネや製品不良の責任は、本来だれにあるのだろうか。生産者にある、というのが常識的な答だろうが、購入者は買った先に責任があると思いがちなもの。消費者は、小売店やレストランに。レストランや小売店は、仕入先の卸し店やインポーターに。インポーターは、生産者やブローカーに。生産者は、コルクの製造販売会社に……というふうに、責任のありかは遡及する。これは、丸山真男さんが定式化した、「抑圧委譲の原理」のようなもので、平たくいえば「たらい回し」か「ババ抜き」にちかい。あるいは、間接税の最終負担者を探るようなものか。コルク製造の段階で、不良コルクを根絶しないかぎり、責任論は根本から解決しない。
5.問題の整理
問題を単純化して考えよう。
a)ブショネの場合:
ブショネの発生問題にかぎれば、文句なくコルクの生産者に最終的あるいは第一義的な責任がある。良心的な生産者は、ブショネを恐れて、特別に高価で「上等」なコルクを選んだりするが、それでもコルクを用いるかぎり、ブショネから完全に逃れるわけにはいかない。かつてエリオ・アルターレが、不良コルクによるワイン劣化に全面的に苦しめられ、ある年の全生産ワインを販売中止にしたことは、業界では有名な話である。ちなみにエリオは裁判でコルクの仕入先と是非を争ったが、裁判が一段落してから当のコルク業者にもう一度チャンスを与えるために、再取引を申し出たという美談のおまけがついていた。
それはともかく、コルク製造販売業者が、ワイン生産者になかなか補償をしないのも事実らしい。にしても、誰かが責任をとらざるを得ないとすれば、輸入国ではインポーターが損な役割を押し付けられるハメになりがち。インポーター自身は、まったく納得がいかないのだが、実務上は販売先のレストランや小売店あるいは卸し店からのクレームにたいしては、状況に応じて対応せざるを得ない。もちろん、インポーターがその対応費用(輸入・販売コストを含めた)を生産者に全額請求すればよいというのは、机上の空論。実際には、責任あるいは費用の転嫁はきわめて難しい。
b) ブショネ以外の品質不良の場合:
ワインがブショネでなく、かつ、インポーターが引き取った後の保管や輸送に問題がなかったのに、ワインの品質が正常の範囲を逸脱して、本来の味わいでないケースである。つまり、輸送・保管過程で変質を被らず、生産過程そのものに起因する品質不良があったとしよう。
もともとワインには、とくに先述したとおり自然派ワインには、同じロットやケースの中でも、品質にいくらかバラツキがあるものだ。が、バラツキや逸脱の程度が、統計学でいう標準偏差の範囲内に収まっているかどうか。この判断はプロでもきわめて難しい。同一生産者の同一ヴィンテッジの同一キュヴェに通じている、味覚の鋭敏なテイスターでもないかぎり、判定は至難このうえない。けれども、私たちインポーターは、大袈裟にいえばこういう試練に立ち向かわざるをえない。
ブショネとは無縁の、純粋な製品不良やバラツキに関しても、特定のレストランや卸・小売店はえてして、少しでも仮瑕を発見したと思い込んだら、すぐさまインポーターにクレームを持ち込み、ときにはまるで鬼の首をとったかのように、強腰で返金や代品を要求することがある。他方インポーターでは、プロ意識の低い営業担当者のばあい、是々非々の毅然たる態度がとれず、クレームを持ち込む「客」に迎合してしまうこともある。あるいはその逆に、持ち込まれた「不良品」の酒質をまったく判断できないインポーターもいるよしで、無条件に「ブショネでも品質不良でもない」と断言したりすることもよくあるとか。生産者の「ハウス・パリット」ならぬ、インポーターの味癖とでもいうのだろうか。
ラシーヌの社内でよく話すことだが、私たちインポーターは(あるいはより正確には、ラシーヌでは)マークアップ・レート(輸入原価に乗せる利益額の割合)を、かなり低く抑えてある。それに、良心的な生産者は、各国で販売価格を不当に吊り上げたりしていないか、チェックしている。とりわけラシーヌでは、見かけ上の高い「上代価格」を設定しておき、取引先によっては大幅に掛け率を落とすような「見せかけ」をつくる方策を好まない。だから、持ち込まれうるクレーム(トータル欠陥率が5%以上見こまれるとしよう)に対して、無条件で応じようとするのなら、その補償金額分を見込んで卸価格を上げざるを得なくなる。さあ、お客さんと消費者は、どちらを選ぶだろうか。いずれにしろ、この問題は、業界全体でもって対処すべきではなかろうか。
Ⅲ.結論――ラシーヌの考え方と対応――
インポーターにとって、あるいは誰が考えても、ブショネと品質不良は基本的に生産者の責任であると思う。いうまでもなく、ラシーヌでは私たちのミスで品質劣化を招くことがないよう、海外と生産地と国内における輸送と保管に細心の注意を払っている。したがって、蔵元から出荷された後に発生する品質不良はないという前提にたって、この問題へのラシーヌの対応策を述べておきたい。
1) ブショネについては、欠陥コルクが原因であることが明らかである。したがって、もしブショネであると考えて、対応を求めるお客様(この場合はラシーヌの販売先である、小売店・卸し店・レストラン)は、オリジナルのコルクを必ず添えた上で、「問題のある」ワインの入っているビンを、できるだけ早くラシーヌにお戻しいただきたい。私たちはコルクと酒質の双方を厳密に鑑定した上で、明確なブショネであると認めた場合にのみ、適切な方法でもって対処させていただきます。
2) ブショネ以外の「製品不良」であると思われた場合:
製品不良が正常なバラツキの範囲をこえていると強く疑われる場合にのみ、1)と同様に、コルクとワイン入りボトルを、早急に(つまり、コンディションをできるだけ劣化させずに)小社にお戻しいただくことにしている。ラシーヌの社内では、クオリティ管理責任者とそのチームが、できるだけ厳密かつ正確に判断を下して、「著しく正常範囲を逸脱している場合にかぎって」対処させていただきます。が、製品不良が通常のバラツキの範囲内にあると判断される場合には、返品や代品の要求にはお応えしかねます。
すべての当社扱い商品は、選択・品質とコンディションにはついては、高いレヴェルの仕事をすることがラシーヌの使命であり、お客様との約束であると考えています。いうまでもなく、蔵元のセラーを出てから、お取引先に配送するまでの間は、コンディションについてはラシーヌに責任があります。
しかし、コンディションと品質不良とは、同義ではありません。ブショネを含む明確な品質不良については、最終的に判断する権利は、当社に留保させていただきます。難しい用語を使えば、ブショネないし製品不良にかんする「判定権と判定手続き」は、ラシーヌにある、と考えています。広い意味で当社が責任をとるのであれば、判断をする資格もまた当社にあり、品質の判断能力もある、という考え方です。
なお、これまでも当社は、公正に品質判断を下すよう努めており、特定の顧客の「判断」や「要求」に、迎合するようなことはしたしません。ラシーヌは、独自のテイスティング方法によって問題の有無を判定しているため、必ずしもお客様のご意見と一致しないことがあるかも知れませんが、そのようにお心得ください。
言い難いことを申し上げましたが、より良いワインビジネスを追求し、お客様に高水準の品質とコンディションをお約束するため、とお考えいただければ幸いです。(了)