2010.03.25 塚原 正章
と題すると、これから記そうとしている事柄が、すでにお見通しのはず。 そうです、一部のワイン輸入業界でなかば慣例化している、例の並行輸入ワインのことです。もしかして、あるいは、まさか、その手のワインを扱っていたりなさっては、いないでしょうね、もちろん?
1、並行現象あれこれ
「並行(あるいは併行、平行)ワイン」とか「並行もの」と呼ばれている商品が、巷に氾濫していることは、ご存じのとおり。思うに、並行ワインはワイン界の怪物あるいは私生児ともいうべき存在である。が、ここに私説を述べるのに先立って、「並行ワインとは、どういうものであるか」を、ひととおり定義しておきましょうか。
「並行ワインとは、ワイン生産者と直接に年間取引関係を続けている『正規』輸入業者以外のワイン輸入業者またはワイン小売店が、並行市場または日本以外のマーケットから『間接的』に調達して、日本国内で販売しているワインを指す(ちょっと、トートロジーのようですね)。ここで『並行市場』あるいはその通称『グレイ・マーケット』とは、並行ワインを専門に扱っている業者またはマーケットであって、通例スイスや香港などに拠点をおいており、その筋では著名なブローカーもいる。並行業者(ブローカー)は、さまざまなルートを通じ、あの手この手でワインを調達しているが、その仕入ルートについては、口を閉ざすか、曖昧なままにしているようである。彼らいわく、生産者と正規の取引関係にある業者ないし個人から、直接または間接にそのワインまたはワインの購入権利を買い取っているそうで、ひろく世界中の見込み顧客と輸入業者に、カタログなどで案内している。並行市場から調達している輸入業者や小売店が少なからずいるために、並行マーケットの規模は相当大きいと見当がつく。
並行ワインのなかには、フェイク・ワインも混入しているおそれがある。けれども、今日でも各地で摘発されているフェイク・ワインは、そもそもブランドを偽称している違法商品だから、ここでは論じない。
また、貴族や富裕なワイン愛好家が、自家用の地下セラーなどで長年寝かせておいた選り抜きの膨大なワインが、なにかの理由で一挙に放出されて、一般市場やオークションに出回ることがある。が、これらは本来、素性の正しいレア&ヴィンテッジ・ワインとして尊重すべきであって、並行ワインなどと同列に扱うべきではない。
2、なぜ、並行市場があるのか?
おそらく、並行市場からワインを調達している輸入業者などに言わせれば、登山家の言葉をもじって、「そこに需要があるからだ」と、いうのではなかろうか。もっと穿った(あるいは、えげつない)言葉を用いれば「売れる、あるいは、もうかる商品」が、(目ざとい輸入業者でなくても)容易に入手できるからである。まあ、魚心あれば水心ありで、利にさとい商人が、並行商品のまわりに群がっている気配。その背後には、経済学的には需要と供給の時間的・空間的なアンバランスがあるわけで、さらにいえば、特定のワインに対して需要が集中するという、需要の偏在現象があるからである。 なぜ、価格も安からぬ特定ワインに、強い需要があるのか? それは、必ずしもそのワインが美味であることを意味していないし、その価値を評価・判定できるワイン愛好家が多数いるからでもない。むしろ、①特定のワインが神話化あるいはブランド化していること、②ワイン評論家やジャーナリズムによる(往々にして誤った)高い評価点数が、そのまま輸入・販売業者の謳い文句となって、愛好家の間で幅を利かせがちである(むしろ、であった)こと、③極上酒の常として、しばしば生産量が極端に少なく、したがって正規インポーターへの割当て(販売可能数量)が微量という供給側の事情、などのせいだろう。
3、並行ワインの是非
世の中に、絶対的な善とか悪があるかどうかは、人生観や宗教的な信念しだいである。が、もし「相対的な真理」という妙な表現にならって、「相対的な悪(事)」というカテゴリーが認められるとすれば、人間が世俗にまみれビジネス界に生きている以上、このカテゴリーに属する事柄が数多くあるだろうこと、いうまでもない。しかし、結論からいえば私は、こと並行ワインに関するかぎりついて「相対的な悪」として大目に見たり、容認するつもりはない。
なぜか? まず、 《「ワインの味わい」=「ワインのクォリティ」×「ワインのコンディション」》 という、私たちラシーヌの公式を思い出していただきたい。右辺前項のクォリティは、インポーターにとってみれば、「生産者とワインをどう選ぶかという問題」であるが、これについてはすでに論じたことがある。もう一つのインポーターの使命は、ワインのコンディションを「オリジナル」のワイン・コンディションに限りなく近づけることである、と私たちは心得、実行に努めている。
この立場からすれば、並行ワインにはコンディションの保証がまったくないのだ。むろん、商売のタネとして扱っている並行業者(ブローカー)は、「このワインは、正しい筋の出所から仕入れた」、というのに決っている。だが、お人好しは禁物。こんなことがあった。
