短い独り言

2011.5.01    塚原正章

 旅先に着いてすぐの感想など、およそ当てにならないから、書こうと思ったことはない。
……と、ギリシャはクレタ島で、かなりの字数を費やして書いたはずなのに、うまく保存できなかったとみえて、
エクスパイアしてしまった。これは、例の言い訳でないのが、苦しいところだ。

「『すべてのクレタ人は嘘つきだ』と、あるクレタ人が言った」という命題が正しいかどうかは別の話だが、 「クレタ島で書いたすべては失われてしまった」と、あるクレタ島の旅行者が言った、と嘯くわけにいかないのが、困った点である。

 まるで、「どこか~へ、行ってしまった」という歌が聞こえるかのようだ。そうだ、それならば、この歌について書いて、責を逃れるにしかず。
これは、谷崎純一郎賞を得た安部公房の戯曲『友達』の冒頭を飾る歌であって、劇団青年座の公演では、たしか今井和子が短調で歌った印象的な 「友達のブルース」の一節。いちど聞いただけで惚れこみ、今なお耳を去らない。私の記憶によれば、歌詞は次のとおりである。

夜の都会は糸のちぎれた首飾り
あちらこちらへ飛び散って
どこかへ行ってしまった

 ところが、旅に携えてきた宮西忠成の『安部公方・荒野の人』という評伝によると、歌詞はまったくといっていいほど、異なっている。ちなみに引けば、こうなっている。

夜の都会は糸のちぎれた首飾り
あちらこちらへ飛び散って
温めてくれた胸は
どこへ行ってしまった
迷いっ子 迷いっ子

 
 つまり、どこかへ行ってしまったのは、首飾りではなくて、温めてくれた胸の持ち主だったのだ。なんと、わが記憶の即物的であって、怪しげなること! いやはや、こんな調子だから、私が慕っている吉田謙一さんもどきに、記憶だけを頼りにして書くエッセイなど、志田さんの足元にも及ばない似非記憶にすぎないから、読者は、用心しなくてはいけない。

 だとすれば、吉田さんの名訳詩集『葡萄酒色の海』を思い出しながら、ホメーロスが歌ったワインカラーをしたエーゲ海に思いを馳せることにしようか。機中から眺めたエーゲ海の色は、鮮やかに澄んだ深い青色を湛えていたが、天候の加減では、たしかに赤葡萄酒色になるとのことだから、盲目の詩人ホメーロスがいい加減な形容をしたわけでないこと、言うまでもない。

 「さても無粋なる旅行者は、サントリーニ島に向かう葡萄酒色の海の上で、ワインを楽しむとしようか。」といっても、サントリーニの特産は、クレタ島の赤ワインとは逆に、白ワインであるから、すこし趣が違うけれど、そんな贅沢は言っていられない。

さらば、読者よ、しばしの別れを。

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