書かない

2009.04.24   塚原 正章

 書かない、書きます、書けば……、
 書けない!

 書くという動詞の活用形をお題目のようにいくら念じたところで、原稿が書けるわけではない。あっさり居直ってしまえば、そもそも今回は、しっかり書けるような状況ではないのです。それでは、いつも流に書くかわりに、そのあたりを説明させていただき、ご理解を願いましょうか。

 今年も早々、サルヴォ・フォーティから知らせがあった。1月にローマで「ヴィーニ・ナトゥラーレ・ア・ローマ」という自然派の超党派的な集まりがある、という。シチリアを出ることの少ない「エトナの守護神」サルヴォ、「真摯な好漢」エツィオ(トリンケーロ)、それにできれば「魔術師」テオバルド(カッペッラーノ)にも会いたかったので、思い立って顔を出すことにした。結果的にはテオバルドの病状たるや、来るどころの騒ぎではなかったので、カッペッラーノ親子は姿を見せず、ワインだけの代理出席だった。サルヴォとエツィオを引き合わせることも、目的のひとつだった。終わってみれば、参集した生産者の顔ぶれよろしきを得、会場の手配・進行もまたスムーズとあって、落ち着いて試飲と会話ができる、まれにみる充実感のある催しであった。

 が、ワイン展示会だけのためにローマに滞在するのはもったいない。ので、常のレストラン巡りはもちろんのこと、ナヴォーナ広場の近辺にある教会をたどって、カラヴァッジョの絵を楽しみ、あるいは久しぶりのヴァチカン見物にも精を出し、結構疲れて帰ってきた。まあ、自業自得というところでしょう。


 帰国してあまり間をおかずに、テオバルド・カッペッラーノ逝去の報が入った。なかば予想しないではなかったが、それにしてもあまりに急な話で、息が止まる思いがした。今にして思えば、昨年から体調不良だった本人もいくらか覚悟を決めていた節があって、最後にテオバルドに会った際、珍しくバローロ(ピエ・フランコ・ミケ)のラベルに、テオバルドとアウグスト父子がサインをし、プレゼントしてくれた。テオバルドを継ぐのはアウグストである、という明確な意思表示だと読めなくもない。さて、葬儀には私が出席することは日程的に無理とわかり、かわりにフランス滞在中の合田が参列することになった。その報告は、ホームページにある合田の詳細な葬儀参列記をごらんください。

 そんなわけで、2月は海外出張もせずにすんだけれど、3月末にはヴィニタリー開催に合わせて、昨年からティーム・ラシーヌ恒例のイタリア訪問がはじまった。今回、合田と私は開催前にピエモンテとフリウーリを短期間にまわり、重要な扱い生産者とじっくり話をすることができた。私たちの訪問を待ち構えていたかのように、ワインと積もる話でもてなされたので、訪問の件数こそ多くなかったが、充実していたこと間違いない。このような歴訪の仕方だと、車のないインポーターにとっては、1日に2軒訪ねるのがせいぜいである。

 むろんのこと、ヴィニタリーにも顔を出したが、こちらは巨大なパーティ会場のようなもので、各所に顔を出して挨拶をするだけで、せいいっぱい。ヴィニタリー狂想曲、とでも呼ぼうか。なにせ知り合いが多いということは、不便なものである。こちらが会場に来ているとわかっているのに会いに行かなければ不審がられるというわけで、会場を駆け回るしかないのは、いつもながら困ったものである。それはおくとしても、帰ってみれば、仕事が待ち構えていて、なかなか解放してもらえないのです。

 それに輪をかけて忙しい事情がありました。じつは私、2年前に思うところがあって、西麻布の片隅に食堂を開いてしまったのです。その名をリストランテ・ラ・グラディスカといって、さる料理人の共同プロジェクト。イタリア料理とイタリアワインの真髄を組み合わせる、という野心的な企画でした。日ごろ食べ歩いてみて思ったのは、名のあるリストランテといえども、比重が料理かワインのどちらかに片寄っていて、その意味で物足りなかったことが、開業の遠因でしょうか。

 ここで私の持論をのべれば、ワインは選択と輸送・保管に万全を期せば、本国で味わうのに引けをとらないばかりか、本場以上にコンディションがよいワインを日本で楽しむことが可能な筈なのだ――あくまで可能性の話ですが。それに引きかえ、料理のほうは、料理人の腕や素材の質などさまざまな要因があって、本国並みの水準を維持することはきわめて難しい。ご覧のとおり、これはわれながらワイン本位な、自画自賛あるいは我田引水の説です。それを実証するのが、私の密かな狙いだったけれど、どれだけそれが実現できたかは、お客様の判断されること。当方が決めつけることではないでしょう。

 このプロジェクトでの私の結論としては、ワインが思いどおりの水準(に近い)としても、やはり料理がワインとバランスをとることが難しいのだなあ、という実感が否定できなかった。その後の紆余曲折は省くとして、これまでのシェフと負けず劣らずの経験と腕前のある、イタリアから帰ったばかり料理人と、あらたにタッグマッチを組むことにした。ありていにいえば、これがひどく手数が掛かることだったのですね。やっと一段落しかけたので、ここでちょっとだけ宣伝させていただければ――そういえば私の前職は、広告会社でしたっけ――、今度の料理人は(私並みに)食いしん坊だということ。食とワインに情熱がなければ、ワイン/レストラン・ビジネスをまっとうすることは不可能、というのがもう一つの持論でした。だから、(といっても、あまり論理的でないような気がしなくもないけれど)、どうぞご期待下さい、といいたいのですね。

 それはともかく、ラ・グラディスカの創立2周年と新シェフ登場を記念するパーティを催すことになりました。それが本日、4月24日なのです。

 二足のわらじを履いた筆者は、本業とレストラン業の掛けもちで、てんやわんや。目が回るほど忙しくていつもながらの原稿が書けない。おまけに、来週頭からフランスとスペインへの出張が控えている。――という長たらしい弁解でした。長広舌にお付き合いいただき、有難うございました、いや申し訳ありませんでした。

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