再説 ストレス・フリー理論

2009.01.27   塚原 正章

 前回は、たまたま筆の勢いでワインの注ぎ方を説き、および、その名も大仰な「ストレス・フリー理論」の一部を走り書きでご紹介した。

 注ぎ方のストレス・フリー理論なるものを組み立てたのは、以前なじみのワインバーで麗しい注ぎ方に感心したのが、きっかけ。その美技に感じ入ったので、例によって理屈っぽく一般化してみたというわけである。

 要するに、スティルワインの場合、ビン口からワインが細い垂直線を描きながら捩れずに、グラスの中に重力だけで静かに落ちていくように注ぐのが、見た目にも美しく、ワインのためにも望ましい、という理屈である。ワインにとって待ちにまった晴れの舞台、つまりいよいよ栓が抜かれて飲まれる段階では、なるたけ余計な負荷やエネルギーをワインに加えず、本来の姿のままでゆっくりと時間をかけ、愛でながら大切に味わうべきである、と考えるからである。

 たとえばラシーヌではご存じのとおり、生産者からのピックアップから、日本の倉庫での保管・品質点検まで注意を怠らないし、テイスティングでかすかな異常を感じれば、即座に輸入ロットの出荷=販売停止処分をかける。また、私たちは、ほとんど毎日のように、ワインバーやレストランなどで(テイスティングではなく)飲みながら、扱いワインのコンディションをチェックしている。という具合に、「見えないプロセス」に手間をかけ、ワインと長く時間を共にしながら暮らしているから、飲む段におよんでワインが要らざる変形や歪みを受けることに耐えがたい思いをする。そう、だからワインをストレス・フリーにしてあげたいし、そう願ってもいるのだろう。

 考えてみれば、およそ生物にとってストレスの過剰は好ましくないし、とりわけナチュラル・ワインは活性度が高いだけに環境に反応しやすい。だとしたら、生きているワインにストレスをかけない工夫が、ワインの造り手と流通業者、レストラン・サーヴィスの現場と飲み手、つまりはあらゆるステップで欠かせないことになる。

 さて、ワインへの思い入れはここまでで、注ぎ方の話にもどろう。

 前回に注ぐ際の実用的な心得としてお勧めしたのが、グラス(ボール)の中心からやや上方に「見えざる不動の支点」を設け、ビン口の端をここに蝶番(ちょうつがい)で固定したつもりでビンを緩やかに傾ける、という所作である。いってみれば、架空の支点とは、幾何学の補助線のようなものである。

 が、さる星付きレストランでサーヴィスとマネジャーをされている読者から、「理屈はよくわかるけれど、垂線をたらすようにはうまく注げない」という話をうかがった。なるほど、かくいう筆者だって、お手本のようにうまく注げるわけではないのだから――わけても、座ったままでは。そこで、すこしだけ補足しておこう。

 ① 動から静に入るための呼吸法:
   ワインを注ぐ動作に入る前に、まず心を落ち着ける必要がある。そのため、少しだけ息を
    とめて、神経を注ぐことに集中するよう、心技の環境を整える。ここは、レストランで接客を
    するウェイターの動作に倣えばよい。つまり、客席に近づいてサーヴィスにはいる一歩手前
    で、歩調を緩めて動きを一瞬止め、おもむろに注文を聞いたり、料理の皿を配るのと同じ
    要領。ひと呼吸おいてから近づけば、客は慌しい気持ちをおこさずにリラックスしていられる
    し、サーヴィス自体にも滑らかな動きがでるはずである。

 ②腕全体を動かすこと:
   手首をひねってビンを傾けようとすると、余計な筋肉の緊張のせいで手首が疲れるだけで
    なく、微妙なコントロールがしにくい。ここは書道の運筆の要領で、腕全体あるいは全身を
    使おうとする気持ちが大切。ビンの下の方をしっかり包むように持ちながら、ゆっくりと腕の
    動きでボトル角を上げていけばよい。

 まあ、以上のようなことは、慣れたソムリエ諸公ならば無意識のうちにさらりと実践しているのだろうから、私のような素人がことさら言いたてるまでもなかろう。だが、重力にのっとった垂直型の注ぎかたを、パニエに入れたボトルからするのは、もっと難しいはず。なぜなら、ボトル入りのパニエを指で軽やかに支え持ちながら上手に注ぐためには、指と手首の筋肉と腕の動きを、バランスよくコントロールしなければならないだろうから。ちなみに、手元にあるレストラン・タテル・ヨシノの小型リーフレット“LE PLAISIR”(2008―2009冬号)には、「ワイン会へのご招待」(汐留パークホテル)のページに、見事なパニエ・サーヴィスの写真が載っている。この写真を見ただけで、飲み気が起きてしまう。トリミングされた写真からは誰かわからない注ぎ手に、拍手を送りたい。

  さて、くだくだしくストレス・フリーの効用と注ぎ方について、思わず力が入りすぎて長口舌をたれてしまった。ストレスの多い(多く与える?)文章はここらで切り上げ、どこかに飲みに出かけるとしよう。では、また。

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