似て非なるもの

2010.04.27   塚原 正章

 骨董品の世界では、つねに真贋が問題になる。自分が愛玩している品が偽物であると分かった瞬間、傍らにあった秘蔵の名刀で偽物を一刀両断した、徹底的に真作にこだわる小林秀雄のような批評家もいた。それに対して、手元にある「若冲」や「蕭白」がたとえ偽物であるとしても、あっけらかんと「贋作また愛すべし」と称する、私のようにいい加減な者もいる。誇り高き小林秀雄にとっては、真贋が見抜けない己の未熟な批評眼と感性が許せなかったのだろう。けれども、美術作品の鑑定を専門とする者ですら、真贋を正確に判定することは、至難のわざなのだ。

 かつて一世を風靡したルネッサンス美術の大家が、ハーヴァード大出身のユダヤ人学者、バーナード・べレンソンだった。彼の名は、イギリス美術批評界の大御所ケネス・クラークの師匠でもあり、ボッティチェッリ研究で名を馳せた矢代幸雄が師事したことでも知られる。深い学識と実際の鑑定技に恵まれていたべレンソンは、その実、知られざる名品を発掘しては裕福なアメリカ人美術収集家に斡旋する副業をちゃっかりしていた。べレンソンが居を構えたトスカーナのイ・タッティにあったヴィッラは、世界中の美術研究家や有名人ハンターが、引きも切らずにべレンソン詣でをしたものである。ベレンソンは、深く踏み込んだ作家の個別研究と膨大な写真資料をもとにして真贋を判定し、知られざる画家を著名な名作の作者であるというような大胆な判定を下したりもした。独特な審美眼と美術理論(「触覚的価値」の提唱)にもとづく彼の判定は当時、まるで神託扱いされていた。けれども、人間に誤りは付きものであって、在世中に自らの誤りを認めたこともあったし、彼の多くの判定(誰が真の作者であったかという帰属の推定)は、いまや仮説のひとつにすぎないようである。

 真贋については、トマス・ホーヴィングをはじめとする面白い著作に事欠かず、かつて私も熱中して読んだものだった。古い記憶では、リプトンの紅茶やネスカフェでもって、画布に「古みづけ」(古色をつけること)をするというような記述があった。しかしまあ、美術品の真贋の話は、ここら辺で切り上げるとしよう。問題は、ワインである。ワインの歴史をひもとくと、これまた意外に響くかもしれないが、偽物が横行していたのは、たとえばイギリスのワイン史を調べれば明らかであるし、それをテーマにした翻訳書もある。

 アペラシオン(呼称)規制制度は、そのようなフェイクワイン対策と、地域特産品奨励策という意味もあるのだが、単なる呼称の制度でもって、偽物を放逐できるわけではないこと、いうまでもない。

 遠くは、作為的な不凍液(ディエチレン・グレコール)混入による死傷者の発生は、現代ワイン史上に残る、不名誉な事件であった。イタリアでは、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノにメルロー酒が混入されていたことが判明し、一大事件になったことも記憶に新しい。のみならず、昨今では、キアンティでもフェイクワインが大量に見つかった事件も報道されている。あるいは、ドイツの金満家収集家が発掘したと称する「ジェファーソンワイン」は、高名なワイン鑑定家をも事件に巻き込んだが、どうやらきわめて巧妙な偽作事件であった疑いが濃い。が、このように高価きわまる「歴史的」ワインを買う余裕のある方は、冗談の一種として遊び心で手をだせばよいのに、と思わないでもない。

 そのような司法事件にならないまでも、悪質さでは劣らないケースもあるようである。どこやらのインターネットで販売しているさる業者は、美辞麗句を通り越した噴飯ものの惹句(広告文)でもって定評があることは、ご承知の通り。「あのロマネ・コンティと同じブドウ品種のピノ・ノワールでつくった、銘醸○○ワイン」といった具合だから、とんだくわせものである。また、さるフランスの作り手については、ロマネ・コンティの醸造長をことわったというまことしやかな話が、日本だけで通用しているようである。

 が、口コミを利用した、もっと手の込んだやり方もある。近くは、A.ロベールというシャンパーニュを、あたかもメニル村の至宝アラン・ロベールの作であるかのように触れこんで、密かに売っているインポーターがいると聞き及んだ。しかも、ご念のいったことに、アランの息子が父親のつくったシャンパーニュの古酒を相続して、同じブランド名で、ラベルを一新し、それも安く売ることにした、というのだ。アラン・ロベール本人に問い合わせたところ、そんな事実はまったくない、と笑い飛ばしているのだが、事情を知らない業者やワイン愛好家を当て込んだのだろう。そういえばこの話、エイプリル・フールのころに流された節があるから、まずもって一笑に付すべきなのだろう、それにしても、くわばら、くわばら。うまい儲け話には、くれぐれもお気をつけあれ。似て非なるものは、なにも併行ワインに限らないのである。(正規インポーターが輸入販売しているワインにも、しばしば本来の味と大差があることを付け加えるべきだろうか?)

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