シャンパーニュ・セロスのアンセルム・セロスと、話していたときのこと、たまたま談が、日本でシャンパーニュ・セロスの並行品が溢れていることに及んだ。さる並行輸入業者が、「これは、いい加減な並行モノではなくて、イギリスの正規代理店から『直接』仕入れた、由緒正しいセロスのシャンパーニュだ」と触れ込んでいると伝えたところ、アンセルムは笑いを超えて憤りの表情を見せながらこういった。「さあ、君たちに出荷台帳の原本を見せよう。ほら、ロンドンには全部で、たった○○本しか行っていないんだよ」。ちなみに、日本でこの業者の販売した「セロス・シャンパーニュ」の数は、それより一桁多かったことを、付け加えておく。つまり、宣伝文句であった出所が、まったくいい加減、というよりデタラメであったのだ。
まあ、いつもいうように、ワインの世界も例外ならず、生産者から輸出ブローカー、輸入業者から販売店にいたるまで、欲の張った利害関係者にこと欠かない。連中はえてして、怪しげな創作、つまりは意図的な虚偽情報を流して巧みにミスリーディングしがちだから、真実を判定することは、たとえ業界のインサイダーであっても容易くはない。まして、人の良いワイン愛好家や、信じたがり屋のコレクターなどは、巧言令色の徒の手に掛かれば、いちころだろう。本当は、試しに味わってみれば、コンディションの劣悪さなど、すぐに感じとれるはずなのに。いや、コンディションの良いワインを、ふだんから身をもって体験していない消費者だからこそ、名前につられて並行ワインに手をだしてしまうのだろう。
冷たくいえば、一般消費者は、そもそも並行ワインはその出所を正確に知ることができない以上、コンディションの良さを期待するのは、木に登って魚を求めるたぐいである。たしかに、ワインの「強さ」とコンディションは、ワインのタイプやアルコール度、畑の手入れと造り方、SO2添加度やビン詰め処理法などによって、おおいに左右されるから、並行ワインになっていく過程で、同じような酷い扱いを受けたとしても、影響の度合いがまったく同じというわけではない。なかには、さほど変質が目立たないワイン無きにしも非ずだが、「強いワイン」が良いというわけではない。逆に、徹底した自然派の造り方による「生きているワイン」は、えてして、いや、必ずといっていいほど、回復不可能なダメッジを受けがちである(正規輸入ワインでさえも、輸送・保管のせいで、オリジナルから遠く隔たっていることが、ザラではないか)。微妙で複雑なバランスを保った自然派ワイン、たとえば先にもあげたシャンパーニュ・セロスの変質など(アンセルムとともに味わいを確認したのだが)、その例である。
ラシーヌが正規輸入しているワインにも、並行商品が存在していることは、私たちの卸先でないネット商店で販売されていたりすることから、よく知っている。困ったことに、同じショップが、私たちの「正規」ワインを扱うかたわらで、同じ生産者の「並行ワイン」をも扱っていることがある。その際、その並行モノの商品説明にラシーヌの名を引用してある場合には、消費者をミスリードすることになるので、私たちもまた困惑せざるを得ない。
むろん、私たちもそのワインの供給数量がふんだんにあれば、欲しい方々すべてに喜んでおわけしたいところ。だが、それが圧倒的に不可能であるからには、心苦しいけれども、お断りせざるをえない場合が多いことを、ご了承願いたいと思う。
それにしても、ネットで私たちの扱いワインの並行品が横行しているのを見ると、心穏やかではない。間接輸入された商品は、私たちの扱い方とはまったく異なることが普通であるから、通常あるいは例外なく、オリジナルな味わいとは似て非なるものである。さよう、はっきりいえば、同名の別物品なのだ。からして、ネットで買われる方は、ラシーヌの裏ラヴェルが着いているかどうか、売り主に確認されるよう、おすすめしたい。それでも並行品と知って購入した方については、承知の上のことだから、同情の余地はすくないが、それと知らずに買ってしまわれた最終消費者には、ご同情申しあげる外はない。並行ものでもよいから、どうしても買いたい・飲みたいという御仁には、ロバート・パーカーの常套句を差し上げよう。いわく「危険負担は、買い手の責任」。
かくして、並行業者(ブローカー、輸入業者ともども)とその販売店が、それと気づかない善意の購入者を裏切っていることになる。また、妥協をせずに素晴らしいワインを造ることに専念している生産者に対して、並行ワイン飲用者に誤った印象やイメージを植えつけるようなことになるので、私たちに責任はないにしても、本当に残念に思う。彼ら生産者のひたむきな想いが伝わらず、結果的に彼らの造ったのとは別世界のワインを飲ませて、消費者を誤解させるような仕業は、良心的たらんとするインポーターは慎むべきではなかろうか。並行ワインには、まったく閉口している。